二章 今年もまた季節が巡る
第11話 今年の開幕
ついに今年も、プロ野球のレギュラーシーズンが始まる。
レックスの先発は、ホームでの開幕戦ということもあり、当然ながら直史である。
もはや存在自体が生きた伝説。
レジェンド・オブ・レジェンドとも言うべきであろうか。
どんなスポーツや競技においても、必ず問われることがある。
それは史上最強は誰か、というものである。
これほど難しい問題はない。
そもそも同時代の中でさえ、野球ならピッチャーかバッターかで判断の基準が違う。
個人競技ならまだしも、集団競技であればチーム力の差で結果は変わるのだ。
だが少なくともその全盛期ならば、直史の名前が筆頭に挙げられるだろう。
基準となる選手が、同時代に多いのだ。
ピッチャーとしてはNPBで上杉、そしてMLBでは武史。
共に沢村賞とサイ・ヤング賞を取りまくった二人より、直史の成績は上なのである。
そしてもう一つの基準が、バッターに対してはどうであったか。
上杉も武史も、無敗のシーズンというものがある。
だが直史はそもそも、ここまでレギュラーシーズンでの敗北がない。
同じくバッターとしては歴代最強の大介が、やはり基準となる。
大介は上杉相手には、かなりホームランを打って勝っている。
また武史に対しても、その対戦成績は悪くない。
直史だけが別格なのである。
NPBでは直史の一年目、レギュラーシーズンとポストシーズンを合わせて、五試合の対戦がある。
15打席1安打で、その一本の安打はツーベース。
試合は全て負けているため、ここは直史の勝ちと言っていいだろう。
そして舞台はMLBに移る。
ここでも直史は、レギュラーシーズンでは無敗であった。
そもそもMLBではリーグが違ったため、ほとんど対戦がない。
MLBでは結局、五年間で四回のチャンピオンリングを取った直史だが、この重なった五年間で、大介は二回しかチャンピオンリングを取れていない。
同じチームになった三ヶ月ほどの間は、メトロズが最強の時代であったと言ってもいいだろう。
そして過去の成績はともかく、去年はどうであったのか。
レギュラーシーズンに限って言えば、16打数4安打。
やや低い打率と言えるだろうが、三本もホームランを打っている。
OPS的には勝った、と言えなくもないだろうか。
ただし試合は全て負けている。
ポストシーズンでは完全に封じられた。
それでもチームは引き分け以上にして、日本シリーズには進んだが。
チームは負けたのに、直史個人は負けていない。
大介をバッターの上限と考えれば、それと対等以上に戦っている直史が、つまるところ一番格上となる。
ただ活躍している期間が短い、ということだけが弱点か。
もっともプロ九年目と言っても、普通のプロなら九年もやっていれば、引退している方が多かったりする。
そこまでやっていれば、そこからはもう少し出来る場合が多いのだ。
41歳のシーズンで、まだ奇跡を求められる。
無茶を言うな、と直史は思っている。
フリではない。さすがに。
それでもなんとか、開幕までにはそれなりに仕上げることが出来た。
神宮球場での開幕戦、相手はカップス。
昨年は大介のバッティングによって、主力が二人も離脱。
そのため結果的には最下位に終わってしまった。
(けれど今年の評価はそれなりに高いんだよな)
無理をするつもりはないが、簡単に負けてしまうつもりもない。
よりにもよって開幕でこれと当たるのか。
さすがにカップスの方は、げんなりとしている。
去年は全く手が出なかった上に、レックスに勝って日本シリーズに進んだライガースの惨状も見ている。
下手に対戦するだけで、一気に調子が落ちてしまう。
そんな魔法のような、それでいて完璧なピッチングをする。
一応は球速が落ちていることは承知しているが。
先頭打者は若手の福田。
一番バッターであるのに長打も打てる、カップスの切り込み隊長である。
チーム内では去年、打率がナンバーワンであった。
そういうタイプのバッター増えたな、と思う直史である。
アスリートタイプというべきか、穴のないバッターだ。
もっとも長打というものが重要なのは、プロの世界では常識である。
OPSが上がっていかないと、中軸は打てないのだ。
どういうピッチングをすべきか、直史には迷いがある。
調整はおおよそ済んでいるが、果たしてそれが正しいのかどうか。
レギュラーシーズンの実戦の中で、それを掴んでいかなければいけない。
(まずは、どうだ?)
ど真ん中に投げた半速球。
それを福田は見逃してしまった。
ミットに収まったボールを見てから、呆然としている。
まあそうだろうな、と直史は思う。
だが迫水はもう、この非常識さに慣れてきたようだ。
ただここはまだ、入り口に過ぎない。
二球目に直史が投げたボール。
それは変化球ではあったが、さほどの変化量もない。
つまるところただの、打ち頃のボール。
もっとも福田はこのボールに対して、力んだスイングをしてしまった。
ぼてぼてのゴロが、丁度よくショートの正面へ。
まずは内野ゴロでアウトを取って、直史らしい立ち上がりである。
力の全く入っていないボール二つで、先頭打者からアウトを取る。
なんとも直史らしい、と思わない人間もいる。
それはキャッチャーの迫水だ。
去年一年、ほとんどを直史と組んでいたため、そういう感想になる。
(ひねくれすぎている)
直史はもっと、ほどほどにひねくれたピッチングをする。
あまりに異質なピッチングをしていると、逆にそれは見抜かれてしまう。
ほどほどのひねくれたところへ。
あえて最善を選ばず、次善を選ぶことがある。
そうでなければ最善だけを投げていけば、予想されてしまうのだ。
今の直史はひねくれすぎていて、もう少しすれば通用しなくなる。
(そういうことも全部計算してのことなのか?)
二番打者への初球は、インハイへの際どいボールであった。
だが二球目はスローカーブ。
球速差が40km/h以上ある。
見逃したスローカーブの後には、アウトローへのストレート。
135km/hしか出ていなかったそのボールを、空振り三振。
これでツーアウトを取った。
(なんだからしくないけど、だからこそいいのか?)
直史らしさ、というのはまた一つの型にはまったものだろう。
全てから自由になって、投げてほしい。
体がまだ完全には動かない。
そしてあの領域に踏み込むわけにはいかない。
ならば直史はどうしているのか。
ほんの一瞬だけ、世界を広げる。
とても不充分なものではあるが、それでもどうにかピッチングにつなげることが出来る。
別にパーフェクトなどは目指していない。
ただ、目の前の一勝がほしいのだ。
一年を通じて、そういったピッチングをしていこう。
平凡なピッチングである。
それにカップスが気づいたのは、やっと二巡目になってから。
そこからやっとヒットが出始めた。
もっともそれまでの間に、レックスは既に点を重ねている。
(やれやれ、今年はどうにか楽が出来るか)
キャンプから、ピッチャーの質全体を上げていった成果であろう。
直史は六回までを投げて、一失点のお役御免である。
見ていた観客の方は、もちろん物足りない。
だが後に試合を見ていた真琴は、これがどういうことか分かった。
ピッチャーとして投げていたのではない。
もちろん直史はピッチャーであるが、この配球は特別なものだ。
即ち、キャッチャーを育てるためのコンビネーション。
昇馬のボールを受ける真琴は、相当にキャッチする腕が痺れる。
それに奪三振を狙っていくより、打たせて取る方が効率がいい。
入学前に練習に参加した真琴は、白富東には今、昇馬のボールが捕れるキャッチャーがいないことを確認している。
別に下手なわけではなく、とにかく人間の投げる150km/hに対応できないのだ。
そしてこの緩急で、完全にスタミナを温存して投げるのは、真琴にも向いている。
シニアまでは七回制であったイニング数が、高校からは九回のフルイニングになるのだ。
それを考えなければいけない。
球速はともかく、ピッチャーとしての総合力は、真琴が上級生の男子を合わせても、チームで二番目の実力であった。
もっとも普段はキャッチャーをやって、ピッチャーもやるというのは負担が大きい。
他にやれる者がいないので仕方がないのだが。
(お父さんは私に見せるために、このピッチングをした)
真琴はそう捉えている。
果たして直史はどう考えていたのか。
レックスのリリーフ陣は、見事に役割を果たしている。
打線が五点も取っているので、ここは無理をする場面ではない。
だがレックスは、ここまで正式なクローザーが決まっていない。
シーズンの序盤で試してみて、一番適している者を正式にする、という泥縄具合である。
もっともこれはクローザーがいないのではなく、クローザーの素質がある者の中から、誰を選ぶかという幸福な選別だ。
七回を終え、八回を終える。
ランナーを出しても失点をしなければいい。
そう割り切って投げられるのが、セットアッパーとしては重要だ。
ただクローザーとは重要度が違うとされるので、年俸を上げるのが難しい。
中継ぎの中でも本当のセットアッパーは、投げる場面が変化するので、かなり重要であるのだが。
そして九回がやってくる。
じゃんけんの結果であった。
大平がマウンドに立っている。
育成枠で取ったはずの選手が、開幕までには支配下登録に入り、さらにベンチ入りして開幕戦のクローザー。
なんと夢のある話であろうか。
もっとも点差が五点に広がっている今、セーブは付かないが。
それは大平には関係はない。
直史はかなり、大平を鍛えたつもりだ。
だが結局ピッチャーというのは、実戦のマウンドでどういうピッチングを出来るかが問題なのだ。
開幕戦という舞台で、あえて投げさせてみる。
それでどういう結果が出るのだろうか。
「う~ん」
「う~ん」
「「う~ん」」
なかなか首脳陣が困るピッチングをしてくれる。
もちろんこの点差でも、下手をすればフォアボール連発ということも考えられる。
しかしフォアボールの後に、すぐに三振。
ランナーを三人フォアボールで出しながら、アウトは全て三振で終わらせた大平である。
極端すぎるピッチングである。
とりあえず首脳陣としては、なんとも困るものではあったが。
「WHIPはひどい数字になりますね」
「まあ、そうだなあ」
直史の指摘に、貞本としては確かに頷く。
だが三振でアウトを取れるというのも、確かに魅力なのだ。
一応バットにボールは当たっていたが、まともには飛んでいかなかった。
そして最後には三振なのだ。
球数が多すぎるな、というのが直史の評価である。
1イニングで30球も投げてしまっていれば、消耗はそれなりに激しいはずだ。
そのあたりはトレーナーなどにマッサージもしてもらって、確認してもらう必要があるだろう。
「大枠だけを考えれば、理想的なものかな」
直史の台詞である。
確かに先発が6イニングを一失点で投げて、リリーフは一点も許さなかった。
これは確かに、理想的な試合であろう。
序盤に先制して、そのリードを広げていく。
継投によって対戦相手の狙いを絞らせない。
本当にもう、先発完投型の時代ではないのだな、と去年23回も完投している直史は思う。
去年の場合は、そもそもパーフェクトが必要であったからと、沢村賞も狙っていたからであるが。
(まあ、広大の実績も、今はこれでいいか)
フォアボールを出したが、球を置きにいってはいない。
直史としてはかろうじて合格点だと思う。
その大平は、頭から湯気を出しながら、ベンチに戻ってくる。
「なかなか極端だったな」
「ははは! でもこれでまずは1セーブですよ!」
「ん?」
「え、何か?
「リードがありすぎる場面では、クローザーでもセーブはつかないぞ」
「え」
その通りである。
セーブがつくには、いくつかの条件がある。
・勝利チームで最後まで投げ切ったピッチャー
・勝利投手の記録を得ていない
・1アウト以上の投球回を記録すること
・リードを守り切った状態で試合を終えること
この四つの条件を守った上で、さらにまだ条件がある。
・三点差以内のリードで登板し1イニング以上投げる
・二人のバッターに連続でホームランを打たれたら同点、逆転となる状況でリードを守り切る
・3イニング以上投げてリードを守り切る
この三つの条件のどれかを満たさなくてはいけない。
今回大平の場合は、五点もリードをもらった状況で登板している。
当然ながらセーブポイントはつかない。
「知らなかった……」
「いや、逆にどうして知らないんだよ!」
味方投手陣からさえ、ツッコまれている大平である。
さすがに実戦から離れていただけのことはある。
……そういう問題でもないのか。
技術的に色々と問題があった大平であるが、むしろ不足しているのは座学の方かもしれない。
守備は意外と、反射神経がいいのでキャッチするところまでは問題ない。
送球ミスというのは、少しあるのだが。
(俺の場合もファンブルから焦って送球ミスが多かったからなあ)
今日の試合はとりあえず、守備の必要がなかった。
三振とフォアボールの数を、どう評価するべきか。
単純にメカニックの改善で、コントロールは良くなるだろう。
だがゾーンの中に集まりすぎるコントロールだと、それはむしろ相手に狙われるだけだ。
球数を減らすために、ゴロを打たせる落ちるボールは必要だ。
今はスプリットがあるが、チェンジアップでも構わない。
本日の直史の投球内容は、6イニングを投げて打者22人に四本のヒットを打たれて、一失点というものである。球数は80球も投げている。
フォアボールとエラーはなく、相手が上手く進塁して、ヒットを重ねたのだ。
もっとも試合自体は完全に、終始こちらがリード。
全く負ける気配がない試合であった。
かつての投手王国時代には、さすがに戻らない。
あれは天才的なキャッチャーがいたからこそ、成立していたものであるのだ。
だが天才的な……異能のピッチャーが、人間にも理解出来る程度の説明をする。
それによって格段に、全体のレベルが上がるのも確かだ。
たった二ヶ月のキャンプかと思うかもしれないし、既に完成されているのがプロの選手とも言えるだろう。
だが着眼点を変えただけで、その力は圧倒的に上がる。
開幕戦を考えていたスタイルで、完全に勝利する。
まだまだシーズン戦で試したいピッチャーが何人もいる。
そもそもローテーションが、完全に決まっているわけでもない。
あと一人は、色々と順番で投げさせていく。
レックスの今は、そういう状態なのである。
長いシーズンの中で、チームを育てながら勝つのだ。
育成ならば貞本などの本領が発揮出来る。
開幕戦はやはり、特別な試合の一つではある。
その開幕戦において、エースがしっかりと投げた。
余裕を残して若手にリリーフを経験させ、試合でもしっかりと勝利する。
まさに王道の展開と言えるだろうが、いまだにこれは検証の途上にある。
それが分かっている貞本は、インタビューにも言葉が少ない。
一応は勝利投手の直史にしても、今日は喋るべきことがない。
とにかくキャンプからやってきたことの延長を、実戦で試しているだけなのだ。
プロ野球は落としても挽回できるのだから。
大阪ドームの対決は、まさに開幕からの試合では、一番痺れるものであったのかもしれない。
スターズの先発は、大方の予想通りに武史。
地元開幕ではなく、そのまま開幕戦に持ってきた。
相手が去年のセ・リーグ覇者のライガースと承知の上である。
これはライガース相手に、正面対決を挑んだ、ということであろうか。
違うだろうな、と大介は冷静に考えていた。
上杉と武史、同じパワーピッチャーではある。
右腕と左腕という違いはあるが、どちらもとんでもないスピードボールで、三振の山を築く。
だがこの二者の間には、大きな違いが存在する。
ピッチャーとしての性能ではなく、もっと根本的な問題だ。
それはあるいは致命的な問題かもしれない。
野球というスポーツに対する、愛情や郷愁の感情である。
上杉は野球においては、常に真剣勝負と考えて投げていた。
だからどの場面でもシリアスにコンディションを保ち、崩れるということがなかったのだ。
武史もそれほど、大きく崩れるということはない。
だが試合の中で時間をかけて、ようやくメンタルが試合向けになっていくという、かなりの問題を抱えてもいる。
ライガースのホームゲームなので、先攻はスターズとなる。
ライガースの先発は、去年も先発を務めた畑。
開幕戦の大事さは、当然ながら分かっている。
しかも対戦相手が、ポストシーズンで対戦するかもしれない、スターズであるのだ。
(味方が点をとってくれるかどうか)
そのあたりが懸念となってくる。
武史も自分の器は充分に分かっている。
大介とはワールドシリーズで対戦するまでもなく、サブウェイシリーズで対決することがあったのだ。
どちらが上かというと、大介だなと素直に認める。
もっとも実際の対戦成績では、武史はかなり健闘しているのだ。
同じリーグの同じ地区のチームなど、大介をまともに相手に出来ない。
それでもある程度対決が成立するあたり、野球はショーである。
観客を魅せてこそ、興行として成立するのだ。
パワーピッチャーと強打者が対決すれば、そこに注目されるのは当たり前だろう。
もっともそのあたり、武史は本当に割り切っている。
勝負をする場面と、避ける場面があるのだ。
(先取点は取れなかったか)
スターズはかなり、一回に得点するタイプのチームなのだが。
それでも確実なことなど、野球にはないものだ。
これでまず、リードした状況で大介と戦う、ということが出来なくなった。
マウンドに向かう武史であるが、色々と考えることがある。
とりあえず自分は、上杉とは違うと示す。
ライガースは二番に大介を置いている。
先頭打者は絶対に、出してはいけない。
(ツーベースでも打たれたら、敬遠に躊躇がなくなるんだけどな)
そんな打算があるのが、武史であるのだ。
ピッチング練習をするが、それは見るからに速い。
そんな160km/hオーバーのストレートが、低めに集まっている。
もっとも武史としては、下手に低めに投げるのは危険だと、MLBでの経験から学んでいる。
ストレートを投げるなら高めだ。
その布石を先頭打者相手にまずは打っておかなければいけない。
(普通にアウトは取らないとな)
先頭打者の和田は、三球三振。
全ての球が165km/hを超えたボールであった。
ワンナウトランナーなし。
この状況からでも、一人で一点を取ってしまうのが、大介である。
武史は武史なりに、状況をしっかりと認識している。
(開幕戦で、場所が甲子園じゃないっていうのが、まだマシなのかなあ)
スタンドの観客はおそらく、九割がたはライガースファンであろう。
それがこのナンバーワンパワーピッチャーと、ナンバーワンスラッガーの対決を見守っている。
期待されているな、と武史は分かっている。
上杉ならここは、確かに勝負をしていくのだろう。
しかし武史は、ここでボール球から入る。
それでもMLB時代の大介なら、バットを振っていたかもしれないが。
(去年のファイナルステージ最終戦、低めの明らかなボール球をホームランにしてたよな)
武史ならばあそこには、絶対に投げていなかった。
武史はMLBでも大介と同じチームにいた頃がある。
やがて年俸の問題から、同じニューヨークのラッキーズに移籍したが。
あの時は叩かれかけたが、どうせ移籍するなら同じニューヨークにいたかった、という言葉でそれは沈静化した。
チームは違っても、同じニューヨーカーと意識されたのかもしれない。
本人としては知らない街にまた行くのが、面倒なだけであったのだが。
ただそこで、大介を封じるにはどうすればいいのか、おおよそは分かっている。
簡単な話で、勝負をしないか、打たれても大丈夫な場面で勝負するのだ。
そう考えた武史は、決定的な一打を打たれないようになった。
単純なホームランであれば、それなりに打たれていたいのだが。
この場面でも主に、投げたのは外の球と高めの球。
そして完全にワンバウンドするチェンジアップだけである。
つまり、敬遠ではないが実質敬遠とも思えるフォアボール。
武史は身の程を知っているのだ。
凄まじいブーイングの中も、武史は淡々と投げている。
ランナーとして大介を出したが、サウスポーの武史からは走りにくい。
速球主体の武史と組んでいるのは、リーグナンバーワンキャッチャーとも呼ばれる福沢。
かなりのベテランになった今も、盗塁阻止率は高い。
動けない大介を見つつ、武史は後ろのバッターを適切に処理していく。
三振でツーアウト目を取ってからは、大きな変化球も使っていく。
最後にはチェンジアップを投げて、これでスリーアウト。
狙ったわけではないが、アウトは全て三振であった。
ちょっと都合がよすぎるかな、と武史は考えている。
大介が盗塁をしかけてこなかったというのも、かなり意外ではあった。
義理の兄弟とはいえ、二人の間には変に遠慮したところはない。
ただ武史は、あの二人を一人で引き受けた大介に対して、畏敬の念を感じてはいるのだが。
(本当に勝負するのは、勝負しなければいけない場面だけでいい)
武史はドライに考える。
スターズベンチもこの様子を見て、たいしたもんだと感心する。
もっとも武史に言わせれば、大介とまともに勝負すること自体が間違っている。
あれとまともに戦って勝てるのは直史と、せいぜいが故障前の上杉であったろう。
その上杉は無理をしすぎて、選手生命の限界を迎えた。
武史としてはもう引退してもいいのだが、ここまで粘ると息子とのプロでの対決が現実的になってくる。
そこで父親の威厳を見せてから引退というのが、一番いい去り方であるかな、などとも考えている。
本当に考えすぎる男である。
ライガースは武史の前に、全く手が出ないというわけではない。
二回以降にはちゃんと、ヒットも出ている。
だが連打で得点、というのにはあと一歩が足りない。
そして武史は大介の二打席目には、明確に申告敬遠で勝負を避けた。
これはランナーがいたので仕方がないと言えるだろう。
ただダブルプレイも狙えた状況で、わざと一塁のアウトだけを取ったようにも見えたが。
その間にスターズは、二巡目から点を取っていった。
まずは一点を取って、試合の流れをこちらに向ける。
武史は安定したピッチングをしているので、フォアボールがなかなか出ない。
それだけに大介の最初の打席では、あのフォアボールがわざとらしいと思われる。
実際に計画通りであったので、誤解も何もない。
武史はただ淡々と、試合を進めていくだけだ。
それが今なら可能になっている。
なんだかんだと甘いところがある武史だが、さすがに経験値は莫大なものになっている。
ピッチャーに主導権がある以上、野球は常にピッチャーにとって有利なスポーツであるのは間違いないのだ。
ライガースは大介の後にも、それなりのバッターを揃えている。
だが武史から安定して、ヒットを打てるような実力とまではいかない。
MLBの高打率スラッガーに比べれば、ずっと対処のしやすい相手だ。
わずかにヒットは打たれるし、ランナーも出る。
だが失点しなければそれでOKなのだ。
リードが増えたところで、やっとランナーもいない状況で、大介との対決となる。
ここで逃げたらボコボコにするぞ、という雰囲気がスタンドに満ちている。
すると武史としても、勝負しようかというつもりになる。
ホームランを打たれてしまっても、この流れは変わらない確信がある。
クレバーというか、MLB的なピッチャーになったな、というのが大介の印象である。
NPBとMLBの大きな違いの一つには、ポストシーズンの扱いというものがある。
NPBは比較的最近まで、リーグ優勝したチーム同士で、日本シリーズを戦ってきた。
しかしそれに対してMLBでは、ポストシーズンこそが本当の戦いだ、という意識がある。
レギュラーシーズンとポストシーズンでは、注目度も戦い方も違う。
武史の割り切り方は、それを学んだものであろう。
また二打席目はともかく一打席目などは、まだ肩が暖まっていなかった。
なので勝負を避けられるのは、仕方がないと大介は考えていたのだ。
しかし実際のところは、上手く勘所を避けられて試合を展開してきた。
武史ばかりの頭脳ではないと思うが、思考の傾向はMLB的である。
レギュラーシーズンの最初の開幕戦から、こういった試合を見せてくる。
今年のスターズはこう戦うのだと、まるで決意表明でもするかのように。
大介との勝負。
しかしここでは、大介の方が集中力を欠いていた。
スターズが今シーズンは、こういった戦い方をするのだろうか、という考えもしていたことである。
おかげで打ち上げたフライは、センターの守備範囲内。
外野フライで凡退という、なんともつまらない結果になってしまった。
(166km/hか)
オープン戦ではもっと速いボールを投げていたはずである。
ピッチャーの冷静さというか、武史に変に期待しすぎないところが、この結果につながったと言えるだろう。
ベンチとしても大介の対策は、しっかりと考えていたのである。
出塁数は二回と、立派なものである。
だが勝負してもらった二打席は、両方ともが外野フライに終わったのであった。
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