第三十七話 物騒な会話

 ニッグ、という単語を聞くとほんの一瞬、おそらくよほど注意深いか、慣れ親しんだ間柄にしか伝わらない緊張が走った。

「こんにちは。なかなか調子がいいみたいだね」

 昼日中だが、ニッグは涼やかな声だった。戦闘の予定はないが警戒しているのか銅の剣を腰に下げていた。

「エタ? 誰だよ、そいつ」

 ターハがあっさりとすっとぼけた言葉を出す。

 ニッグが王子候補であるということは周知の事実であるが、ここでそれを言葉にするのはもちろん、態度で示すことも許されない。

 あえてエタがわざわざニッグに顔を向けて名前を読んだことの意味をすぐに理解して見ず知らずであるかの様子を演出してくれたのだ。

(みんな迷宮攻略じゃなくて演劇でも食べていけそうだよね……)

 まだらの森からずっと、演技力というのは人間社会を生き抜く頼れる武器なのだ。

「初めまして。ニッグと申します。『荒野の鷲』に所属している冒険者です」

「挨拶にでもきたの?」

「そうですね。たまたま姿が見えたので。ミミエルさん、でよろしかったでしょうか。ラトゥスと踊っていた方ですよね」

「そうよ。っていうか、あのも近くにいるの?」

「ええ。は意外と器用で、彫刻もこなすので。俺はどうもそういう細かい作業が苦手でして」

 彼、という単語に反応してミミエルは妙な顔になった。

(そういえばラトゥスが去勢歌手カストラートだって知らなかったっけ)

 さりげなく注意したのはニッグなりの気遣いだろう。

「器を譲ってはやれねえが、コツくれえなら教えてやれるぞ」

「願ってもない申し出です。ええと……」

「ラバサルだ。そっちの女はターハ」

 あたしの扱い雑じゃねえかー、というターハの非難の声を無視してラバサルがちょっとした彫刻のコツを教えていた。

「大変勉強になりました。博学ですね」

「ただの年の功だ」

 ぶっきらぼうなラバサルに対してあらためて礼をするとニッグは去っていった。よく見ると向こうで華奢な少年、ラトゥスが手を振っていた。

 相変わらず仲がよさそうだった。

 ……それと同時に、監視らしき人物が去っていった。

「ミミエル? どうかしたの?」

 ニッグの姿が見えなくなったミミエルはかなり厳しい顔つきだった。

「ちょっと、気になることがあってね……後で話すわ」

 万が一にも人に聞かれるとまずい、おそらくは剣呑な話題であるということは察しがついた。


 神に捧げる木の器は数百以上集まり、エタの目から見ても良い出来だったラバサルの器はかなり好評だったらしく褒賞をもらうことができた。

 神々に捧げる儀式は明朝に行われ、そのまま城攻めに取り掛かるらしい。

 そして夜。

 警備が増やされた野営地、その天幕の一つ。エタたちは集まり、ミミエルの衝撃的な発言を聞いた。


「確信はできないけど、セパスを殺したのはニッグだわ」

「おいおいまじかよ……」

「根拠は?」

「本当にかすかにだけど……あいつの剣から人の血の臭いがしたの。クサリクの臭いとは違うわ。あと、多分だけどセパスの傷はあいつの剣のものと一致すると思う」

「臭いって……お前、ほんとにオオカミかなんかじゃねえのか?」

 ターハは半ば呆れていたが、ミミエルを疑っていないようだった。

 彼女の感覚が常人よりはるかに優れていることを一番よく知っているのはもしかするとターハなのかもしれない。

「だが、そうすると何故だ。まさか、ニッグはどこからか送り込まれた殺し屋か何かか?」

「いやいやいや! ニッグの奴って確か昔から『荒野の鷲』にいるんだろ? 順序が逆じゃねえか!」

「どうかしら。王子がこのギルドにいるって知った誰かが監視か何かのために送り込んでいたって可能性もあるわ。監視から暗殺に切り替えたのかも」

 それは容易に認められない可能性だ。

 その場合、すでにニッグも、シュメールも仕事は終わっており、王子は冥界にいることになる。

 だが。

 エタには別の考えがあった。

「いえ、多分逆です。セパスが殺し屋で、ニッグが王子です」

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