第三話 迫りくる大牛
赤銅のぼさっとした長髪をなびかせてターハが現れた。
その後ろにはたくましいラバサルの体と、華奢なニントルの姿もあった。
「おばさん? あたしそんなこと思ってないんだけど?」
「ええーそうかあ?」
にやにやと笑うターハにつっけんどんなミミエル。いつのシュメールの光景だった。
「ところでここはシャルラのおごりってことでいいんだよな?」
「え? いや、ターハさん。今のシャルラは……」
罰金などで蓄えはあまりない、はずだが。
「構いませんよ。ちゃんと、返しますから」
シャルラの言葉にエタはああ、と心の中で納得した。
つまりターハはつけ、という形でシャルラと繋がりを作ろうというのだ。こういう細やかな気遣いはエタにはやや苦手な分野だった。
「それより、飯だ」
ラバサルはそっけなかったが、実のところ実際にシャルラのために一番奔走したのは彼だったかもしれない。
「そうね。ニントルちゃん。好きなものを食べていいわよ」
「えっと、はい。ありがとうございます」
ニントルとシャルラはそれほど接点が多いわけではなかったが、なんとなく気が合いそうだった。
それからはいつもの和やかな食事だった。パンにデーツに羊肉のスープ。どこにでもある、けれどここにしかない食事。
きっと、これこそが幸せ。
当たり前にある幸せ。
しかしそれは、唐突に終わりを告げた。
『ジッグラトおよびイシュタル神殿より重要な宣告がある!』
びりびりと町中にとどろくような大音声ただの声ではない。おそらく何らかの掟を使ったものだろう。
『もう一度言う! 重大な宣告がある! 市民は可能な限り傾聴するように!』
酒場の中が静まり返った。
先日、身代わり王、そして真の王が身まかられた時もこうだった。まさかまた何か凶事が起こったのか。
誰もがそう身構える。
だが、その予想は裏切られた。
ただし。
悪い方向に。
『ウルクの北方で天の牡牛が目覚めたとの知らせを受けた! なお、天の牡牛は南下を続けており、ウルクの近辺に到達することが予想される! これは王命でもあり、イシュタル神殿の託宣でもある! 明日には正式に冒険者のみならず市民にも天の牡牛攻略の要請を出す! 以上!』
天の牡牛。
あまりにも予想外な言葉にエタたちがいた酒場の誰もが言葉を失った。
エレシュキガル神の治める冥界のような静けさだった。
それを破ったのは意外にもニントルだった。
「あの……てんのおうしってなんですか?」
この場で最も年少の彼女は何故誰もが驚いているのかさえ理解できていなかった。
不思議なことにその声は酒場の静寂そのものを破り、見知らぬ誰かさえも声を出すようになった。
がやがやと、先ほどとは趣の違う声が溢れた酒場を背景に、エタは説明を始めた。
「天の牡牛っていうのは……アヌ神の持ち物である巨大な牛だよ」
「アヌ神の……? えっと、それじゃあ天の牡牛は天上の世界にいるはずじゃあ……?」
メソポタミアの神々は一部の神々を除き、地上よりもはるかに高い場所に住んでいるとされ、当然ながら神の持ち物であるのなら天上に存在するはずだった。
「今回現れた大牛が本当にアヌ神の持ち物であるかどうかはわからないんだ。天の牡牛と名付けられた大牛が確か……二百七十年前だったかな。それくらいに現れてそう呼ばれたんだ」
「でもそれって、不敬じゃないですか? 本当に神様のものなのかどうかわからないのにその名前を付けるなんて……」
ニントルの疑問はエタにも理解できるものだ。
神々の威光はこの大地を照らしており、それに人が意見を挟むなどあってはならず、名前を勝手に変更することなど許されようはずもない。
だが。
「天の牡牛は……神々の持ち物である。そう判断せざるを得なかったんだ」
エタは重々しく語った。
ニントル以外の面々も程度の深さはそれぞれだったが怯えた表情だった。
「どうしてですか?」
「天の牡牛によってウルクが壊滅しかかったから。本当に、神々が遣わした魔獣……ううん、神獣だとしか思えないくらい天の牡牛は強かったんだ」
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