第二十五話 矢は放たれた
死体処理班として活動しているエタとラバサルは別行動しているニスキツルの部隊にも足を運んでいた。
灰の巨人とは大きく違い、すべての行動が統率されていた。何も全員が同じ行動をとっているのではない。合図に従い、進む、戻る、身をひそめる。それらすべてが合理的に決定されていた。
それは大白蟻の討伐についてもそうだった。
小柄な人影が森の中を逃げ回る。灰の巨人たちが戦っていた場所に比べると幾分木々の群生がまばらだった。
影を追うのは大白蟻。あまり攻撃的ではない大白蟻だが、匂いや形などから相手が良質な食料になると判断した場合、徹底的に追い回す習性を持っている。
つまり、その習性を利用すれば大白蟻の行動を操作することもできるというわけだ。
小柄な人影の前に一本の縄が吊るされる。すかさずそれを掴むとぐんっと急上昇した。
樹上にいたニスキツルの社員が仲間を縄で引き上げたのだ。
突如として獲物が消え失せた大白蟻は一瞬だけ立ち止まるが、触角をひくひく動かし、獲物が樹上に逃れたことを理解し、自らも樹を登りはじめようとする。巨大蟻は森の住民であり、木登りを不得手としない。
だが、行動に移るより先に、静かな号令が森の中に響いた。
「斉射」
数十の矢が大白蟻に殺到する。一瞬にして十匹ほどいた大白蟻にはハリネズミのように矢が突き刺さった。しかし驚くべきは蟻の生命力だろう。ほとんど穴だらけになりながらも逃走し始めた蟻もいた。
「社長。追撃しますか?」
ニスキツル代表取締役リムズに対して部下が話しかける。
「必要ない。あれならそのうち死ぬ。それよりも戦術の練り直しが急務だ」
「囮で引き寄せる策は悪くありませんが、樹上への退避は見直すべきですね。相手も木登りが得意です。やはり開けた場所に防御柵などを設置してそこに囮役を退避させる戦術のほうがよいでしょう」
「その方向で進めたまえ」
迅速な上意下達が行われ、戦場の見直しと防衛用の道具の作成が行われた。冒険者ならばこうはいかない。もとより自由を是とする彼らにとって上司であれ命令されることに忌避感を覚えるのだ。
「あとは思った以上に蟻がしぶといことでしょうか。矢の消費が思ったより早そうです」
「灰の巨人に打診して木から矢を作れるようにするべきだな。人間を相手にする戦争とは感覚が違うか。そこは私が受け持つ。おや、エタリッツ君か」
死体処理班としての仕事を行いに来たエタに気づいてにこやかな、しかし油断も隙もない表情を作った。
「どうかな? 我々の弓矢は」
「はい。遠距離から安全に攻撃できる素晴らしい兵器です。そしてそれを十全に生かす戦術を構築しているリムズさんの指導も素晴らしいかと」
「やはり見るところが違うようだね。そこらの冒険者なら弓は臆病者の武器、などと言い出すだろう。集団戦術も同様だ」
ウルクではあまり弓矢は用いられない。弓矢の作成に必要な樹木が少ないことも原因の一つだが、冒険者は勇敢であるべし、という固定観念もそのうちの一つだ。魔物と切り結び、自らの命を危険と隣り合わせにしてこそ神々の祝福があると信じる冒険者は多い。
実際に灰の巨人が同行させた監視者は少し鼻白んでいる様子だった。
エタもそう思わなくはないが、一方で兵器としての有用性は認めるべきだと考える柔軟性も持ち合わせていた。
「優れたものは相応の評価を得るべきです。そうでなければ進歩はできません」
「誰もがそれを理解してくれればいいのだがね……蟻はシャルラが捕えている。うまくごまかしたまえ」
後半の台詞は明らかに監視を意識して声をひそめていた。こっそり頼んだことを実行してくれたことには感謝しかなかった。
「では、死骸の計上を続けます。またお会いしましょう」
「ああ。また」
型どおりの挨拶を交わして事務的に別れる。どう見てもこの迷宮を攻略する密約をかわしあった相手とは思えまい。
「社長。よろしいのですか? いくらお嬢様のご学友とはいえ蟻を捕えるために使った毒薬の値段は……」
「君。弓矢の難点は何かね?」
「は? それはやはり、扱いの難しさと、材料調達の難しさでしょうか」
「そうだ。槍なら棒と切れ味のある石があればいい。投石器なら一度作ればそこら辺の石でも武器になる。だが、我々の弓は絶対に樹が必要だ。弓にも矢にも。練習するだけで消耗する。ああいや、シャルラのように矢が尽きない掟でも持っていれば話は別だが。しかしこの迷宮を管理しているものと懇意にしていればその問題は解決する。違うかね?」
「おっしゃる通りでございます」
リムズの意図を察した部下の男は追従して引き下がった。もっともリムズが本気でこの迷宮を自分のものにしようとしていることまでは見抜けなかったようだが。リムズも秘密を漏らすことに慎重な性格だった。
「さて。理想は彼の策の上を行き我々がここを踏破することだが……どうも警戒されているな。そこも評価できる点ではあるのだが」
リムズの独り言は誰に聞きとがめられることもなく木々のはざまに消えていった。
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