ひよこ殿下……。婚約破棄ごっことか「俺様になって」とか、お戯れもほどほどになさいませ

黒星★チーコ

第1話 前編


 ジェレミー殿下のドレスの袖口から伸びた美しく白い右手が、持っていた紅茶のカップを実に優雅な動きでソーサーに置いた。次いでその同じ手がやはり優雅な動きでつい、と上げられに真っ直ぐ向かって指をさす。


「オクター。そこへ直りなさい!」


 こうなると殿下の婚約者という立場として、僕は嫌々でも付き合うしかない。


「はい、ジェレミー殿下」

「本日この時、私とあなたとの婚約は破棄致しますわ!」

「はあ」


 僕の気の抜けた返事に、殿下の柳のような美しい眉が歪む。


「ねえ! そのやる気のない返事は何? もうちょっとちゃんと相手をしてよ。ふざけてるの?」


 僕は溜め息を吐きながら、二歳年下、まだ12歳の婚約者を改めて見た。

 雪のように白い肌はふっくらとした頬だけが薔薇色に色づいている。結わずに背中に流しているたまご色の細い髪の毛はふわふわと自然にカールしていて、触れれば溶ける繊細なわたあめのよう。オレンジに近い赤色に艶めく唇は天然のそれで口紅要らずだし、僕を睨み付けている若葉色の瞳は削りだした橄欖石ペリドットかと思うほど煌めきを放っていた。

 その美しさは見るだけでこちらの心が乱されるほど。ああ、まだ黄色いひよっこの癖になんでこんなに色気があるのか。


 殿下はまるで人形つくりもののように美しい。……いっそのこと人形ならどんなに良かったか。外側とのギャップの極致であるキチ●イピーーな中身に頭を痛めることもなく、ただただ眺め、そして着せ替えて愛でてと存分に楽しめるのだから。


「殿下こそ、お戯れもほどほどになさいませ。場所が場所なら大騒ぎになりますよ」


 ジェレミー殿下は薔薇色の頬をぷくっと膨らませる。


「だから場所をちゃんと選んでやってるじゃない。ほんとは夜会で言ってみたかったけど!」

「それはごっこ遊びの域を越えています」


 ここは鳥人の国。僕達は今、その中心である王宮の中庭にある四阿ガゼボでお茶会の最中。殿下と僕は婚約者として月に一度はお茶をする約束になっている。今日はその約束の日で、僕は殿下から贈られた絢爛豪華なたまご色の燕尾服に袖を通し王宮に馳せ参じた。今ここには僕達二人と、お茶を給仕してくれる侍女達しかいないのだから婚約破棄ごっこもギリギリ許される。


 先日、とある夜会で伯爵令息が婚約者に婚約破棄を突如叩きつけたというセンセーショナルな出来事があった。その後、愚かなことに彼の真似をして自身の婚約を反古にした下位貴族もいるとか。最近は噂好きの貴族が集まるとその話題で持ちきりになる。王族でありながらゴシップや噂話が大好きな殿下はどこからかその話を聞きつけ、「ごっこで良いから婚約破棄を宣言してみたーい」とのたまっ……ゴホン。仰せになられたのだ。


「つまんなーい。オクターったらノリが悪いんだもん!」

「ノリが悪いも何も、ノレる訳がないでしょう。僕の立場ではたとえ冗談でも婚約破棄など恐ろしくて受け入れられません」


 今この婚約が白紙になったとしたらとんでもない事になりそうだ。未熟な僕にはまだ政治の世界はわからない。けれど父であるスワロー侯爵への影響は小さいものではないだろうし、何よりもこの見た目は麗しく中身は【自主規制】バキューンな殿下の手綱を抑えられる新たな婚約者候補などいるだろうか?


「ん? オクター。今、私の悪口を頭の中で考えなかった?」


 ぎくっ。殿下は時として野生の獣かと思うほどカンが鋭くなる。僕はすました顔をして、先日読んだ恋愛小説の一節をそらんじてみせた。


「いいえ、とんでもない。僕の美しい小さな姫様に愛以外を思うなどあるものですか」


 殿下はピヨピヨピー! とでも言いそうな黄色い声で笑いだす。


「きゃはははは! 今のは良いね! そういう事にしておいてあげる!」


 殿下は楽しそうに笑いながら長椅子に敷き詰められたふかふかのクッションへ、ボスンと音が立つほど乱暴に倒れ込む。大袈裟に足を上げたものだからドレスの裾が空気をはらんでふわりと膨らみ、中のドロワーズの裾がチラリと見えた。……見えてしまった。うわっ。ドロワーズを履いてるなんて!


「殿下、はしたないですよ」

「いいのいいの。どうせ私は『うつけ殿下』だから。それより、しっかり見たでしょ? オクターのえっち」


 僕の頬にカッと血が上った。えっちって! 言うに事欠いて!! ていうかアナタに言われたくない!!


「殿下!! お戯れを……!!」

「あははっ! ごめんごめーん。ちょっとからかいすぎたかな?」


 ああ、もう本当にこの「うつけめ!」と罵ってやりたい!!……だめだめ。誰かに見咎められでもしたら不敬罪になりかねないし、何よりこのク●ッタレピーピー殿下は罵られたら喜びそうだもの。

 オクター落ち着け、深呼吸だ。ひっひっふー。ひっひっふー。


「なにその呼吸法。面白いね」

「最近学びまして。出産時に良いそうです」

「ふうん。役に立つといいねえ」


 殿下は頬杖をつきながらニヤニヤしてそう仰せになった。もうイヤ! この人の相手するとめちゃくちゃ疲れる……。サッサと帰ろう。

 僕はカップに残された紅茶を飲み干すとニッコリと微笑み、いとまの挨拶をしようとした……が、殿下はまた野生のカンでそれを察知したのか、微笑んだ瞬間に先手を取られてしまう。


「オクター、ダンスがしたくなったからちょっと付き合って」

「は、ダンスですか」

「そう、今すぐ。あなたと。ココで」


 殿下は中庭の芝生を指差す。ご丁寧にも今すぐあなたとココでって、ダンスの先生を呼びましょうとかまた後日って逃げ道をぴっちり塞ぎに来てる。このワガママ王族め!


「……わかりました」


 僕は諦めて立ち上がった。ワガママと言ってもダンスくらいなら可愛いものだ。以前、金で成り上がったフォアグラ伯爵が更に成り上がろうと殿下にすり寄った時など酷いものだった。

 殿下は「じゃあ黄金の葉と真珠の実をつけた銀の枝を探してきて」と仰せになった。その伯爵は装飾品職人に命令してなんとか1ヶ月半ほどかかって物を作らせたは良いが、それを献上しようと見せたところ殿下は何と言ったと思う? 恐ろしいことに「ん、そんなこと言ったっけ? 昔のことだから忘れちゃった! そんなの要~らない!」と言い放ったのだ。


 まさに陰の渾名「うつけ殿下」にふさわしい振る舞いだと思う。これが国を治める王族のひとりだなんて頭が痛くなりそうだが、幸いにしてジェレミー殿下には実に秀でた兄殿下がいらっしゃる。立派な冠と、虹色の長い尾羽と、全ての兵士の目を覚ます鬨の声を持つ見事な鶏の鳥人だ。彼が未来の国王の予定なので国を憂う必要はない。


 一方、なかなかひよここどもから成体おとなの姿になれず、毎日毎日ピヨピヨピーと馬鹿な言動を繰り返すジェレミー殿下はすこぶる評判が悪い。僕とスワロー家はハズレを王家に押し付けられたと周りから思われている。

 ……まあ僕はハズレだとは思ってないけどね。


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