第十七話 自由な旅
今更ではあるが。
エタは都市生まれの都市育ちである。
起業してからなら野外で寝泊まりすることは珍しくもなくなったが、子供時代はウルクの外に出ることはあまりなかった。
当然ながら、一人旅などこれが初めてだ。
延々と続く行軍の足跡をたどるように歩む。
見晴らしがよく人の往来があった場所の方が獣は寄り付かないだろうとの判断だった。
だが一方で、寝泊まりする場所は遠征軍の足跡からは離れるようにした。行軍ともなれば大なり小なりごみは出る。
その中には食べ残しやゴミもある。
人には食べられなくとも獣や虫ならそれらを食べられるかもしれず、それらがヒョウやオオカミを寄せ付けないとは限らないのだ。この地域なら一番気をつけなければならないのは夜行性のヒョウだ。
だからこそ寝る場所は気を付ける必要があった。
ミミエルやターハならそれらの獣をあっさりと追い払えるだろうが、エタには少し厳しい。
天幕や獣除けの香を使って一人旅を乗り切るしかない……そう思っていたのだが、どうもラバサルが手練手管を使い。ロバをエタの道中に残しておいてくれたのだ。隠してもらっている食料に頼っているとはいえ、やはり持たなければならない荷物は多い。
粗食に耐え、頑健なロバを旅の伴侶とするのは大いに助けになった。……暴れそうになるロバにてこずらされたことも何度かあったのだが。
そうしてはや三日。
思いのほか道のりは順調だった。
『そう。体はもう大丈夫なのね?』
「うん。だるさも重さもない。長く歩いてもあんまり疲れないよ」
『わかったわ。いつも通り、水と食料は隠しておくわよ』
携帯粘土板によって連絡を取りあい、進路や食料の隠し場所を相談するのも幾分慣れてきた。
最初の一日は何度もミミエルから連絡が来てその後でラバサルにたしなめられたらしい。
その様子を想像すると、エタには少しばかり笑みが浮かぶのだった。
「本当に、一人旅なんて初めて……ああ、君もいるけどね」
ロバにかまれないように慎重に撫でる。この家畜は意外と気性が荒い。丁寧に扱わなければならない。
エタは今、とても自由だった。少なくともそう感じていた。
陰謀もなく、責任もなく、ただ歩を進める。
昼の空にはシャマシュ神の怒りのごとき太陽。
夜の空にはナンナ神の涙のごとき月。
歩くたびに風は吹く方向を変え、草と土のにおいを運んでくる。
疲れ果てた体に水がしみると心と体が豊かになる気がする。
地平線の向こうには荒野ではなく森林が広がっている。
「みんなと合流すれば薄暗い陰謀の渦に飛び込むことになる。だから今だけは……この自由を楽しんでいいかな」
穏やかな気持ちで空を見上げ、呟く。
だが彼はまだ知らない。
自由と責任は表裏一体であり、何一つ責任がないということは、何からも守られていないということである。
ここには城壁も、衛兵も、何もない。
身一つで生き抜けるほど世界は優しくなく、エタは貧弱である。
それを実感したのはアラッタまでの道中を八割がた消化し、山間の森林地帯に入り始めた夜のことだった。
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