第十三話 迷宮の大掃除

 唐突に始まった迷宮内の大掃除。

 シュメールの面々は戸惑いつつもエタの指示に従っていた。

「まず死骸があったら外の死体処理の壺に入れてください。その後、お酢を含ませた布で吹いてください。あ、雑草も抜いてください。血や体毛も可能な限り取り除いてください」

 この迷宮は至極単純で入り口からほぼ一直線に進めば奥に泉と迷宮の核がある。かなり暗く、ザムグたちは慣れで松明なしでも出入りできるようになっているが、今回は掃除しなければならないため松明を明かりにしていた。

「なあエタァ。これに何の意味があるんだよう」

 文句を言いながらもターハは手を止めない。他の面々もおおむね同じだった。

「なら、軽く説明しながら掃除しましょうか。まず、酒造りにはこまめな掃除が大切らしいです」

 当然この時代では解明されていないが、酒造り、つまりアルコール発酵には酵母菌が重要な役割を果たしており、酵母菌以外の微生物の混入を防ぐために清潔さを保つことが重要なのだ。

「アトラハシス様の講義で聞いた話ですが、どうも動物の遺体や激しく腐敗したものが近くにあると酒が造れなくなることがあるらしいですね」

「酢を使って拭いたりするのは腐敗させないようにってこと?」

 メソポタミア料理には酢やスパイスなどがふんだんに使われていたことが明らかになっており、食物を酢につければ腐敗しないということはほぼ経験則で明らかになっていたと思われる。

 掃除に利用するのはエタくらいだろうが。

「そう。だからまず、ここのお酒をおいしくするには迷宮内の掃除を徹底すること。それが一つ目」

「二つ目もあんのか?」

「はい。それはここの掃除が終わるころにははっきりすると思います」

 慣れも手伝い、意外にも迷宮内の清掃は日が傾く前には終わった。


 そして洞窟の奥、酒の湧く泉の前に集まった一同は奇妙な光景を目にした。

「え? これ、泉の色が……変ですね」

 松明に照らされた泉は血のような真っ赤に染まっていた。

「何これ? 染料でも混ぜたの?」

「うん。これは僕が混ぜた染料だね」

「おいおい。まさかあんた色を付けた酒って売り出すつもりかい?」

「まさか。この染料は飲めませんよ」

「そりゃまずいだろ。売りもんにすらならねえじゃねえか」

「あ、いえ、もともと酒を全部抜いて掃除するつもりだったので今入っているお酒は売りません」

「エタさん。結局これってどういうことなんですか?」

「実は染料をこの洞窟の真上に撒いておいたんだ」

「せ、染料がこの泉に染み出したという、こ、ことですか?」

「うん。真上の地面とこの泉は繋がっている。つまり、この迷宮は洞窟の迷宮じゃなくて洞窟を含めた丘全体が迷宮なんだよ」

 エタ以外の全員があっと声をあげた。

「もしかして、この洞窟、ううん、丘は迷宮が生まれるまで存在していなかったの?」

「そうらしいね。で、丘にはエンマー小麦が群生していたんだ」

「小麦……酒の原料だよね?」

 一番先に気づいたのはニントルだった。

 ウルクでもっとも一般的な酒であるビールシカルの造り方は無発酵パンバッピルを砕いて湯で溶き、発酵させたものだ。パンの材料である小麦が酒の原材料で間違いはない。

「つーことは……この迷宮は丘の小麦から酒を造ってるってことか?」

「想像でしかありませんけどね。この迷宮はまず小麦を自生させてそこから酒を造る。その酒で動物を呼び込んで捕らえる。それを腐敗させてさらに侵入してきた動物を捕らえる。それを繰り返して成長するのでしょう」

 ミミエルをはじめとしたもともと杉取引企業シュメールにいた面々はエタが迷宮の原理を解き明かし、それを利用することに慣れているが、これを初めて見るザムグたちは驚きっぱなしだった。

「そういうわけでここの酒をおいしくする方法は二つ。ここに動物をいれないこと。丘の上にあるエンマー小麦をちゃんと成長させることです。いいビールにはいい小麦が必要ですから。丘の雑草を抜いて……ああ、その前に入り口に置いてある壺を丘に持っていきましょう」

「ああ、あれ? 何が入ってるのよ」

「アトラハシス様の講義でやっていた、植物の成長を助けるものらしいよ。中身は小麦のもみ殻や家畜の糞なんかだよ」

「……そんなもんが役に立つのか?」

「僕も聞いただけなので……なんでも酒ができる原理に近いものらしいのでものは試し、ということでしょうか」


 エタの用意したものは数千年後の世界においてぼかし肥料と呼ばれるものに近い。

 本来のメソポタミア文明ではもともと肥沃な土地であったこともあり、発達した肥料が利用されていた形跡は見られない。

 その代わり河川の氾濫と農耕用の水を確保するために水の流れを整備する灌漑設備を発展させることになる。

 それがどのような結果を招くかは、まさに神のみぞ知るしかなかった。

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