第158話 援護
ランナーを三塁まで進めつつも、結局は無失点にて終了。
だがライガースとしては、確実に大介の四打席目が回ってくるように出来た。
大局的に見れば、ランナー一人が出るというだけで、その状況になっている。
これこそまさに、ライガースが早めに満たして起きたい条件であったろう。
ただ同時にこれでは、ツーアウトから大介に回る可能性も高くなる。
しかしそこまで考えていては、そもそも攻撃全体が出来ない。
一回の裏、レックスの攻撃は一番の左右田から。
ドラフト下位指名から、社会人出身とはいえ二年目で、一番ショートを不動のものとしているのは大きい。
キャッチャーとショートという重要なポジションを、同じ年に引き当てたレックスは、相当に運が良かったと言えるだろう。
その左右田からして、倍に近い年齢にある大原。
これまでに何度もポストシーズンを経験し、日本シリーズでも投げている。
今年もかなり衰えたとは言えるが、それでもローテをほぼ外れていなかった。
この試合は負けるだろう、とライガース側でさえ考えている。
捨て試合であることは仕方がなくても、せめてリリーフピッチャーに余計な負担はかけさせない。
なぜなら残る試合の全てを、ピッチャー総動員で抑えていかなければいけないからだ。
大原は生贄のようなものだ。
あるいは自身で認めるように、ここは俺に任せて先に行け、という感覚がないでもない。
六回かあるいは、七回までをなんとかロースコアで投げたい。
あえて捨てる試合を作らないと、アドバンテージのあるレックスに下克上は通用しない。
直史が投げる試合以外で、全て勝ち星を掴む。
なんだかとても後ろ向きに、前向きな方針ではある。
(ただまあ、それなりにやることはやるさ)
大原としては、あまり点差を広げられないことが重要だ。
大差の試合となったら直史が早めに降板し、リリーフで出てくる試合などが発生するかもしれない。
クローザーとしての直史は、完全に無敗であるのだ。
ただそうやって決心していても、レックスの打線は粘り強い。
先頭打者の左右田からして、まずこの一回の裏は、出塁することを完全に念頭に置いている。
難しいコースは追い込まれるまで手を出さず、そして際どいボールも手を出さない。
追い込まれてもしっかりと、際どいコースならカットする。
もっともあまり露骨にカットばかりしていくと、ゾーンがほんの少し広がったりする。
意識的にか無意識にかは分からないが、そういう審判はいるのである。
なお高校野球などであると、試合が決まってしまった状況なら、よりその傾向は強くなる。
左右田は最初の打席から、しっかりとフォアボールを選んでいった。
先頭打者はやはり、切りたかった大原である。
しかしそれは誰でも同じで、思い通りにいくことはなかなかない。
この状況であれば、ダブルプレイが一番望ましい。
だがノーアウトランナー一塁からでは、まずダブルプレイになる打球を打たないのが、緒方という二番打者である。
大原は緒方が、甲子園で活躍するのを見ていた。
体格的には大介ほどではないが、それでもさほど恵まれていた方ではない。
しかしかなりの長打力はあり、シーズン二桁本塁打というのもそこそこある。
とは言ってもこの数年は、ケースバッティングに徹している。
この状況からならば、進塁打が最低限の仕事であろう。
ただレックスの一番二番は、下手なことをやってしまうと、バント一個で三塁まで進んでしまったりする。
大原としてはそれは避けるため、緒方に対しても神経を使ったピッチングをしていく。
フルカウントまで追い詰めたが、そこから右方向に打たれた。
ボテボテのゴロは意識して打たれたもので、二塁は完全に間に合わない。
ファーストでアウトにしたものの、これで得点圏にランナーが進んだ。
一回の表と似たような雰囲気である。
直史はここから、ぎりぎりに調整したかのように、ランナーを三塁でストップさせた。
ただこういう状況でセットプレイをするのは、レックスの方がずっと上手だ。
打撃戦の楽しみというのが、レックスの試合にはあまりない。
もちろん得点力が低いわけではないが、犠打や進塁打、そして犠飛を上手く使ってくる。
フォアボールなどの出塁率は、ライガースとさほど変わらない。
だがこれは大介が、何度も歩かされることによって、異常値になっているからだ。
ヒットを打っての出塁よりも、フォアボールの出塁の方が、ピッチャーに与えるダメージは大きい。
投げた球数の分だけ、ピッチャーは消耗していくからだ。
もっとも長打を打たれれば、それは話は別である。
大介がシングルヒットで終わったというのは、それだけで充分にレックスの許容範囲なのだ。
さて、ここからである。
レックスの中軸は、ケースバッティングに非常に優れている。
だがそれでもヒットになる確率は、おおよそ三割といったところだ。
また一塁が空いているので、ある程度は際どい勝負をしても構わない。
まだ試合は始まったばかりの序盤なので、ランナーをためていくという選択肢は取るべきではない。
そういう選択肢もあるのだ、という意識は残しておくべきだが。
大原としては上手く緩急を使っていく。
外野はやや浅めに守っているのは、長打になればどうせ一点が入るので、単打の場合に三塁でランナーを止めるためのものだ。
そしてこのシフトは問題なく機能した。
ヒットは打たれたものの、浅いセンター前のライナー性打球。
これでは二塁から一気に、ホームに帰ってくることは出来ない。
だがワンナウト一三塁。
ダブルプレイにならない限りは、かなりの確率で一点が入る状況だ。
ワンナウトで三塁ランナーがいるので、バッターによってはスクイズなどもしてくるであろう。
だが四番の近本相手に、そんな選択はやらせない。
さすがにバントも多用するレックスと言っても、四番には打たせていくのが方針であるのだ。
長打で一点を取るというのは、今の野球のバッティングのトレンドである。
ここで上手く浅い外野フライでも打たせたら、一気に二つのアウトを取ることも出来るかもしれない。
だがここでのケースバッティングは、近本へのオーダーは打てというものだ。
外野フライでもそこそこ飛べば、左右田の足ならタッチアップで帰ってこれる。
それが分かっている時に、確実に外野フライを遠めに打てる。
レックスの中軸というのは、そういうバッターが揃っているのだ。
近本の打球は、ライト方向に飛んだ。
それなりの飛距離が出て、むしろライトは慌てて後退していく。
どうにか追いついてキャッチはしたものの、その体勢からでは一度方向転換をする必要がある。
その間に最適のタイミングで、左右田はタッチアップのスタートを切っていた。
変に油断することもなく、滑り込んでまずは一点。
一秒ほどの余裕があったが、ここで一塁ランナーも、二塁にまで進んでいた。
先制点はあっさりと取ったレックスである。
だがそこからはツーアウトということもあり、まずは一点のみにとどまった。
これがレギュラーシーズンで、相手がライガースでなかったら、試合は終わったとして風呂に入るタイミングである。
結局はヒットを一本しか打たれていないのに、フォアボールの出塁、進塁打、犠飛の三つと組み合わせれば、それで点には結びつくのだ。
野球は不思議なスポーツで、ヒットが一本もなくても点が入ったりする。
まさにスモールベースボールであろうが、これではビッグイニングが作りにくい。
もっともレックスは意図的に、ビッグイニングには期待しないようにしているが。
ビッグイニングを作るには、攻撃において嗅覚が重要となる。
レックスの首脳陣は、あまりそういった勝負師めいたところはない。
レギュラーシーズンならそれでいいのだが、一試合あたりの価値が変わるポストシーズンでは、やはりその感覚が必要になるのだ。
一度ビッグイニングを作れば、プロの世界ではおおよそ勝負は決まる。
もっともそこからさらに、逆転するというのもそれなりにあるのが、野球というスポーツであるが。
ホームラン一発で、最大四点が入る欠陥スポーツ。
逆に10本以上のヒットを打ったが、無得点という試合もあったりする。
偶然性がとても高いスポーツだ。
しかし勝利を必然とするために、直史は計算し観察する。
だがそこにかける労力を、大きくしすぎてもよくない。
この試合に全力を出してしまって、次までに回復しなかったらどうするのか。
直史は先が見えすぎるので、そんなことまで考えてしまう。
目の前の試合にさえ、集中していたらよかった時代とは違うのだ。
なんだかんだ言いながら、壊れれば壊れても問題はない、などとずっと考えていた。
しかし今はチームのために、優勝を目指している。
だがそう考えると、ペース配分が重要になる。
ほどほどの力を入れて投げなければ、打ち取ることは出来ない。
しかし充分以上の力を入れるのは、無駄なことになってしまう。
中六日で投げられる、レギュラーシーズンとは違うのだ。
そのレギュラーシーズンについても、今年は充分に余裕があったものである。
二回の表も、直史は問題なくマウンドに登る。
今日はまだ三振を奪えていないが、それでもアウトカウントを取れているので問題はない。
失点しなければもう、今日は勝てる試合なのだ。
だからこそと言うべきか、大介とはしっかり対戦し、封じておかないと次の試合が怖い。
ライガースの他のバッターは、そこまで怖い選手はいない。
あっさりと二回の表は、三人で終わってしまった。
大介は二回の裏の守備に就く。
(今日は三振が少ないな)
直史の場合、平均して1イニングに一回程度は、三振でのアウトがあるものだ。
しかし今日はここまで、一つの三振もない。
打たせて取るのを徹底しているのかもしれないが、球数の節約なのであろうか。
確かにそれもあるが、直史としては第一に、大介対策なのである。
大介に全力を尽くすために、他のバッター相手にはゴロを打たせることを考える。
フライを打たせるよりは、ゴロの方が内野で処理してくれることは多い。
三振を狙うなら三振用の、組み立てというものがあるのだ。
だがそういったコンビネーションは、力の入ったボールが、高度な計算を必要とする。
肉体の疲労もそうであるが、脳に加わる負荷も加えて、両方が疲労なのだ。
このファイナルステージが終わっても、まだ日本シリーズがある。
ただ遠い先のことだけを考えていても、足元でつまづいてしまうこともある。
そのあたりのバランス感覚が、果たして今も変わっていないのか。
自分の力を自分で把握することが、まずピッチャーとしては第一だ。
野手として大介は、いまだにショートを守っている。
この足腰に守備負担がかかるポジションであるが、大介はコンバートなどは要求しない。
どこかで妥協したりすれば、他の部分も落ちていってしまう。
そう考えることによって、巨大な運動量を維持しているのだ。
同じショートでも、悟などはサードに転向したし、緒方などもセカンドにコンバートされた。
ショートというのはそれだけ、過酷なポジションではあるのだ。
ただこのイニングも、二度も打球が飛んできた。
それを大介は飛びついてキャッチして、上手く体軸を使ってファーストへと投げる。
強肩もあってバッターをアウトにする。
実のところ重要なのは、ここで的確に送球するコントロールである。
ショートは不充分な体勢からでも、とにかく投げなければいけない場合が多い。
その場合は足腰ではなく、純粋に肩の力だけで、一塁にまで届くボールを投げるのだ。
コンマ一秒で、アウトとセーフが変わる世界。
そんな緊張感のあるポジションとして、ショートは存在する。
それをしっかりとアウトにして、追加点のチャンスなどは許さない。
ただ他の方向に打たれてしまえば、さすがにそれはどうしようもない。
わずか一点のリードで、三回の表が回ってくる。
ここは確実にバッターでアウトを取って、大介をツーアウトランナーなしという状況で迎えたい。
そのため直史は、少しばかりメリハリをつけて、三振を意識したピッチングをする。
やっと一つ目の三振が取れて、もう一つも内野フライ。
これでツーアウトとし、大介の打席に集中することが出来る。
ランナーとして出してしまっても、点につながる可能性は低い。
ホームラン以外であればいいと、開き直ったピッチングが出来る。
つまり基本的には、沈む球を使っていく。
だが場合によっては高めに、ストレートを投げ込むこともあるのだ。
今日の直史の球速は、まだ145km/hまでしか出ていない。
それでも失点しないのだから、それはそれでいいのだろう。
確かに三振が重要なのは、セイバー上は明らかになっていることだ。
しかし同じセイバーであるならば、イニングを球数を抑えて、七回まで二失点以内という、ハイクオリティスタートを目指していく。
そんなことを考えていたら、いつの間にか完封していたというのが、直史の理想的なピッチングだ。
既に一点の援護はあるが、もっともっと援護がほしい。
終盤に大量リードでもあれば、レックスはリリーフを使っていって、直史を温存出来るからである。
第六戦まで投げなかったとしても、中四日しか間隔は空かない。
この四日間でコンディションを、また完全に戻さないといけないのだ。
なんなら中二日で投げた後、中一日で投げるという、無茶なパターンも想定している。
勝つためなら無茶をするのが、直史のプロ生活である。
故障すれば全てが終わりなので、そこで無茶をしないことも、求められるものではあるのだが。
二度目の大介との対決。
第一打席はシングルヒットで、計算通りに直史が判定勝ちした。
これが昔であればもっと、余裕のある勝利が出来たであろう。
この二打席目も、ホームラン以外は判定勝ちである。
もちろん普通に打ち取れたなら、完全に直史の勝利であるのだが。
緩急を使いつつも、最終的に使うのはスルー。
フルカウントからわずかに、ボール球になるようなコースであった。
これに大介は反応出来たのだが、強く掬い上げることは出来ない。
そして直史の頭の上を越えはしたが、センターのほぼ正面。
完全なライナーという形で、グラブに収まったのであった。
球数は使ったものの、無事に打ち取れたので直史の勝ちである。
点にならないとはいえ、二打席連続で大介に打たれれば、ライガースに勢いがついてしまうかもしれない。
なのでここでは、大介を打ち取りたかった。
しかし勝ちは勝ちでも、絶対的な勝利とは言えない。
あの当たりは少しでも方向がずれていれば、外野の間を抜いていたかもしれない。
完全な勝利とは言えないと、直史は己に言い聞かせている。
ただこれで、大介の三打席目には、楽な状況で挑むことが出来るかもしれない。
ツーアウトから対戦するのが、直史としては楽なのだ。
完全にゴロを打たせることを、意識して投げればいいだけである。
ただ二打席目、そのゴロを打たせるはずのボールが、センターライナーになってしまった。
低めであっても大介は掬い上げ、外野にまで飛ばしてしまうのだ。
下手に低目だけで攻めていっても、それが即ちゴロになるというわけではない。
三回の表まで、球数がそれなりに多くなっている。
大介にも使ったが、大介をランナーに出してしまうと、その後も進塁打までにとどめるように、色々と考える必要がある。
ただこの三回の裏、レックスは一番からと打順が戻ってきている。
ここでもう一点加えて取れたなら、かなり試合は楽になっていく。
だが先頭打者の左右田は、上手く打たされてセカンドゴロになった。
面倒な先頭打者を出さないというのが、ピッチングにおける大前提だ。
そうはいっても一番打者は、そんな厄介な選手ばかり、というのが定番でもある。
左右田も打率はほぼ三割で、そこから出塁率が加算されるようなバッターだ。
この左右田を打ち取ったことで、おそらくほんのわずかだが、大原に油断が生まれたのかもしれない。
二番の緒方から、追加点となるソロホームランが生まれた。
緒方もたいがい、ここぞという時には勝負強いバッターだ。
ホームランはもう少なくなっているが、それでも長打はそこそこ打っている。
わずかでも高めに浮いた、球威だけで勝負しようという球は、そのまま持っていってしまう。
ここでの一点追加は、かなり大きなことである。
(あと一点ほしいな)
大介の打席は、あと二回。
三点差あれば両方でホームランを打たれても、二点までにしかならない。
一番バッターに大介を置いている弊害。
それは大介に、ランナーがいる状況で回ってくることが、あまりないというものであるのだ。
緒方のソロがでても、そこから一気に大量点、とはならないのがレックスである。
またそれはライガースの大原も、崩れないメンタルを長年かけて培ってきたということもある。
中軸相手となるのだが、さらに一本ヒットは打たれたものの、集中力が途切れることなく、一点だけに抑えるのだ。
これはこれで、レギュラーシーズンの中でなら、逆転するための条件と言えるだろう。
今年の大原に勝ち星が少なく、それでいて負け星も少ないのは、こうやって負けている試合であっても、それなりのロースコアで後続のリリーフに回しているからなのだ。
投手戦というわけではないが、かなり淡々とした試合になってきている。
正確にはライガースの打線が、直史に翻弄されているのだが。
しかしその中でも、一本ぐらいはヒットを打たれるものだ。
そうなると次の大介の打席は、ワンナウトの状況で回ってくることになる。
たった一人のスラッガー対策のため、他の全てのピッチングも考えないといけない。
また二点差であればまだ、安心してリリーフに任せることなども出来ない。
試合は中盤に入っていくが、直史はやや球数を多くしつつも、力は出来るだけ抜いて投げていく。
重要なのは数ではなく質である。
あまりにピッチングの内容に厳しいと、負担はやはり大きくなる。
球数を増やしてでも、相手の目先をかわしていく方がいいのだ。
試合は五回までが終わる。
レックスは二点のリードである。
そして六回の表には、大介の三打席目が回ってくる。
これを直史は、どうにかして失点することなく抑えなければいけない。
またあまり大介ばかりに限っていても、他のバッターに打たれるかもしれない。
集中力は体力と、ある程度の関係がある。
体力が少なくなってくると、精神的な疲労もすぐにやってくるのだ。
また脳の疲労についても、糖分をしっかりと摂取していかないといけない。
この試合は間違いなく、いつもよりも疲労度が激しい。
(最後まで投げるとして、最終回にも大介の打席が回ってくるな)
あと一点、どうにか援護してもらえないだろうか。
そう考える直史と対照的に、大原は一点の援護ももらっていないのだが、それに気づいていない直史であった。
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