第五十六話 弔いの酒
吹きあがる火柱。
巻き起こる烈風。
尋常ならざる火炎は荒涼とした岩山を赤々と照らしている。
「おいおいまじかよ!?」
『ナツメヤシ』が巨大だったせいか、火炎は以前よりもはるかに勢いが強かった。
十分に距離をとったつもりでも火の粉は飛んでくる。山自体を焼き尽くさんばかりの猛火だった。
「離れるぞ!?」
リリーと一緒に何とか走る。
だがエタたちとは逆に火柱に向かって走る影があった。
「はあ!? あの魔人、死ぬ気かよ!?」
サマンアンナ神は燃え盛る炎をものともせず、『ナツメヤシ』を抱きかかえるように手を回すと、力強く巨体を動かし始めた。
「バケモンかよ……」
『ナツメヤシ』はすさまじい巨体だが、それが災いしてか自分の意志では動けないようだった。
だからサマンアンナ神が力づくで鋼の小屋から遠ざけようとするのは理解できる。
しかしあの業火の中、ゆうに十倍はあろうかという『ナツメヤシ』を押し出そうという意志と力は人間の理解の外にある。今まで傷一つつかなかったその鎧は赤く溶け始めているというのに。
ずず……とわずかに『ナツメヤシ』が動いた。少しだけ核との距離があく。
だが炎はどんどんと強くなる。サマンアンナ神はようやく膝をついた。おそらくもう動けまい。
いつの間にか近づいていたミミエルにぐいっと引っ張られる。
この位置ではまだ危険だと判断したらしい。
少し走って、安全だと言える位置につく頃には仲間たち全員が集まっていた。
「なあエタ。これ、核まで燃えちまわないかい?」
「……かもしれません」
「そうなったらギルドには売れねえな。わしらはただ働きか」
「命があっただけ儲けものでしょ」
ミミエルの台詞に反論はなかった。
しばらく燃える炎を無言で見守っていた。
どこか弛緩した空気が
ざり
「何の音だ」
ざり
「何かを引きずってるの……?」
ざり
「いや、これは……」
ぎしぎしと軋み、金属がこすれる音。
「おいおい嘘だろ?」
「冗談じゃないみたいよ、おばさん」
全員が再び武器を構える。
這い出したサマンアンナ神がこちらを睨んでいる。下半身は動かなくなったのか、二本の腕だけで這っている。
溶けだした金属は血か鉄か。あるいは涙か。
鎧の中身は……形容しがたい黒。強いて言うのなら炭だろうか。
人どころか生物とさえ呼べないようなものが詰まっていた。
それが今、仇敵を見るかのようにこちらを見つめている。……目というものがあればだが。
核を守ることよりも侵入者を排除することを優先したそれからは黒く、赤い血からの本流、膨大なニラムが発せられ、開戦の狼煙となった。
「離れなさい!」
ミミエルの言葉はリリーとエタに向けられたものだ。言われるまでもなく下がる。
やはりミミエルはいつもの通り先陣を……切れなかった。
「おい! どうしたガキンちょ!」
「こいつ、熱すぎるのよ! こんなんじゃ攻撃できないわよ!?」
ミミエルの言う通り、先ほどまで焼かれていたサマンアンナ神はとてつもない高温だった。
下手すると触れられるだけで焼け死ぬ温度だ。もしかするとニラムの効果もあるのかもしれない。
「なら、私が!」
シャルラの矢はまっすぐにサマンアンナ神の黒い顔に向かう。
だがそれはもはや溶けて腕と一体になりかかっている鉄球にさえぎられた。
「とにかく耐えろ! わしらじゃ殺せん! いくら魔人でもこんな状態じゃそのうち死ぬはずだ!」
とにかくそこらに落ちている石や矢、黒曜石のナイフ、ありとあらゆるものを投げつけて敵を足止めする。
しかし自らが傷つくのを恐れずサマンアンナ神は前進する。
有効な打つ手などない。だがエタはふと思いつき、足を止めた。
「おい!? どうした!?」
「先に行ってて」
リリーにそれだけ言うとエタはラバサルの鞄から一つの壺を取り出した。
厳重に密封されているが、持った手ごたえから中に液体が入っていると分かっただろう。
「ザムグ。ディスカール。カルム。君たちと一緒に作ったお酒をこんなことに使いたくはなかったけど……」
ラバサルの鞄には主に松脂と水を詰めていた。それでも空きがあったので酒も入れておいたのだ。
何のために。
もちろん何かを燃やす時のために。
エタにとって幸運だったのはサマンアンナ神が動物とはかけ離れた外見をしていたことだ。
自分から生き物を傷つける行為に非常な恐怖を感じるエタだが、石の戦士にはその限りではなかった。
エタは力いっぱい壺を放り投げた。
運よくサマンアンナ神の頭に当たり、ぱりんと割れる壺。
中身は可燃性の酒。
十分に熱せられた金属は格好の火元になり、サマンアンナ神の体を炎が覆った。
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