第三十九話 色彩

 部屋に入ってすぐ、意思が挫けないうちにエタは知らず早口に言葉を出す。

「ニントル。ザムグのことはすまなかった」

「……はい。お兄ちゃんのことはもう聞きました。あの……もっと詳しく聞かせてもらえませんか?」

 エタはなるべく自分の主観を混ぜず、淡々と事実だけを語った。

 思い出している最中に何度か吐き気が込み上げてきたが、それを気取られることは許されない気がしていた。

 語り終えた後、ニントルが最初に尋ねたのは少し意外なことだった。

「私の掟はどうなりましたか?」

「君の掟は僕が持ってる。返すよ。これのおかげで僕は助かった。でも、本当ならこれは僕が使っていいものじゃなかった」

 巨大な綿毛、ニントルの『種を運ぶ』掟をとても丁寧に彼女の手に置く。

 決して壊さないように、しかし触れることを恐れるように。

「エタリッツさん。これは、お兄ちゃんから手渡されたんですよね?」

「うん。ザムグに救われた」

 信じてくれと懇願するつもりはなかった。

 無理矢理奪ったり騙したりして自分だけが助かろうとしたと疑われても当然だと思っていた。

 だが次の言葉をエタは予想もしていなかった。

「良かった……」

「それは、どういう意味?」

「私の掟は自分にとって大切な人にしか貸せないんです。だから、これは私が兄さんをとても大切に思っていたという証で、兄さんにとってエタリッツさんはとても大切な人だったっていう証なんです。きっと神様がそう認めてくださったんです。私が、大切な人を守れたって言う証なんです」

 自分に言い聞かせているような口調だった。

 泣きそうになりながら無理矢理笑顔を作っているような顔だった。

(ああ。そうか)

 ようやくエタは納得した。

(僕は誰かに責めてもらいたかったんだ)

 罪悪感を抱えるがゆえに、それから逃げるにはきっと誰かの怒りや憎しみをぶつけられた方がよい。

 だからリリーに対してエタも憎しみを感じなかった。つまり自分の罪悪感を軽くするために彼女たちを利用しようとした。

 だが必死に涙をこらえ、むしろエタを励まそうとするニントルを見るとどうしようもない感情が湧いてくる。

(多分、この気持ちは死ぬまで消えない。いいや、消しちゃいけないんだ。楽になっちゃいけないんだ)

 エタは自分を醜い生き物だな、そう断じた。




 翌日、朝一番に出かけたエタはウルクの北東にある町、ラルサに向かった。リリーから聞いたとある人物に会うためだ。

 ラルサは太陽の神シャマシュを都市神としており、それゆえか、城門をくぐる折、太陽に向かって礼をする人々が少なくなかった。

 全体的な街並みはウルクを一回り小さくしたようだったが、これからもっと大きくしようという活気にあふれていた。

 一人で向かうことをミミエルたちには渋い顔をされたが、リリーから出された条件として、一人で向かうことが絶対だと念押しされていたのだ。

 さすがに街中でいきなり狼藉を働く相手がいるとは思わなかったが、もしもこれから会う人物の正体を聞いていたら少なくともミミエルは絶対に止めただろう。

「ここかな」

 がやがやとざわめく市場から少し離れた粗末な煉瓦の家。そこの前に立った時、つんと奇妙な臭いがした。

 酢のようなだが同時に甘ったるい不思議な臭い。

「失礼します」

 暖簾をくぐり、家の中に入ると粘土板が戸棚に所狭しと並んでいた。学院の資料室を思い出して少し懐かしくなった。

 さらに床に何かの液体が入ったカップが置かれている。

「変な臭いのもとはこれ? それにしても……何だろう?」

 それに触れようとした瞬間。

「触るでない!」

 厳しい叱責が家の奥から飛んだ。

「すみません。あなたは……」

 エタは言葉を飲み込んだ。

 聴いていた容姿と違っていたからだ。

 頭頂部が禿げ上がった小柄な老人。それはまあいい。

 だが側頭部の髪の毛の右側が赤、左側が黄色。さらに目の色も緑に青と、異様に派手だ。

 しかもみすぼらしい服装のわりにやたら派手な宝石を身に着けているというあまりにもちぐはぐな格好だった。極めつけは服に何か表が描かれていたことだ。等間隔に長方形が配置され、その中に読めない文字が描かれているが、ところどころ穴抜けがあった。

 何を意味するのかすら分からない。無理もない。それは数千年後の世界で元素周期表と呼ばれるものだ。

 奇妙を通り越してこの世のものではないような異質さ。

 ぞわりと肌が泡立つ。

 獅子の狩場に飛び込んだつもりが、蛇の巣穴に踏み込んでしまったような食い違い。

「あなたは……誰ですか?」

「ふむ! 無礼な奴め! だが誰かと問われれば答えよう。どうやらここの本来の主人を訪ねてきたようだからな!」

 しわがれた声で一気にまくしたてる老人はこちらの言い分を聞いているようだが、いつ自分の世界に没頭してもおかしくない危うさがある。

「私は色彩の魔人! 偉大なる錬金術師である!」

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