デイドリーマーズ

A子舐め舐め夢芝居

デイドリーマーズ

奈穂の両親は生きながらに焼かれてしまった。奈穂は母親の目や口から炎が噴き出す様子や父親の焼きただれた腕の所々に白いものが見えたことを鮮明に覚えていた。事件の内容が衝撃的なものだったのもあり、マスコミは奈穂の通う高校にまで押し寄せてきた。奈穂のクラスメイトの中にはこの非日常な状況に浮き足立つ連中がいた。彼らは嬉々としてインタビューを受け、無闇にカメラに写ろうとした。


奈穂は彼らを殺すことにした。


夜の校庭で奈穂は五人のクラスメイトと対峙していた。学校の門はこの時間には締まっているのだが、両横の生け垣を利用して飛び越えられるので、あってないようなものだった。学校は夜になると警備員がいなくなるし、国道沿いにあったのでもしターゲット達が騒いだとしても誰かに気付かれる心配はなかった。その夜は星の無いまっくらな夜空だったが月は死人のような白い光で地上を照らしていた。

「話って何?」

右端に立っている男子生徒が尋ねた。

「何も…」

奈穂は答えた。男子生徒は眉をひそめた。奈穂は気にしなかった。どうせ刺し殺してしまうのだ。

その瞬間一番後ろにいた女子生徒が呻きながら倒れた。全員が一斉にそちらの方を向いた。


一瞬の出来事だった。残りの四人も次々と倒れていった。その間奈穂に見えたのは俊敏に動く小さな影と青白い光だけだった。後になってそれはスタンガンの光だったのだと奈穂は知った。四人を倒すと影は奈穂の方に体を向けた。

「君、奈穂さん?」

影は小首を傾げながら尋ねた。胸元で何かが揺れた。首に何かを下げているらしい。

「…うん」

奈穂はポケットのナイフを握り締めながら答えた。奈穂は影のシルエットと声から相手は自分より年下の男の子だろうと推測していた。

「和真、やらないの?」

突然奈穂の背後から声がした。奈穂は飛びのいた。和真と呼ばれた影より随分大きい影が立っていた。

「岩崎さん、この人さっき話した奈穂さん」

小さい影が答えた。

「おや、焼殺事件の。俺は鳥目だからよく見えないんだよ。で、お嬢さんはどうしてこんな時間にこんな場所にいるの?」

「……この人達と話すために」

「クラスメイトかなんかでしょ?学校のある時に話したらいいじゃんか」

「それは無理です」

「なんで?」

「ねえ」

小さい影が口を挟んだ。奈穂と大きい影はそちらを向いた。

「僕達今からこいつら殺す予定なんだけど一緒に来ない?」

奈穂は反射的に頷いていた。


着いたのは住宅地から離れた土手だった。そこに車を停めると運転席の窓を叩く音がした。見ると笑顔の青年とやせた女が中を覗きこんでいた。

「仲間だよ。後で紹介する」

荷車を使って近くの小さな町工場のガレージの中に気絶した五人を運んだ。ガレージの光で奈穂はようやく一味の姿をはっきり見ることができた。岩崎が口火を切った。

「この子はあの焼殺事件の奈穂さん。今日たまたま出くわしたんだけど、ついてくるって言ったから連れてきた」

次に岩崎は小柄な少年を指した。病的に肌が白く、唇だけが浮き上がるように赤い。B  級ホラーに出てきそうな容姿だ。首に掌ほどの大きさのピンクのカエルの人形をさげている。

「この子は和真。さっきスタンガンで五人を倒した子。一応これでも中三で菜穂さんとは二つしか違わない」

奈穂にはどうしても小学生にしか見えなかった。

「よろしく」

和真はぶっきらぼうに言ってから奥のドアの中に入っていった。青年が付いて行こうとしたが断られてしまった。

「彼は早川君。見た目は軟弱な優男だけど意外に力持ちなんだよ。色々助かってる」

早川は細身の青年だった。和馬が白粉をはたいたような重みのある肌白さなのに対し、早川は今にも消え入りそうな繊細な雰囲気を持っていた。

「早川です。よろしくお願いします」

早川は優しい微笑みでなよなよとお辞儀した。確かに女々しいと言われても仕方がないと奈穂は思った。

「彼女は小谷さん。この町工場は彼女のものなんだ」

小谷は黙って会釈した。さらさらと流れた髪をかきあげる。瘦せぎすの女だ。

「で、私は岩崎」

岩崎は肌のよく焼けた、恰幅のいい中年男だった。奈穂は岩崎に既視感を覚えたが、それは岩崎がどこにでもいそうな男だからかもしれなかった。

「始めようよ」

和真がノコギリやロープ、鉈などの刃物が乗った台車を押してやってきた。

「どれを使うの?」

奈穂は尋ねた。

「さあ」

「決めてないの?」

「決めなくても勝手に決まるから」

奈穂には意味がわからなかった。

「やってみたらわかるよ」

そう言って和真は体を横にずらした。奈穂の前に縄で縛られている同級生達が現れた。まだ気を失っているらしく五人とも静かに横たわっている。奈穂は彼らの前にしゃがんだ。今から私はこの人達を殺すんだと奈穂は思った。今まで奈穂と同じように内職と言って古文の授業中に英語の宿題をし、昼休みの教室で大富豪をし、補講で部活に行けないことに不平を言い、学年主任の顔のできものをネタにゲラゲラ笑いあっていた、そんな彼らを殺すのだ。私がこの五人の未来を、思考を、鼓動を、呼吸を、命を、存在を、断つのだ。

奈穂は不意に吐き気と眩暈に襲われた。


菜穂は空飛ぶ車に乗っていた。運転席に座っていたのでその車が赤いのが見えた。空は雲一つない真っ青な快晴。下は火のついた森だった。火がついていると言っても炎があがっているのはほんの一部で、まだ緑の方が多いくらいだった。奈穂はこれが夢だということを最初から認識していた。助手席には和真がいた。後ろに岩崎、早川、小谷が座っている。車はあまりスピードを出しておらず、景色の移り変わりがゆるやかだった。突然、車の下方に白銀のヘリコプターが現れた。青、緑、赤の原色の世界に突如侵入してきたこの無機質な飛行体を見た瞬間、奈穂はあれに飛び移らなければならないと思った。そして車中の全員がそう感じていることもわかっていた。実際、和真は既にドアを開け半身を外に出していた。奈穂もドアを開けた。上半身を外に出す。そうして初めてヘリコプターから煙があがっていることに気づいた。急がなきゃ。奈穂はヘリコプターに向かって飛び降りた。


眼前に生首が転がっていた。奈穂は叫ぶことすら出来ずに後ずさりした。そして右手に血塗れの肉切り包丁があることを知った。両腕に力仕事をした後独特のだるさがあるのを感じた。

「大丈夫?」

早川が心配そうに言った。奈穂は黙って頷いた。

「すごいでしょ」

和真がなんてことないように呟いた。顔の血飛沫を全く気にしていない様子だった。

「これ、私がしたの?」

奈穂はそこらじゅうに散乱している首や四肢、胴の切れ端を指差した。和真は首を横に振って

「違う。僕達全員でやった」

と答えた。

「うそ」

奈穂は無意識のうちに返していた。

「俺達も殺している間の記憶は全く無いんだよ。ただ状況から判断して俺達以外ありえないだろう?」

岩崎が両手の血を拭いながら宥めるように言った。

「どういうことなんですか?」

奈穂は自分でも気付かないうちに頭を抱えていた。小谷が静かに奈穂の肩に手をかけた。

「私達みんなで同じ夢を見ている間に、無自覚のまま人を殺しているの」

「じゃあ皆さんも燃えている森の上を飛ぶ車の夢を見たんですか」

一同は無言で頷いた。

「どうしてこんなことが」

「さあ。わかっていたらこんなこと続けないわ」

「いつも同じ夢なんですか」

「毎回違うよ」

和真が答えた。

「この前は木と白い柵のジオラマの夢だったよね」

早川が言った。

「今回の方が動きがあって面白かったや」

和真が満足げにつぶやいた。

「いつもこんなことしているんですか」

「そうだよ」

岩崎が恥ずかしそうに答えた。奈穂は状況を理解し始めていた。不思議だしどういう原理でこの現象が起こっているのかは分からなかったが、現実に起きていることとして受け入れられそうだった。しばらくためらってから奈穂は口を開いた。

「次はいつするんですか」


ある夜、奈穂は再び例のガレージにいた。和真達も一緒にいる。目の前には三人の男女が両手両足を縛られた状態で転がっていた。スタンガンで気絶しているので静かなものである。奈穂達は夜の公園で花火に興じていたこの三人を殺すために拉致したのだった。しかし正確に言えば奈穂達の目的はあの不思議な夢を見ることであり、殺人はあくまでその付随的結果にすぎなかった。


奈穂達は踊っている奈穂達を見ていた。それぞれが違う動きをしている。BGMは神聖かまってちゃんの「男はロマンだぜ!たけだ君っ」である。しかしただ流れているだけで誰もリズムに合わせようとはしていなかった。踊っている奈穂達は空中に浮いていて背景の街並みは早送りで流れていく。それを見ている奈穂達も当然宙に浮いているはずだが何の感覚もなかった。無感覚の視点人物というのは奈穂がよく夢で体験するものだった。


今回はロープで首をしめるというシンプルな殺し方だった。

「殺し方にもバリエーションがあるんだね」

奈穂は感嘆した。

「道具が豊富だからね」

和真が答えた。


奈穂は和真、早川と一緒に土手沿いを歩いてバス停に向かっていた。土手沿いにはシャッターの降りた工場や今にも崩れそうな廃屋がポツリポツリと立っているだけで誰かに見られる心配はなかった。

「そういえばこの前の五人のこと何か聞かれた?」

和真が首元のピンクのカエルを弄びながら聞いた。

「うん。聞かれた」

「何て?」

「最後に見たのはいつですかって。それも形だけだったけど」

「じゃあ全然疑われていないんだ」

「行方不明ってだけで殺人事件にはなってないし」

「でもあの子たちと会う約束していたのとかバレていないの?」

早川が尋ねた。

「口約束だったんで」

「でもその約束しているところを見て覚えている人とかいないの?」

「休み時間に教室で堂々と話したんで逆に誰も気に留めていなかったんだと思います」

「大胆だね」

「その時は奈穂さん捕まってもいいとか思ってたんでしょ」

和真は鋭かった。しかし奈穂はこの二人に心を開こうとはまだ思わなかった。

「そんなことないよ。本当勢いだけの無計画だったから。もう少し頭使えばよかったって今すごい後悔してるもん」


この奇妙な集まりは全員の都合が合う日に不定期に行われた。岩崎と和真と奈穂が夜遊びをしている中高生を調達してくる。同じ地域で拉致を繰り返すと大事になりかねないので、かなり遠出することもしばしばあった。調達班が遠征している間に小谷は場所の準備をした。早川は調達班についていくこともあれば小谷の手伝いをすることもあった。

死体の処理はいつも大人達が行った。奈穂と和真は学校で朝が早いはずだからという名目で一足先に帰らされていたので、死体がその後どう扱われているのか全く知らなかった。このことに関して奈穂は申し訳なく思っていた。しかし奈穂が手伝うと切り出しても岩崎に断られてしまうのだ。和真は死体の処理方法を度々尋ねたが教えてもらえなかった。

ある日の集まりで珍しく夕方に事が済み、奈穂と和真は日が沈む前にガレージを出た。夕焼けが地上線を燃やしていた。二人はしばらく黙って歩いていたが、農具をしまっておく小さな小屋を通り過ぎる時に和真が口を開いた。

「どうやって隠してるんだろう」

「何を?」

「死体」

「そんなに気になるの」

「だって全然バレないなんて不思議じゃない?」

「確かにそうね」

「それに僕たちにも秘密っていうのが余計にそそるよね」

「それは本当に単に教えたくないだけだと思うけど」

「どういう意味?」

和真は上着のファスナーを閉めた。首のカエルの頭が上着からちょこんと出た。

「子供には見せられないって思ってるんじゃないかなって。ほら岩崎さんて変に過保護なところあるじゃない?早川さんもそういうの気遣ってくれるし」

「僕たち一緒に人を殺してるのに」

和真は寂しげにつぶやいてカエルの頭を撫でた。


秋の嵐が夏の残滓を洗い流しているような雨風の強い日だった。奈穂達は、ある忌まわしい化け物たちを掃討する作戦に参加していた。奈穂は自衛隊のような迷彩服に身を包み、軽トラの荷台に機関銃を抱えて座っていた。隣には見知らぬ女の子が奈穂と同じ格好で座っていた。奈穂と同い年くらいだろうか。軽トラは両脇を背の低い木に挟まれた狭いアスファルトの道を走っていた。右側の木の向こうには汚いものを片っ端から溶かしたかのように淀んだ池が広がっており、左はブレーメンを連想させるような可愛らしい民家が並んでいた。

近くに和真たちの姿は見えなかった。だが五人が夢の中で行動を共にするのと同じくらいの頻度でバラバラに行動することもあった。そしてバラバラに行動している場合五人それぞれが全く同じ状況を経験しているのだった。なので結局全員が同じ夢を見ていることに変わりなかった。

全く知らない少女のことをなぜか白痴の幼馴染として認識していた。その幼馴染は楽しそうに歌っていた。それは奈穂の知っている歌だったが目が覚めた後は何の歌だったかどうしても思い出せなかった。やがて化け物達が軽トラを追いかけてきた。奈穂と幼馴染は機関銃を彼らに撃ちまくった。化け物はあっけなく倒れていったが、とにかく数が多くて振り切るのは無理そうだった。

何人かの仲間達と一緒に走って化け物達から逃げていた。奈穂は後ろから二番目のところを走っていた。さきほどの幼馴染の姿はなく、奈穂は彼女が死んでしまったことを知っていた。どす黒い夜の中だったが近くに陰気な森があるのだけははっきり見えた。奈穂達はその森から抜け出したばかりで今は基地に撤退しているのだった。やがて江戸時代の農民の家じゃないかと思うようなボロボロの家が集まった集落に入った。一番手前の家の戸が開き、中の仲間が手引きした。切羽詰まった状況だというのに丁寧に一人ずつ入っていく。化け物達はすぐそこまで迫っていた。しんがりが目の前で殺されてしまった。化け物は目の前にいた。銃は使い物にならない。奈穂はさすがに恐怖を覚えてもっと急ぐように怒鳴った。化け物が奈穂に向かって突進してくる。奈穂は前の仲間の背中を力任せに押し込んだ。そして間一髪のところで小屋の中に入ると思い切り戸を閉めた。振り返ってみると、小屋の中は畳の和室で布団がいくつか敷かれていた。奈穂達に外の様子を聞く者や騒ぎに関係なく寝ている者など様々な人間がいた。誰も知り合いではないが奈穂は彼らに懐かしさを感じた。昔の知り合いに会ったような安心感と浮わついた感じだ。奈穂は寝床を探しに行くために奥の障子を開けた。開けた向こうは縁側になっており、外とはガラス戸で仕切られていた。ガラス戸の外は寺にありそうな立派な庭が広がっているのがわかった。暗くて詳しくは見えなかったが、大人がすっぽり入ってしまえるような大きさの岩がゴロゴロと転がっていた。縁側を歩いて渡り、隣の部屋の障子を開けた。そこにも人が何人かいた。彼らはトランプで遊んでいた。奈穂はここは私の居場所じゃないと思った。そしてさらに隣の部屋の障子を開けた。しかしやはりそこも奈穂の居場所ではなかった。そうして奈穂は部屋を巡りつづけた。

そのまま朝が来た。また場面が切り替わっていた。今度はやけに照明の明るいこぎれいな食堂にいた。ピカピカのフローリング。世界の始まりのような白い壁。奈穂は迷彩服の自分がひどく場違いな気がして恥ずかしくなった。食堂の入り口はガラス張りだった。外は白く舗装された広場で緑の木が点在していた。いつの間にか入り口のドア付近に着飾った女の子達がたむろしており、奈穂と目が合うと中に入ってきた。奈穂はまたも懐かしい気分になった。もちろん彼女達の内の誰も顔見知りではなかった。彼女達は奈穂を囲むとやたらと奈穂の経歴を褒めた。奈穂はまんざらではなかったがひどく違和感を覚えた。


目の前にはいつも通り死体が転がっていた。奈穂達は道具をなおしながら夢について語り合った。やはり全員が同じ夢を見ていた。

「知らない人達なのに妙に懐かしかったわ」

小谷がホースで鉈の血を流しながら言った。

「俺もだよ。変な感じだったな」

岩崎が答える。奈穂も同意した。

「あの人達みんな僕の知り合いなんです」

早川が戸惑いながら言った。

「へえ。どこの?」

和真が尋ねた。

「小学校、中学校のだよ。あと今行ってる看護学校の友達もいた」

「高校の知り合いは?」

「いなかった」

「幼馴染がいませんでした?」

「いたよ。軽トラの隣に座っていた子」

「どうして女の子ばかりなのかしら?」

「さあ。でも昔から女の子の友達の方が多いんです」

「早川君らしいな」

「どうして早川さんの知り合いばかりが出てきたんでしょうか」

早川は申し訳なさそうに肩をすくめた。

「早川さんの夢だったんじゃない?」

一同は和真の方を見た。

「僕の夢?」

「僕達は早川さんの夢を共有してたんじゃないかな」

「じゃあ今までの夢も…」

「そこまではわからない。今回だけかもしれないし」


小谷以外の四人はファミレスにいた。例のごとく拉致をしに来たのだが実行するにはまだ明るいので時間を潰すことにしたのだ。台風が去ってから涼しくなったが、まだ生き残っている蝉たちが弱々しい断絶魔をあげていた。

「この前の夢ってやっぱり僕の夢だったのかな」

早川がアイスティーにシロップを入れながら言った。

「他に説明の仕様がないじゃん」

和真が大皿に盛られたサラダスパゲティを取り分ける。首にかけたピンクのカエルが首吊り死体のように揺れた。

「そうだけど」

「俺も和真の言う通りなんじゃないかなと思う。それも今回に限らず」

「今回に限らずですか」

早川は三つ目のシロップを投入していた。

「うん。今までの夢もこう、誰かの夢とまでは行かなくても誰か一人、主人公が決まっていた気がするんだよね」

「主人公ですか」

「僕も同感。例えば奈穂さんが初めて参加した時に見た夢は奈穂さんが主人公だったよね」

「え、そうかな」

「だって運転席座ってたじゃん」。

「それだけで?」

「普通岩崎さんか小谷さん、あっても早川さんじゃん。僕には何か意味があるように思えるんだよねえ」

「ふうん」

奈穂はフォークでスパゲティを巻き取りながら聞いていた。

「この前は僕が主人公だったわけだ」

早川はミルクも五つ入れた。奈穂は見ていて気持ちが悪くなった。

「早川さんって甘党なんですね」

「そうなんだ。砂糖とミルクを入れないと飲めないんだよね」

「この前、卵焼きにも砂糖入れてたよね」

「そういう人いるね」

「気を付けないと病気になるぞ」

「既に糖分中毒だと思うけど」

「それ糖尿病じゃん」

「うーん。やっぱり一回お医者さんに診てもらった方がいいかなあ」

「さあね」

和真はジュースを飲むと話題を戻した。

「やっぱり僕は誰かの夢を全員で共有しているんだと思う。だからいつも誰かが主人公になってるんじゃないかな」


和真の仮説はその後実証されていった。今度は岩崎の少年時代の夢を見たのだ。さらにその後、小谷が昔通っていたプールが出てきたり和真の同級生が出てきた。火をまとった奈穂の両親に炎の中へ引きずりこまれる夢を見た時は誰もが脂汗をかいていた。


「和真くんの言ってたこと合ってるかもしれないね」

早川が鍋から白滝とつくねを取りながら言った。五人は岩崎宅で鍋をしていた。岩崎には子供がおらず、妻は早くに交通事故で亡くなっていた。結婚してすぐの出来事だったので周りからは再婚を勧める声もあったが、岩崎は親戚、知人から持ちかけられた縁談をことごとく断ってしまった。結局、岩崎は独り身には大きすぎる一軒家に住み続けているのだった。

「みたいだねー」

和真が上の空で答えた。岩崎宅のリビングはドアを開けるとまずテレビがあり、それと向かい合うように丸机のこたつが置いてある。こたつの奥には薄緑のけばけばしたソファが置かれ、さらに奥には食卓用のテーブル、その右の壁際に木製のキャビネット、左側にキッチンがついていた。和真は一人こたつから抜け出し、ソファに仰向けに寝転っていた。テレビからはバラエティ番組の安っぽい音楽や虚ろな笑い声が流れていたが誰も見ていなかった。

「和真くんもう食べない?」

小谷が尋ねた。

「今食べたら雑炊が食べられなくなっちゃう」

「本当に少食だなあ」

岩崎があきれたように言った。実際和真は二皿分食べるとすぐにソファに撤退してしまった。逆に早川は見かけから想像がつかないほどかなり食べた。奈穂はあんな細い身体にどうしてあれだけの食物を詰め込められるのだろうと不思議に思った。

「そんなに食べてこんなに細いって羨ましいわね」

小谷は床に置いた炊飯器の中をかき混ぜながら言った。雑炊の準備をしているのだ。

「燃費が悪いんですよ。男としてはもう少し太りたいんですが」

「そう?私は細い人好きだよ」

「でも旦那さんは結構恰幅のいい人じゃなかった?」

「んー、昔は細かったんですけどね。今はもうダメ。食べても太らない体質かちゃんと確認してから結婚するべきだったわ」

小谷は自虐的に笑った。

「そんなにこだわるんですね」

和真がこたつに戻ってきた。米の匂いに気付いたのだろう。奈穂は和真が入りやすいように場所を空けた。

「奈穂ちゃんは何かないの?」

小谷が尋ねた。

「何がですか?」

「好きな人とかいないの?」

「いないですね。っていうか人を好きになることがないんですよ」

「ええ!いわゆる絶食系ってやつ?」

「絶食系?」

「岩崎さん絶食系を知らないなんて時代に置いていかれてますよお」

「字面でなんとなく想像はつくけどね」

「奈穂ちゃんはウブな感じがしてたんだけど意外に冷めているんだね」

「私は和真くんの方が冷めてそうだと思いますけど」

「あー。確かに和真くんそういうの興味なさそうだねえ」

小谷は鍋に米を投入しながら言った。和真は米が底へ沈んでいくのを見ながら

「そうだね」

と答えた。そしてカエルの手をばたばたとさせた。

「和真くん雑炊食べられそう?」

早川が尋ねた。

「大丈夫」

「あれだけ休憩していたもんな」

岩崎が言った。会話が途切れたタイミングを見計らって奈穂が口を開いた。

「あれって岩崎さんが作ったんですか」

奈穂はキャビネットの上の小さなジオラマを指差した。それは六本の樫の木を、その半分のどの大きさしかない白い柵が囲っているもので、お世辞にも上手とは言えなかった。

「そう。なんか頭から離れないから自分で作ってみたんだよね」

「へえ」

「何か気になったことある?」

「いえ、大したことじゃないいんですけど。なんとなく見覚えある気がして」

「シンプル過ぎて何にでも似てるって思っちゃうよね、それ」

小谷が言いながら茶碗を手渡してきた。

「そうですかね」

奈穂は茶碗を受け取り両手で抱えて冷めるのを待った。熱いものは苦手なのだ。


その日はきりりとした冷気が空気に溶け込んでいた。昼に小谷以外の四人で出かけ、人気の無い場所を探した。閑静な住宅地の中にポツンとある小さな公園で張り込んでいると、岩崎の読み通り夕方以降人がいなくなった。暗くなった頃、和真が公園にたむろし始めた高校生くらいの男子四人をスタンガンで気絶させ、岩崎の車に詰め込んで運んだ。隣の県の中央部まで行っていたので戻ってきた頃には空に生気を失った青白い星と月が凍りついていた。ガレージに着くと小谷がストーブの上にやかんを置いて待っていた。奈穂達は小谷の用意したお茶を飲んでから準備にとりかかった。


プールの際にいた。そこは小谷が小学生の時通っていたというプールで以前の夢にも出てきたことがあった。ガラス張りの建物の中にある屋内プールだったが、外は真っ白な光に包まれていた。奈穂達はあの光を浴びてはいけないと思い、服を着たままプールに飛び込んだ。プールには底がなく、奈穂達はひたすら下に潜っていった。

一人で小学校の廊下にいた。奈穂には見覚えのない校舎で、奈穂は小谷さんの通っていた小学校だろうと予想した。つい先ほど教室で白い服の男がナイフを振り回し始め、奈穂は命からがら逃げ出したのを思い出した。奈穂は恐怖と焦燥感にかられて廊下を走り出した。奴は奈穂を狙っているのだ。だが奴は奈穂と他の人間の区別がつかないから結局会った者を片っ端から殺してしまうだろう。教室を二つ過ぎると階段があった。灰色の大理石はいやによそよそしく、手すりは奈穂の膝くらいの高さしかなかった。奈穂は何か違和感を覚えたが、後ろからナイフを振りかざした全身血塗れの男が走ってきたのですかさず階段を上に駆け上がった。階段の途中にいた数人の生徒も悲鳴をあげて走り出す。そこで奈穂はさっき感じた違和感の理由に気付いた。この階段は普通の学校の階段の二倍ほどの幅があり、しかも踊り場までが異様に長いのだ。しかし夢の中の奈穂は楽々と階段を駆け上がれた。あっという間に他の生徒を抜き去り上の階にたどり着く。後ろを振り返ると踊り場で女生徒が胸を刺し貫かれていた。奈穂は廊下を走りまた二、三の教室を通り過ぎて、今度は校舎の端の階段を駆け下りた。最初にいた階にたどり着くと上から阿鼻叫喚の叫び声が響いてきた。奈穂はさらに下の階に行こうとしたが、途中の踊り場で校舎の外に出るのが一番安全だということに気付いた。壁の半分ほどもある窓の鍵を回し、窓を開けた。下には中庭があるはずだが、木が茂っていて林のようになっていた。奈穂は躊躇なく飛び降りた。

下は中庭ではなく雑木林になっていた。薄汚れた白の細い歩道がうねうねと中を突っ切っていた。木の向こうに校舎の入り口が見えた。奈穂は葉の間から、あのナイフ男が飛び降りてくるのを見た。ナイフ男はべしゃりと地面に叩きつけられるとそのまま動かなくなった。奈穂は不意に彼が知り合いのような気がして顔を見たくなった。そっと近づいていく。彼はうつ伏せに倒れており、しかもフードを被っているので顔が全く見えなかった。奈穂は恐る恐るフードをとった。長い黒髪がはらりと垂れた。奈穂はさっきまで男だったのにと不審に思った。見てはいけないのではとして不安になったが、思い切って仰向けにしてみた。

奈穂は絶叫していた。


五人とも疲弊した顔をしていた。高校生達は骨が見えるまで肉を削がれていた。奈穂は小谷の方を見た。小谷は放心状態でしゃがみこんでいた。両腕で肩を抱いている。少し震えてもいるようだった。岩崎もその様子を見て大丈夫ですかと声をかけた。小谷は黙ったまま頷いた。

「お茶淹れてきますよ」

早川は奥のドアの向こうへ消えた。

「後始末は俺達がしておくから小谷さんはもう休んだ方がいい」

岩崎はそう言って小谷の手から包丁を抜き取った。小谷は小さく謝ってさらに小さく縮こまった。

「あの夢って…」

と奈穂が言いかけたのを岩崎が目で制した。奈穂はきまり悪くて俯いた。小谷は肩を抱いていた腕を恐る恐る下げて床に手をつけた。そして奈穂達と目が合わないようにするためか、じっと床の一点を見つめながら

「私、子どもができない身体なの」

と言った。岩崎と止めようとしたのを和真が手で制した。小谷は和真にうっすら微笑みかけると続けた。

「昔の婚約者もそれが理由で逃げていっちゃったの。今の旦那は結婚する前はどうせいつ潰れてもおかしくないボロ工場に跡取りなんていらないから大丈夫だって、気にするな、なんて言ってたのに、少し経営がうまくいきだしたら、不妊治療の病院を調べ始めちゃって…義父母も陰口叩くふりしてわざと私に聞こえるように孫の顔が見たいのにって、遠回しに私のこと責めてきて。みんな人のこと跡取り生産機くらいにしか思ってない。そんなに子どもが欲しいなら私となんかさっさと別れてしまえばいい」

「小谷さんのこと一番責めてるのは小谷さんなの?」

和真が尋ねた。岩崎が睨むと和真は顔色を変えないまま、しかしカエルを形が変わるまで強く握りしめていた。小谷は黙って床の一点を見つめ続けていた。そこに逃げ道の入り口があるかのようだった。

「お茶淹れてきました」

早川が強張った顔で盆を手に入ってきた。ドアの陰で聞いていたのだろう。早川は申し訳なさそうにお茶を配っていった。白い湯気が天井を目指して立ちのぼり、部屋の明かりに溶け込んでいった。


次に集まった時、小谷はやつれていた。だが表情は晴れ晴れとしていて、凶器の準備中も岩崎のちょっとした冗談に笑ったりした。奈穂はその変化にうっすらと気味悪さを感じた。和真や早川の顔を見ても戸惑っているのが分かった。

準備が整い、あとは夢を見るだけになったとき小谷は

「私、多分もう見れないと思います。だから奥に下がってます。終わったら言ってください」

と言って部屋の奥のドアの向こうに消えた。奈穂達は呆気にとられていた。岩崎だけは歩き始めたばかりの幼児が何も持たずに進むのを見守るかのような妙な顔をしていた

「小谷さんどうしちゃったんですかね」

菜穂は岩崎に聞いてみた。岩崎はためらってから静かに

「旦那さんが失踪したんだ」

と答えた。奈穂は初耳だったので驚いた。和真と早川も顔を見合わせた。

「奈穂ちゃん達三人は隣町だから知らなかったんだろうけれど、この前の集まりがあってしばらくしてから工場から帰ってきてないらしいって噂になってね。偶々小谷さんに出くわした時に聞いたら、そういうことになっているんだと」

「それ小谷さんが…」

「多分な」

岩崎はあっさり同意した。


それ以来小谷は場所の提供や死体の処理を続けてはいたが、夢見に参加することはなくなった。そして奈穂達四人も小谷の夢を見ることはなくなった。奈穂達がいつも通り人を調達しガレージに戻ると、小谷がうつむきかげんに指を組みつ放しつしながら

「申し訳ないんですが、一人譲ってもらえませんか」

と切り出した。

「何に使うんですか」

「削ぎたいの」

小谷は恥ずかしそうに答えた。早川は絶句してしまった。岩崎が淡々と

「いいよ。後処理はこっちと合わせてする?」

と返した。

「はい。お願いします」

小谷は安堵したようだった。

小谷と岩崎が連れてきた中で一番太っている少年を運んでいるのを横目に和真はこっそり奈穂に話しかけた。

「旦那さんの肉も削いだのかなあ」

「そうなんじゃない」

「でも別にそれで味を占めたわけではなさそうだよね」

「どういう意味?」

和真は珍しく顔をしかめた。祭りの群衆に紛れてしまって、見たいだんじりが見えずにすねる子どものようだった。

「なんて言えばいいのかな。ただのストレス発散とかじゃなくて不可抗力でやっちゃってる感じ」

「和真くんがカエルを持ち歩くのと同じ感じ?」

奈穂は意地悪く返してみた。和真は気にする素振りを見せず

「うん。それが一番近いかも」

と答えた。しかし本人でも知らないうちに右手がカエルの頭にいっているのを奈穂は見逃さなかった。ちょっと悪かったかなと奈穂は反省した。


小谷はそれからも度々、人の譲渡を頼むようになった。岩崎はそのことについて最初から何も言わなかった。早川も初めこそ困惑の表情を隠せていなかったが、そのうち

「でもいつも小谷さんに場所の用意とか後処理とか手伝ってもらうだけって悪いしね」

と納得してしまった。

人の調達をしようと他県まで岩崎の車で移動している間、珍しく小谷の話題があがった。それまで小谷との関係は相変わらず続いていたとはいえ、なんとなく彼女の話をするのをみんな避けていた。切り出したのは和真だった。

「小谷さん、どうして夢を見れなくなっちゃったのかな」

「やっぱり気になるよね」

早川が返した。

「小谷さんは救われたんじゃないか」

岩崎が前を見ながらポツリとと呟いた。残りの三人は顔を見合わせた。和真は身を乗り出して

「何に?何から?」

と聞いた。岩崎は笑みを含んだ声で

「さあ。わからないがとにかく救われたんじゃないかな、と」

「夢を見ないっていうのは救われたってことなの」

和真はさも心外だと言いたげだった。早川は前の座席から和真を心配そうに見つめていた。奈穂も和真とは違う意味で納得がいかなかった。

「人の肉を削ぎ続けているのにそれって救われてるんですか」

「本人が救われたと感じたならそれは救済なんだよ。他人がどうこういうもんじゃない」

奈穂はシートに力なくもたれた。隣の和真は肩肘をついて、ピンクのカエルを弄びながら外を見ていた。奈穂は目を閉じた。

奈穂は小谷の夢を見た。それは見ている間に人を殺したりはしない普通の夢だった。小谷は底の見えない穴と子どもの背丈ほどに盛られた土の間にしゃがみこんでいた。土山に何かを突っ込んではそれを穴の中に入れるという行為を繰り返していた。

「何をしているんですか」

菜穂が尋ねると小谷はにっこりと笑って

「この穴を埋めているのよ」

と手に持っているものを奈穂に見せた。それは底のない柄杓だった。奈穂が口をきけずにいると岩崎が横にやってきて

「でも小谷さんはちゃんと生きているんだぞ」

と耳元で囁いた。

車の振動で目が覚めた。奈穂は目に手をやって自分が本気で悲しんでいることに気づいた。朝から天気の悪い日で午前は空がどんより曇る程度だったが、昼を過ぎると冷たい雨粒が空から勢いよく弾き落とされてきた。車を降りた後、和真が空を見上げて神妙な顔で

「これがいわゆるドロップアウトなんだね」

と言ったので奈穂は思わず笑ってしまった。


所々に苔の生えた古い石橋を歩いて渡っていた。周りはおとぎ話に出てきそうな森だった。石橋の下にはレンガの水路が走っており、透き通った水がさらさらと流れている。森の中は春のうららを思わせるような気持ちのよい陽気だったが、水路の水は銀の針のように冷たいに違いない。しかし石橋は頑丈な造りになっているので絶対に崩れないだろうと奈穂は確信していた。奈穂の前には例の早川の幼馴染がいた。水色のリボンを巻いた麦わら帽に、青いワンピースをひらめかせてハミングしながらスキップしている。橋の向こうは見えているはずなのに何があるのか分からなかった。だが奈穂は幼馴染について行けばいいだけだったので何も不安はなかった。幼馴染は奈穂に背中を向けたままだったが、相変わらずとても楽しそうだった。奈穂はなぜ私は彼女と一緒に楽しむことができないのだろうと思った。その瞬間、踏み出した足から橋が嘘のように崩れた。あ、と思った時にはもう遅く、奈穂はあっけなく落ちていってしまった。

薄暗いホテルの廊下にいた。しみや綻びが目立つ赤いカーペットが敷かれている。奈穂はさらわれた姫を奪いに敵の城に侵入したのだ。不意に物陰から緑の小鬼が襲いかかってきた。奈穂は手に持っていた棒切れで小鬼をめちゃくちゃに叩いた。そして小鬼が動けなくなるとあてもなく走り出した。しかし身体がスローモーションにしか動かず、全く進めなかった。

見覚えのない仲間たちとともに、階段下にあるコンクリートの扉の前で立往生していた。扉には鍵がかかっているのだ。奈穂達は棒切れを叩きつけたり体当たりしたりしたが、扉はビクともしなかった。階段の上に大きな赤鬼が現れた。人間ほどの大きさの棍棒を持っている。赤鬼はゆっくりと階段を降りてきた。赤鬼は城主であり姫をさらった張本人だったが、奈穂達は棒切れも刃物も銃弾もものともしない彼に全く歯が立たず下まで追い詰められたのだ。奈穂の仲間も既にたくさん倒されていた。彼の圧倒的な力を前に奈穂は許してくださいとすがるしかなかった。

学校の部室の前に立っていた。部室の向かいには校舎と体育館を繋ぐ屋根付きの通路があり、奈穂はそこに立っていた。側に和真、早川、岩崎もいた。部室の向こうには太陽に焼かれているグラウンドが垣間見えた。奈穂達は体育館の方向へ通路を進み始めた。体育館の横にネットを張っただけのテニスコートがあり、通路はその区画をなぞるようにカクカクと曲がっていた。奈穂達はそこまでは行かず、テニスコートの手前、部室の隣にある更衣室の前で足を止めた。早川が引き戸を開ける。誰もいない。奈穂達も早川に続いて中に入った。がらんとした棚が並んでいるだけだった。奥の方に目をやると窓が真っ白に輝いていた。その白い光は水に一滴垂らしたインクのように流れ、人の形になっていった。やがて白い王冠と白い翼を持つ、恐ろしく場違いな女が現れた。女は窓をカラカラと開けると、早川に向かって

「この向こうがあなたの王国です」

と言った。早川が窓の方に歩み寄った。奈穂達もついていく。4人は窓の向こうを覗きこんだ。

真っ白い空間にピンクのカエルが転がっていた。


「僕はエゴイストでそのくせ小心者で、弱いくせに独占欲だけは強い…最低だ、人間のクズだ」

早川は頭を抱えていた。岩崎もかける言葉が見つからないようだった。奈穂は和真の方を見た。少し顔色が悪いようだったが、両腕はカエルにはいかず、ロープを持ったままだった。ああ、そういうことなんだ、と奈穂は了解した。

「嫌だったら答えてもらわなくていいんだけど」

奈穂は前置きをした。

「いつからなの」

「結構前から。去年の夏かな」

和真はあっさり白状した。そして奥の方を見た。奈穂もつられてそちらを見ると、ドアの前で盆に茶を載せて小谷が立ち尽くしていた。気まずそうに

「音で終わったんだと分かって…入るタイミングやっぱり悪かったよね、ごめんなさい」

「入るタイミング失うよりマシなんじゃない」

和真はそっけなく返した

小谷は心配そうに早川を見ながら茶を配っていった。和真は両手に二つのお茶を持って早川の前にあぐらをかいた。そして頭を抱えたままの早川を真っ直ぐに見つめた。口を開けたが結局何も言わずにぶすっとした様子で

「お茶、冷めるよ」

とお茶を差し出した。早川は動かないままだった。和真は手を引っ込めると自分のお茶をすすり、それから小谷の方を見た。小谷は困ったような照れ笑いで肩をすくめた。

「明日もこの工場使うから朝4時には迎えにくるわよ」


しばらくして集まった時、早川は顔を出さなかった。岩崎が和真に尋ねると和真は

「風邪だって」

と答えた。小谷がお茶から立ち上る湯気をぼんやり見ながら

「こじらせちゃってるのねえ」

と呟いた。和真はため息混じりに

「そうだね」

と返した。奈穂は手形が残っている死体をもの珍しげに眺めながら言った。

「別に私たち気にしてないよ。ただの嗜好でしょ」

「体裁だけの問題じゃないし」

和真がなぜか自嘲気味に言った。

岩崎は困った顔をした。小谷はさっきとは違って今は意図的に湯気を見ているようだった。何を見ればいいのかわからないのだろう。しかし奈穂にはなぜ二人がレールを失った電車のように戸惑っているのか分からなかった。和真はカエルの頭を撫でながら

「僕もいつかは大人になる」

と言った。

「ああ…」

そういうこと、と言いかけて奈穂は口をつぐんだ。

和真は早川の看病があるからと先に帰ってしまった。奈穂は帰る気分になれずに二杯目のお茶を飲み始めた。岩崎と小谷もお茶を汲んだ。あくまで奈穂に死体処理を見せるつもりはないらしい。

「早川さん戻ってきますかね」.

「和真が引きずり出してくるだろう」

「私、ひどかったですか」

「嗜好って言い方は改めた方がいいかもね」

小谷がもう動くことのない中学生達を一瞥して

「和真君も早川君も可哀想ね」

と呟いた。

「和真はそれを聞いたら怒るだろうな」

岩崎は苦笑いした。


岩崎の予測通り早川は戻ってきた。早川は開口一番に

「お騒がせしてすみませんでした」

と頭を下げた。

「帰ってきてくれてよかった」

「一緒に夢は見れそうですか?」

「僕は救われないからね」

と答えた。小谷が不思議そうな顔をしたが、奈穂達は笑ってごまかした。

奈穂達は保育園の運動場に立っていた。小さな建物、小さなグラウンド、小さな遊具、小さな白い柵。柵の内側の樫の木だけが無闇に大きい。ここは私が通っていた保育園だと奈穂は思った。水色のゴミ袋のような服に包まれた園児達がガラス戸から飛び出してきた。園児達を送り出す形でこげ茶のエプロンをつけた女が戸口に立っている。園児達を一通り送り出すと自身も最後の園児の手を引いて外に出てきた。奈穂はその女を見ると心がうずく感じがした。運動場は日が照っていて布団のように暖かいにちがいない。園児達は走り回ったり、砂場でどろんこになったり、それぞれの遊びに興じていた。しかしその場に奈穂達はいなかった。映画を観ていたら肉体を取り残して精神だけが画面の中に引き込まれたかのような、妙な臨場感と曖昧さの混じった不思議な感覚だった。

保育園の横の駐車場から白い車が出てきた。刃のように車体を輝かせながら駐車場を出て運動場脇の道路に左折する。車の進行方向にいつの間にか先ほど園児を送り出していた保育士が立っていた。女は運動場の方をにこにこと眺めていて車に全く気付いていない。車の方も女に気付いていないわけがないにも関わらずそのまま進んでいく。奈穂達が不思議に思っていると車は女をゆっくりとしたスピードで轢いていった。女は轢かれている時も最後まで楽しそうに笑っていた。車は轢き終えると女に構わずに走り去っていった。奈穂は取り返しがつかないことに対する悲しみと底なしの絶望を感じた。

気付くと園児達の姿はなく、白い柵に囲まれた樫の木だけが笑ったままの女を見下ろしていた。


どっちの夢なんだろうと奈穂は岩崎を盗み見た。岩崎はなにげない様子で掃除にとりかかろうとのこぎりを死体の首にかけていた。

奈穂からしてみれば昔通っていた保育園の先生が交通事故で亡くなった時に関する夢だった。だが、岩崎には別の意味合いがあるのではと奈穂は思った。あの先生は岩崎の亡くなった妻だったのだろう。隣町なのだから、ありえなくはない。

「白い柵と樫の木だから岩崎さんの夢だね」

和真が言った。あそこが奈穂の保育園だったことは奈穂が言わない限り誰も知らないんだったと奈穂は気付いた。

「そうだな」

岩崎は静かに答えた。


「僕たちもあんなに生々しい悲しみを感じるなんて不思議ですね」

早川が無表情でつぶやいた。

「俺たちは夢の中でつながっているからだろう」

岩崎が叩き潰された死体の衣服をつまみながら答えた。

「なんでつながっているの?」

「そこまでは分からないけど。ただ皆自分がどこかしら壊れていると思っていて、そのせいでどんどん外の世界から自分の中の世界に踏み込んでいるだろう?その世界は自分の中で完結していると思いがちだが、本当は現実世界と同じで他人と共有するものがあるとしたら、俺たちはそのリンクしている部分で夢なんていうプライベートなものを見せ合っているのかもしれない」

「何言ってるのか分からないよ」

「すまん。俺も考えがまとまっていないんだ」

「分かるような分からないような気がしますね」

「でも自分の世界なんて究極に孤独だと思っているから、もしそこが他人の世界とつながっているとしたら素敵だけど怖いわよね」

「どこまでいってもひとりぼっちになれないもんね」

「ひとりぼっちになりたいのか?」岩崎が意地悪く笑った。

奈穂は黙って会話を聞いていたが、不意に自分なりの答えを思いついた。孤独によって得られる自由に憧れていて、けれどひとりぼっちは寂しいから夢の世界でつながっているんだ。思い通りに生きられないと分かっているから夢の世界を他人に見せてしまうんだ。本来は現実世界、そこでの思考論理を共有して自分の本心は上手く隠すものだけど、私達はその反対をしている。小谷さんは現実世界で自分の欲求を満たす方法を知ってそれを実行するようになったから私達と夢を共有できなくなった。

奈穂はその発想を反芻している内に泣きそうになった。滲んだ涙をごまかすために欠伸するふりをした。和真が不思議そうに

「奈穂さん、疲れているの?」

と言った。奈穂は胸の痛みに気づかれないように精一杯笑った。

「うん。ちょっとね」


帰り道、菜の花の幸せそうな色を尻目に奈穂は和真と歩いていた。風はまだ冷たかったが、確実に冬の硬さは溶けていた。和真はのどかな春の風景を不安げに眺めていた。

「僕たちずっとこれを続けていくのかな」

和真はカエルに手を伸ばそうとするのを我慢していた。和真は奈穂にカエルのことを言われてから自分がカエルを弄るタイミングを意識するようになり、なるべく人前でカエルに触れないようにしていた。そしてそのことに奈穂は気付いていた。奈穂は罪悪感はあまりなかったが、和真が一種の逃げ場を失ったという点で心配はしていた。しかしどうやって対処したらいいのか分からなかった。

「さあ。誰にも分からないんじゃないかな。少なくとも意図的に始めた訳じゃないから自分の意志でやめられるものじゃないかもね」

奈穂は無難な言葉を紡ぎながら心の中では別の返答をしていた。

私達はこれからも夢を見続ける。いつか救われるその日まで。

















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