悪女とろくでなしの錬金街笑譚

木曜日御前

EP1.機関車は笑う

第1話 疲弊した少女


 気持ち悪い。疲れた。もう死にそう。


 夕暮れ時の駅舎の隅で床に座り込んだ薄汚れた少女は、嗚咽が止まらないのを整えようと呼吸を繰り返す。ただでさえ、体調が悪いというのに、この街特有の硫黄とモノが焦げる匂いが止めを刺してくる。

 駅舎はとても狭いのにも関わらず、有象無象の人間が犇めき、息苦しい空間だ。

 ほとんどの人が途方に暮れた表情をしながら何かを待っていた。何故なら、彼らが乗ろうとしていた電車が、いつまでも駅に


 歩き疲れた少女はなんとか少し顔を上げる。彼女のもたれ掛かる壁には、一枚のポスターが貼られていた。


『夢追い人が集う錬金の街 アタノールへようこそ』

 カラフルで艷やかな真新しいポスターは、汚い駅舎にはとことん似合わない。ポスターに描かれた夢や希望に溢れた絵も、なんとも言えない違和感がある。


 そうか、私も、夢追い人か。

 少しばかり笑った彼女は、ぼろついた革鞄の持ち手をぐっと握りしめた。鞄の中には着替えと、なけなしのお金で買った包丁が入っている。生きるために始めた料理屋の下働きだったが、店を構えるおいう大きな夢となって、切符と包丁分のお金を貯めてここまで来たのだ。

 この街ならば、自分の店を持てるかもしれない。

 大きな挫折をしてから、やっと見つけた新しい夢が叶うかもしれない。

 僅かな希望に賭けて、彼女は何時間もひたすら線路の上を歩いてきた。足はもちろん、身体の至る所が痛い。また、地味な顔も、解けボサボサな髪も、ツギハギで作られた服も、使い古した鞄も、見てられないほどに土やらなんやらで酷く汚れている。


「あっ」

 ふいに目眩がし、上体がぐらりと揺れて、ゆっくりと頭が下がった。急な動きのせいか、胸のポケットにしまっていた一枚の紙が、足元にひらりと落ちる。それは、本来ならばここまで乗ってくるはずだった列車の切符であった。切符の額面には、ソレイユ・ドンローザ、名前と、が印字されている。少女改めソレイユは切符をすぐに拾い、胸元のポケットへと隠し入れた。


 疲れた。眠い。でも、ここで寝たら追い剥ぎに会うだろう。人混みはスリにとって格好の餌場。特にソレイユのような気弱そうに見える女性は、豚がリンゴを咥えてきたようなものだろう。ああ、早く宿に向かわねば、でも、もう足が動かない。


 もし、ここでへこたれたら、。そうしたら、夢は叶わない。

 人生で最も嫌な記憶を思い出し、ソレイユはぐっと悔しさ任せに立ち上がる。そして、すでに痛みで爆発寸前の足をゆっくり進めた。

 しかし、現実は優しくない。すぐにどんと後ろからの衝撃で突き飛ばされ、また床へと崩れ落ちた。


「ちんたら歩くんじゃねえよ、ブス」


 酒やけしきったおっさんの罵声がよく響く。「ブスではない、地味だ」と思わず言い返そうと振り返るが、すでに犯人は駅の雑踏の中へと消えていた。立ちあがろうとするが、通り過ぎていく大勢に何度も突き飛ばされ、床へと転がされる。

 その間も、「邪魔だ」「どけ」と、心無い言葉が容赦なくソレイユに降り注がれた。それでも何度も立ち上がる彼女だったが、また床に倒れると、今度は容赦なく手の甲を踏まれた。


「ァアッ!」

「早く起き上がりなさいよ、クズ」

 鋭く苛ついたおばさんは、早口で吐き捨てていく。ヒールの方ではないのが幸いだが、爪先部分で踏まれるだけでも、彼女の手を赤く腫らすには十分だ。おばさんを下から睨むが、そんなものは一瞥されて終わりだ。手を引っ込め、逆の手で腫れ上がった患部を撫でる。ただでさえ、あかぎれや包丁等の傷だらけの汚い手をしているのに、更に醜い手になっている。頑張ってきた証だと、自分で言い聞かせていたが、今はもうそんな元気もない。


 床に転がるソレイユは、彼らにとって憂さ晴らしの道具にしか見えてないのだろう。彼らは、自分より弱いものを嗅ぎ取る力に優れているのだから。本来ならば気の強い方のソレイユも、この体力尽きかけた身体では抗うことは難しかった。

 怒りなのか、悔しいのか、悲しいのか。ソレイユの瞳からは涙が溢れ、必死に歯を食いしばった。

 そんな時だった。


「おや、お姫様、王子様を探しで?」

 芝居がかかった口調と、耳に残るほど溌剌とした良い声。それと共に、突如として差し出された手に驚きながら、ゆっくりと顔をあげる。

 私の、世界が変わる。ソレイユは人生で初めて、世界を眩しいと思った。


「はは~んどうやら、王子様じゃなくて、お医者さまを探してるかな。運が良いね〜俺はドクターなんだよ、人間の笑顔専門の、コメディアンなドクターさ。ハッハッハ!」

 見れば見るほど、わざとらしい大根演技。おちゃらけた口調と寒い言い回しは、ソレイユが一番苦手だったもののはずだ。しかし、それを上回るほどの衝撃。


 なんて、美しい顔なのか。

 はくはくと口を動かすソレイユは、じっと彼の顔を見つめる。いや、その顔から目を話すことが出来なかった。

 彼もその視線に気づいたのか、優しく微笑んだ。


「お姫様、から逃げてきたのかな。お疲れ様だったね」

 彼の優しい言葉に、ソレイユは小さく頷く。本当は声を出して返事したかったのに、今の喉からはまともな声が出せそうにない。

 そう、彼の言う通り、ソレイユが途中まで乗っていた列車は、魔物に襲撃されたのだ。

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