第十二話 白と黒

「そうだな。わしがいた北のほうじゃ森なんか珍しくもないんだがな」

 エタはウルクからほとんど離れたことがないので実感しにくいのだが、ウルク近辺はかなり降水量が少なく、背の高い樹木が成長しにくいらしい。多分この老人は緑豊かな場所から奴隷として連れてこられたのだろう。

「まあ、そんなわけでここは杉の生産場になった。特に今のギルド長が仕切ってからはあくどい手段も使って他所のギルドを参入できなくしたらしい」

 そのあたりの経緯は知っていたがギルド長が代替わりしているのは知らなかった。

「わしらが神々から下された使命は迷宮の攻略だというのになんと罰当たりな……いや、それはいい。ともかく灰の巨人だけが迷宮攻略に参加するようになったが、犠牲も多かった。ここの魔物は強くはないが厄介だからな」

「さっきの蟻ですね」

「いや、正確には二種類の巨大な蟻だ。体が白い大白蟻と体が黒い大黒蟻。どっちもしぶとくて厄介な魔物なんだが大黒蟻はかなり手ごわく、しかも連携して攻撃してくる。まともなやり方じゃ勝てん。これもあまり攻略に乗り気じゃない理由の一つだろうな」

 白と黒の蟻がうごめく森。ゆえに、まだらの森。

「まあ、そんなこんなで二種類の蟻に手を焼いて犠牲が増えるばかりだったらしいが、人員の補充手段としてわしみたいな奴隷を連れてくることを思いついたわけだ。それも足りなくなってくれば貧しいウルク市民までかり立てるようになった」

 実のところ迷宮探索に奴隷を用いることはあまり多くない。少なくともウルクでは奴隷はもっぱら家内の雑事や農作業に従事する。迷宮の攻略は人間の義務であり、喜びとされるからだ。

「……それでも犠牲は出るのですよね」

「まあな。油断してあっさり死んだ奴なんか珍しくない。わしがここまで生き延びたのは運が良かっただけだ。わしらは搾取される側なんだよ」

 老人には怒りや悲しみという表情はない。ただあるのは諦念だけだった。

 故郷から離れ、ただただ木を切る毎日。もしもこのまま迷宮を攻略できなければきっと両親も自分もこの人と同じようになるのだろう。

 そうはさせない。させるわけにはいかない。

 あの借金取りの顔を思い出し、煮えてきた怒りをなるべく抑える。今はまだ困窮したウルク市民として振る舞わなければならない。この迷宮を本気で踏破するつもりだと悟られてはならない。

「おいこらあ! そこしゃべってんじゃねえぞ!」

 怒鳴り声がしたほうを振り向くと皮鎧の上に赤い外套を着こんだ禿頭の男がいた。背は高く、服の上からでも重厚な筋肉を身にまとっていると分かる。

 あれが灰の巨人のギルド長、ハマームだった。小脇にギルド構成員を管理していると思しきやや大きな粘土板を抱えていた。

 歩く速度を上げるが、ハマームの怒りは収まっていなさそうな表情だった。彼が口を開こうとしたその瞬間、猫なで声がハマームを呼んでいた。

「ギルド長―! いい樹木が生えそろってる場所見つけたわよー! 早く来てー!」

 さっきのミミエルだった。

「おう! 今行くぞ!」

 見目麗しい少女の声音に気をよくしたのか、ハマームはエタたちのことなど忘れたかのように呼ばれた場所に向かっていった。

「あの子も前はあんなんじゃなかったんだけどなあ」

「あの子って、ミミエルのことですか?」

「そうだ。口はよくなかったが、わしらにも優しくしてくれて、子供たちにもなつかれていたよ。なんというか……ここに染まっちまったのかもな」

 老人はわびしそうだった。

 もうおしゃべりしている時間はなかった。ミミエルの言葉は正しかったらしく伐採するのに手ごろな杉が生えていた。

 それからは黙々と木を切り続け、幸いにも魔物に襲われることはなかった。



あとがき

 

 本作品はメソポタミアをモチーフにした作品で、当然ながら時代設定としては数千年前に近いものです。

 そのため現代では存在していますが、古代では存在しない言葉には注意しています。

 例えば紙一重という単語は紙がメソポタミアにまだないので使用できません。

 飴と鞭、という言葉は飴があるかどうか判断できなかったので蜜と鞭という言葉に変換しています。

 猫なで声も当初使う予定はありませんでした。

 猫の飼育が始まったのはエジプトだとされていたからです。しかしメソポタミアから猫の飼育が始まったという学説が提唱されたらしいので猫なで声という単語はこの時代で使っても違和感がないと判断しました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る