御伽噺屍
暇崎ルア
プロローグ1 とある実録怪談児童書
青泉出版(二〇一五)『教えて! あなたの怖い話』編集部編『教えて! あなたの怖い話 3』収録。
「友達の家」
投稿者 ゆうたさん(仮名) 十九歳 学生。
これは二年ほど前、僕がまだ高校生だったときの話です。体験したのは夏休みのころでした。
受験を次の年に控え、僕は夏休みでも塾の夏期講習に毎日のように通っていました。
一日六時間、教室で講師の話を必死に聞きながら勉強漬けの夏休みは、精神的にも身体的にも大変だったことをよく覚えています。
そんなことがほぼ毎日が続いていた八月のことでした。
午前中から夕方までの授業を終え、塾が入っているビルを出ると、突如大雨が降ってきました。土砂降りの雨、夏の夕立です。
そのとき、僕を含め同じ講義を受けていた生徒何人かは傘を持っておらず、ぶつくさ言いながらもしばらく雨宿りをすることになりました。
建物の屋根がついた入口で十分ほど待っていたでしょうか。見慣れた顔が、傘を差して建物の前を通りました。
「あれ、ゆうたじゃん」
クラスメイトのTでした。それほど親しかったわけではありませんが、休み時間とかたまにくだらない話をして盛り上がったりしていた友達です。
「Tか。何してんだよ、こんなとこで」
「ちょっと、図書館に行ってたとこ。塾終わり?」
「そうだよ。でも、傘忘れたから雨宿り中。最悪だよなー」
こんな感じの会話だったと思います。
「ドンマイ。なあ、良かったらうちで待つ?」
思いもよらないTからの提案でした。
「いいのかよ?」
「いいよ。今うち、誰もいないし」
Tからは以前、祖父と二人だけで暮らしているという話を聞いたことがありました。ちょうど、その日彼の祖父は出かけていて、六時頃にならないと帰ってこないとのことでした。
「じゃあ、お前んちお邪魔させてもらうわ。ありがとな」
二つ返事で彼の家に行くことにさせてもらいました。何しろ外はじめじめしていて暑かったうえに、たまに吹いてくる雨風で服が濡れて気持ち悪かったのです。室内に行けるなら、すぐに向かわせてもらいたい気分でした。
「わかった。うち、すぐだから」
Tがさしていた傘に入れてもらい、彼の家まで駄弁りながら歩きました。相手が女子だったら少し気恥ずかしくなったかもしれませんが、男同士だったので気にも留めませんでした。
十分ほど歩いたでしょうか。Tの家に着きました。
僕は彼の家に行くのが初めてだったのですが、驚いてしまいました。
「家」と聞いてアパートなどを想像していたのですが、彼の家は一軒家だったのです。
しかも、家は西洋風のお屋敷のような外観で、迫力のある黒い門と囲い、庭までありました。
「うそだろ、本当にここに住んでんのかよ?」
「そうだよ。自慢じゃないけど、結構おしゃれだろ」
彼に促されて家の中に入ると、家の中も別世界のようでした。
彼の家の中は、壁に唐草模様があったり、階段の手すりには花のつるみたいな装飾がついていたのを今でも覚えています。
総じてそういうものは当時の僕の中では「古い家」というイメージがあったのです。
「お茶いる?」
「おお、ありがとな」
「暑いし、冷たいのでいいよね」
玄関からすぐのリビングで、Tはグラスに注いだ冷たい麦茶を出してくれました。麦茶を口に入れると、ほんのりした甘さが緊張と不安で渇いた喉に染みわたっていきました。
「雨、止まねえな」
「そうだなー」
麦茶のグラスを片手で弄びながら、Tはリビングの窓に目を向けました。
雨はまだ相変わらずざあざあと降り続けていて止みそうにもなく、一時は消えたわずらわしさがまた戻ってきます。
誘われてTの家に来たのはいいのですが、リビングで二人きり。何を話せばいいのかわからず、家族のことを聞いてしまいました。
「ここ、お前のお祖父さんと二人で住んでるんだよな」
「うん。僕のお父さんのお父さん。元々はお祖父さんの家だったんだ」
「そうなのか。父さんと母さんは?」
「二人とも、僕が子どものころに死んじゃったんだ」
死んじゃった、という言葉に頭をがつんと殴られたような感じがしました。どうして僕はあんなことを聞いてしまったんでしょう。別にそんなこと聞く必要なかったのに。
そうか、変なこと聞いてごめんと答えるしかできませんでした。
聞かなくてもいいことを聞いてしまったという罪悪感もあって、僕はそわそわし始めていました。余所の人の家に来ていたからっていうのはあったと思います。
自分の家じゃない誰かの家に来るっていうのは、落ち着かないものだと思います。どれだけ「ゆっくりしていきなね」と言われても心の底からはくつろげない。そんなものだということをそのとき痛いほど理解しました。
でも、そのとき感じた違和感は「他人の家での落ち着かなさ」とはまた違ったもののうような気がしました。
上手く形容できませんが、何かおかしい。確実に言えるのは、決して良いものではなかったということでしょうか。
「どうかした? 顔色良くないけど」
リビングやリビングの開け放たれたドアから見える廊下をきょろきょろ見てしまい、Tがぼくの顔を覗き込んでいました。
「あー、悪ぃ。なんでもない。ちょっと家の中見てただけ」
「他人の家の中とか普段見ることないから珍しくて見ちゃうよね」
「だよなー、はは」
それからまたしばらくは沈黙が続きました。Tの方も僕を家に誘ったはいいものの、そこからどうすればいいのかわからないように見えました。
彼が何かを思い出して、席を立ったのはそれから数分後のことです。
「やばい。やらなきゃいけないことあったんだ。ごめん。家呼んどいて何だけど、ここで待っててくれる?」
「あー、いいけど」
本当はあの状況が気まずくて逃げたかったのかもしれませんが、今となってはどうでもいいことです。
今更後悔しても遅いのですが「今日はもう帰る」と言って家を出るべきだったのかもしれません。
しかし、外からはまだ大粒の雨が降りつけている音がして、家を出たいとは思えませんでした。
「すぐ終わらせて帰ってくるから」
トイレとか自由に行ってくれていいよ、と言い残してTは階段を昇って行きました。
何も僕がいるときにやらなくてもいいのに、と思いましたがそんなこと言えるはずもありません。
自由に飲んでとテーブルの上に置きっぱなしにされた麦茶のジャーでお茶を飲むこと以外にはすることもないし、じっとしていると雨で濡れた身体がひんやりしてきて良い心地ではありませんでした。
あまり良くないかなと思いつつ、僕は廊下に出てみました。
リビングからそっと伺ってみた電気のついていない廊下は、昼間でも薄暗い感じでした。
そして家にすぐ入ったときはわからなかったけど、すごく長くて、奥に行くほど暗いのです。晴れの日ならもっと明るかったのかもしれませんが。
奥の方できらりと何か光るのが見え、気になって不用意に近づいてしまいました。
不思議に思いましたが、光っていたのは、廊下の一番奥にある庭に続くドアのガラス戸でした。外からのわずかな光を受けて反射していただけです。
しかし、ガラスを雨粒が叩いていくのを見ながら、背筋がぞくりと泡立ちました。
リビングで感じ続けていたおかしな感じ。廊下の奥に立ってみて一番強くなったのです。ここが違和感の発生源だったんだとようやく僕は気づいてしまいました。
知らない人の家に来たから緊張していたんじゃない。僕の本能みたいな直感が恐怖していた、ということだったのでしょう。詳しくは書きませんが、僕には霊感のようなものが昔からありました。
一番嫌な感じがしたのは、左の視界に入ってきたドアの向こうからです。
その部屋の存在は、玄関先じゃない外へのドアに近づくまで気づきもしませんでした。
廊下の端っこにぽつんと、入口がある。そうとでも言えばいいのでしょうか。
何の部屋なのかもわからないドアの金色のドアノブに手をかけてみたのは、ちょっとした出来心でした。
「危ないから入っちゃダメ」と言われたところに、大人の目を盗んでこっそり入ってみるようないたずら心。別に、彼から入らないようにって言われたわけじゃなかったけど、一番怖くて入ったらいけないと思った部屋でした。
それでも入ってしまったのは、嫌な感じの原因を突き止められるからと思ったからだったのかもしれません。
何も知らないまま怖がっているのが一番怖い。もうここまで来たら幽霊でも何でも見てやろうと変な決意をしてしまったのです。
鍵は開いていました。キイイときしんだ音を立てながら、ドアをゆっくりと押していきます。
入った瞬間、図書館だと思いました。
わかってくれる人もいるとは思いますが、子どものころに見た「美女と野獣」のアニメ映画みたいだというのが、最初に感じた感想です。
映画に出てくる怖い野獣の姿に変えられた王子の城には、大きな図書館があり、実際には映画ほど大きくはありませんでしたが、そのときはそう思いました。
一般的にはああいう部屋を書斎というのでしょう。とにかく本と本棚がたくさんある部屋でした。
部屋の中を見回しながら巡りました。足音を立てないようにゆっくりと。
ずらりと並んだ背表紙には、日本語のものも英語のものもありました。世の中には、こんなにたくさんの本が家にある人もいるんだと思いながら、眺めていました。その間「怖い」という感情は忘れていたと思います。
ひたり、と変な音が聞こえてきたのは部屋の奥からでした。入口付近から、並ぶ本棚と本棚の間から白いカーテンのついた窓が見えました。ぼくの家にはないおしゃれな窓です。
そこでじっとしている間にまた、ひたり。微かな音だったけど、雨の音以外は何も音を立てるものもない部屋では良く聞こえました。
確実に嫌な感じが漂ってきているのはそこです。何か見えたわけではなかったけど、雰囲気でわかったのです。ここは「怖い」場所だと。
窓際にはゆっくり本が読めそうな机と椅子があったと思います。その側にはなぜか本棚が二つしかない壁がありました。
不思議でした。後ろの反対側の壁には本棚が三つ。どうしてここだけそうじゃないのか。それも左端の本棚に寄せることなく、真ん中の半端な場所に二つ目の本棚が置いてあります。この本棚をもっと左に寄せれば、もう一つ本棚が置けるかもしれないのにとおせっかいながら思いました。
ひたりという音が強く響きました。音の居場所はもうわかってしまいました。その時見ていた二つしか本棚がない壁の奥からです。
右の本棚の側面と壁の間、直角になっている角があって、そこに音が強く響いてくるようです。
柱と本棚の間に身をうずめるように体を寄せ、壁に耳を当ててみます。またひたりと聞こえてきて、嫌なことに気づきました。
音がさっきよりもはっきりと強く聞こえてきているのです。壁に耳を近づけたからかと思ったけど、四回目の音がしたときに音が段々と近づいてきていることが確信できました。
目で見たわけではないけどこれは、そいつが立てている足音だ。近づいてくる。
しかし、音はどこからやってくるのか不思議です。壁の向こうということはこの部屋の奥、お風呂場やトイレとかの空間しかない。でも、そこからここに通じているっていうのは明らかにおかしいのです。隠し通路とかでもない限り。
誰かが壁の向こうから近づいてきている。怖くなりましたが、そこから動けませんでした。動こうとしても動けなかったっていうのが正しいかもしません。本当に怖い思いをすると身体が動かなくなるっていうことをその時初めて知りました。うるさかったはずの雨音も、なぜか聞こえなくなっていたのが奇妙でした。
右の本棚の背板と接している壁との間にできた数センチ、棚の背の角と平行な壁の部分にできた隙間ができているのが見えました。まだ少し強張っていたけど、そのとき身体が動かせるようになりました。倒れないように、隙間にできた黒い部分に手をつくように指先を伸ばします。
指先に伝わってきたのは固い木の壁じゃありませんでした。すーすーするような冷たい感触がしました。おかしいと思った瞬間、指を当てた付近からひたり、が聞こえ、驚いて指を離しました。
自分の呼吸がおかしくなってきているのを感じながら、ゆっくり深呼吸します。さほど落ち着きはしませんでしたが。
指にすーすーする感触がしたのは、風だったのでしょう。本棚の向こうは通路や部屋のようなものにつながっている。
本棚の近くにまで来ないとわからないけど、二つだけの本棚がくっついている壁には、切り込みのようなものがあるのがわかりました。その切り込みの向こうの空間から隙間風のようなものが伝わってくるのです。
これは何だろうを超えて、この向こうには何があるんだろうという好奇心のような疑問が沸いてきました。
指ではなく目と顔を当ててみました。さっきまで聞こえていたひたりという音は聞こえなくなっていたことを、僕はもっとよく考えてみるべきだったのだと思います。
片目を当てた壁の向こうは暗くて何も見えませんでした。けど、空気は通っています。むわっとして、ほこりの匂いが混じった空気が鼻に届いてきた気がしました。
何もないのか、とほっとしたようながっかりしたような気分になったとき、何かが視界をかすめました。
目が合いました。暗闇の中で、微かに輝いていました。
そう、あれは瞳でした。人間の輝く瞳がぼくを見つめていたのです。
うわっと、声をあげて後ろにのけぞり、尻餅をついたときでした。
「あー、こんなところにいたんだ」
Tが僕がいた本棚までやってくるところでした。
「リビングにも、トイレにもいなかったから探したよ」
「……わ、悪ぃ。勝手に入って」
かなり驚いたせいか、かすれた声しか出せませんでした。
「いや、大丈夫だけど」
そう言いつつ、Tの視線は問題の本棚に寄せられました。
「どうかしたか?」
「……ああ、戻すの忘れてた」
Tが放ったこの言葉の意味が今でも僕はわかりませんし、忘れられません。
「戻すって、何をだよ?」
「ううん、なんでもない」
「片付け、終わったのか?」
僕がこう聞いたのはもちろん、話題を逸らすためです。
「終わったよ、変なタイミングでごめん。あ、見て、外」
窓に駆け寄ったTが、カーテンをさっと開けました。
雨は止んでいて、夕焼けが見えていました。
「ああ、もう大丈夫そうだな。全然気づかなかった」
「良かったじゃん」
その後何事もなかったかのように、Tの家を出ました。
「また来なよ」
別れ際に言われ、おう、と愛想良く答えましたが、もう彼の家に行く気はありませんでした。
その後も高校在学中は一度も彼の家に行くことはなく、そのまま卒業しました。現在は大学に通っていますが、Tとは一度も会っていません。連絡先も交換しませんでした。今後会ったとしてもこの話は絶対にしないでしょう。
彼の家の書斎で僕が見たのは何だったのでしょうか。
彼が言った「戻す」とは一体何のことだったのでしょうか。
ここまで書いてみて、この話の何が怖いのかが僕にもよくわからず、これを読んでいる方には申し訳なく思います。
しかし、Tという友人の家に遊びに行ってかなり怖い思いをしたこと。
彼の家の書斎の壁の向こうには何か人間ではないものがいた、と言うことははっきりとわかることです。
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