第27話 幸せな夢
「何!?」
重苦しい黄緑色の煙が、勇者の体に纏わり付いた。焦げる臭いと酸っぱい匂いと青臭い匂いが混ざり合い、ソレイユの鼻を貫く。
悪臭とも言える煙が充満すると、もう二人の周りは何も見えない。
ソレイユはその煙の中、口を抑えて優雅に立っていた。
この正体不明の
試験管に入っていたのは、ガランジャという植物の葉である。バル・ガラクタやガラガラ食堂でよく使われている独自のハーブだ。少しでも口に入れると、その人間は忽ち虜になってしまうのだ。そして、その甘美な魅力に、人間はこのハーブを貪欲に求めるようになるのだ。
では、このハーブを燃やした煙を吸い込むと、人間はどうなるのか。
煙が少しずつ消えていき、夜空とモニュメントがソレイユの視界に戻ってくる。
そして、煙の隙間から見えた勇者は、剣の刃を力強く抱きしめていた。
「十三番、十三番、捕まえたぞ! もう離さないからな!」
剣の刃で腕が切れているのも気づかず、血を流しながら楽しそうに叫ぶ。多分、彼女の目には都合の良い夢が映し出されているのだろう。
ラガンジャの煙は、「心の底から願う幸せな夢」を一時的に見せる。ソレイユも訓練する前は、何度だって幸せな夢を見たものだ。
煙を吸い込んだ勇者にとって、その幸せな夢が十三番と勇者になることだったのだろう。
ソレイユは気色悪いといった顔で、遠目に眺めていた。
「さあ、私と共に魔王を倒そう!」
「そして、世界に平和を!」
希望に満ちた表情で、剣に話す勇者。幻覚を見ている勇者は興奮しており、表情は恍惚に満ち溢れていた。
そんな勇者の背後に、急に誰かが現れ立つ。
「そろそろ、お帰りの時間ですよ。世界より先に俺たちに平和を齎してねぇ?」
シルクハットにピンク色のスーツ。そして、輝くばかりに美しい顔の男は、勇者の首に手を当てた。ビリッと電流が流れたとともに、勇者の体はがくんと崩れ落ちる。床に転がった勇者は、白目を向いていた。
無慈悲なことに気絶させた男の視線は転がっていた勇者ではなく、ソレイユへと向けられていた。
「お姫ちゃま、ボロボロじゃないかぁ」
「ラブリィちゃぁん! ごめんなさい。まさか、剣に炎纏わせてくると思わなくてぇ」
心配そうな様子の男は、勇者をわざと踏みつけた後、ソレイユの方へと足を向ける。勿論、ソレイユもラブリィに駆け寄り、思いっきり泣きながら甘え声を出した。先程の鬼気迫る様子はもうない。
「よしよし、お姫ちゃまは悪くないよ。さっさとこの転がった
落ち込むソレイユを、男はよしよしと彼女の頭を撫でて慰めた。それでも、ソレイユは落ち込んでるのか泣き続ける。
暫し彼女をある程度慰めた後、男は勇者の胸元にあったネックレスを確認した。
「まだ、使えそうだねぇ」
ポツリとつぶやき、すぐに直し始める。その指の動きは全く見えないほどに手際よく、人間業ではない。本当にあっという間にネックレスを直したのだ。
「転移陣、使っちゃいまぁす! さあ、どっか島国辺りまで行ってきゅ〜!」
楽しそうに笑った男は、転移陣を起動させる。光はまた勇者の身体を包み込み、少しずつ勇者の身体は大気に消え始めた。
「十三番は、私のだ! ハハハハハッ!」
未だ夢現の中にいる勇者の高笑い。ソレイユと男の耳、アタノールの夜へと大きく響き渡る。それを最後に、勇者は光の塵となって消えていった。
ソレイユは勇者の不気味さに、思わず右手に鳥肌が浮き立ち、体からどっと汗が吹き出した。
既に傷だらけの身体は立つのもやっと。ぐらりと傾いたバランスも取れないほどに限界だった。
「お姫ちゃま、大丈夫?」
しかし、ソレイユが倒れ込む前に、男によって体を支えられる。
まるで演劇のワンシーンのよう。美しい夜空の星よりも輝く男の顔を見ながら、ソレイユはヒューヒューと苦しそうな呼吸を繰り返す。答えないといけないのに、言葉にならない。上手く体に力が入らない。男も気づいたのだろう、微かに動くソレイユの唇に人差し指を当てる。
「無理しないで、俺が直すから」
いつものおちゃらけた雰囲気を無くした男は、静かに苦しそうに表情を崩し、まるで深い海の底のような瞳に涙を溜める。
こぼれ落ちる艶やかな雫は、ソレイユの頬を濡らした。
泣かないで、そう手を伸ばしたいのに伸ばせない。ソレイユは悔しく思いつつも、ついに意識を失った。
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