蛇と鎖と男女な貴方

T@SK

第1話 ポニーテールな彼のこと(視点 とある女子高生より

 幸福のタルトを口にすれば、コーヒーはすぐさまやってくる。行きつけの喫茶店でよく聞くバラードの歌詞は、自分の人生をよく表していると思った。普段の寝起きの悪さが嘘のようにベッドから軽やかに弾み、ハーフアップも一回で納得の行く出来になった。そのまま朝の潮風を浴びながら島の中央にある学校に向かおうとしたのが今からニ十分前のことだ。

 「ほんと、ままならいなぁ‥‥‥」

 思わず呟きが言の葉の形になる。なんで、小石に躓いたくらいで足を挫いてしまうんだろうか。しかも、よりにもよってその現場を近くのお婆さんに見られてしまった。たぶん、顔が熟れたトマトみたいになってたと思う。不幸中の幸いかお婆さんに氷嚢を貰ったから痛みはそれなりに引きはした。ふと時計を見る。八時十五分。たとえ私が全速力で走ったとしても学校まではニ十分は掛かる。

 「遅刻確定、か」

 はぁ、とため息が漏れる。私はなんでこうもツイて無いんだろう。可愛い栞が手に入ったと思えば挟んでいた本が雨に濡れる、人気のケーキを家で食べようと思ったら紅茶の方を切らしていたり。幸運を台無しにするようにして不幸が訪れてくる。それがなんだか、自分の人生の真理のように思えてしまった。‥‥‥五月の雲が太陽を飲み込んで、地面に翳を落としていた。

 「ねえ、君」

 声がした。うつむいた顔を上に上げると、白髪のポニーテールが風に揺れていた。

 「その制服さ、うちの学校のだよね?」

 問いかけの主は軽やかなTシャツとハーフパンツを着た可愛らしい子で、よく見てみるとハーフパンツは学校指定の物であるのが見て取れる。

 「‥‥‥ええ、そうだけど」

 「だよね!学校っていっても、島にある学校は一つだけだもんね。にしても、なんでここで座ってるの?遅刻しちゃうよ?」

 「‥‥‥見て分かんない?怪我してるのよ、怪我」

 「あ、えっと、ごめんね‥‥‥」

 少し、会話が絶える。やってしまったと、自己嫌悪が脳の中に染まっていく。なんで親切に声を掛けてくれた相手にまで素直になれないんだろうか。

「‥‥‥」

 ポニーテールの少女は少し考え込んだ後に、背を向けた。

「(そりゃそうよね、こんな愛想悪いの、相手したくないよね)」

 善意を振り払った代償が無干渉なのは当然だ。むしろ罵倒しないだけ優しいのだろう。

 でも、こんな風に扱われるのは、やっぱり、

「背中、乗って!」

「‥‥‥え?」

 下がっていた顔をもう一度上げると、そこには片膝をついて待っている少女の姿が有った。

「怪我してるんでしょ⁉遅刻したらサイモン先生が怖いし、早く行こ!」

「あの、私さっき‥‥‥」

「いいから、早く‼」

 強い語気に気圧されて、思わず口を噤む。脳裏に走るのは幾度かの逡巡。それらを振り払いように体は彼女の方へと向かっていた。

「ああもう、お邪魔します!」

 スクールバックを肩に掛け、少し遠慮がちに手を回して、彼女の髪に顔を近づける。不思議なくらい安心する。意外とがっしりとした筋肉質な背中と、髪から漂う甘い香りが預ける者としての信頼を作っていた。

「それじゃあ、ブッチギッて行くよ!」

「え、わ‼」

 刹那、風を切る音と共に二人の髪の毛は後ろへ靡いた。速い。二本の足を羽ばたかせて、地面を滑空しているとさえ錯覚してしまいそうな程彼女は速かった。少しでも腕を緩めれば自分の体が落ちてしまいそうで、無意識の内に肌を寄せていた。

 「ねえ!これってあなたの【魔道】なの?」

 気になっていたことを、思わず問いかけた。

 人間の本質を表し、その精神性が肉体を媒介にして発現すると言われているのが魔道。彼女がそれを使ってこの速さであるなら得心が行くと思った。しかし、

 「ん?僕魔道使ってないよ?」

 「‥‥‥はい⁉」

 訳が分からなかった。つまりこれは、素の身体能力でこれということなのだろうか。

 「じゃあ何⁉あなた、足の速さに魔道関係ないってこと?こんなに速いのに⁉」

 「え、うん。学校で図った時は、百メートル八秒くらいだったけど、まあまあ速いんじゃない?」

 「そんなわけないでしょ!?」

 この子天然なの?

 「それより聞きたいんだけど、今何分?」

 「えっと、八時ニ十分」

 「よし、後はこの坂を越えるだけだね」

 そう言った彼女の目の前には、今までなだらかだった傾斜が嘘かのように急勾配がそこにあった。

「よし、気合入れて行くよ!」

 大きく一息吸い込んだ後、先ほどよりも速さを増してぐんぐんと駆け上がっていく。遅刻するのが分かってかだらだらと歩いている男子生徒、時間なんか気にせずお喋りに夢中な女子の集団、自転車を引力に引きずられないように必死な顔でペダルを踏むジャージの男子。それら全ての合間を縫うようにして彼女はすらすらと抜き去っていく。

 そうして、加速し続けた彼女の足が止まった時にはもう、学校の門を通り過ぎ、玄関の前まで辿り着いた。

 「ふぅ、無事到着できたね。乗った気分はどう?」

 「え、ええ。まあ、よかったけど」

 「そっか、ならよかった!」

 彼女の背中から降りて、顔と顔が正面を向かい合う。背丈は165の私とあまり変わらず、目線がちょうど重なり合う。見開いた双眸からは黒と青の異色を覗かせ、その瞳に吸い込まれるように見入ってしまった。

 幸福の後は不幸が来るような人生が私の今までだった。だから、彼女との出会いはもしかしたら、人生というレールを変えるレバーかもしれない。そう思った

「ねえ、あなたの名前、聞いてもいい?」

 だから聞いてみた。人の名前を聞くのは、なんだか初めての感覚だった。

 「僕の名前は神門接名。神様の門に、名前を接ぐって書いて神門接名。いい名前でしょ!」

 「‥‥‥ええ、そうね」

 「じゃあ、次はそっち。なんて言うの?」

 「‥‥‥私の名前は」

 バシャリ。

 冷たい水が唐突に窓から降ってくる。両方とも、髪と服がびしょ濡れになった。

 「あ、ごめん!」

 声の方を見上げると、男子生徒が水球を手に浮かべており、おそらくジャグリングか何かで遊んでいたのが伺える。‥‥‥なんだか、怒る気にもならない。けど憂鬱は増していく。言葉通りに水を差された、というやつだ。

 ‥‥‥やっぱり、私の人生って後味が悪い—————。

 「冷たー、濡れちゃったね!まあ、走った後だからちょうどいいんだけどさ」

 少し困ったように笑いながら、接名はバックからタオルを二つ取り出す。

 「はい、そっちも濡れたでしょ?使いなよ」

 「え、うん」

 快活に笑う接名の姿に魅せられて上手く言葉を返せなかった。水を被ったことも笑い飛ばすその明るさに、なんだか言い様のない感情が渦を巻いていて、影を差した憂鬱もどこか晴れやかな心持に自然と変わっていた。タオルを受け取って、髪を拭きながら接名の様子を伺う。濡れた髪が真珠のように輝いて、少し透けた白いTシャツからは女の子特有の下着が見え‥‥‥ない。うっすらピンクなのが、って。

 「え、ちょっと!」

 持っていたタオルを胸面が見えないように当てて、それにびっくりした接名は肩をわずかに跳ね上がらせた。

 「‥‥‥?急にどうしたの?」

 「な、何で付けてないのよ!」

 「?何が?」

 「その、ブラよブラ!女の子なら付けるでしょ普通!」

 「‥‥‥変なこときくね」

 何が変なのだろうか。そもそも、こんな可愛い子がこんなに無防備なのは正直言ってどうかして、

 「僕、男の子なのに」

 いる。


 「‥‥‥‥‥‥‥はい?」


 男?おとこ、男の子。生物学的に女性の反対である男性。こんな可愛いのに?ポニーテールで、背だってそんなに高くないのに、オトコノコ?‥‥‥タオル越しに得た胸板の感触が硬い、それが何を示しているのかが判るからこそ分らなかった。

 「‥‥‥あ、もう時間だ。じゃあ、僕はこのへんで。またね!!」

 触れていた感触も離れていき、彼女、否彼は上靴に履き替えて早歩きで階段の方へと向かっていた。しばらくの間、鐘の鳴る音を聞き流しながら手に持ったタオルを見ていることしか出来なかったが、挫いた痛みを思い出した時に再び歩を進めていたことをここに記しておく。


 これが、彼女に見えて彼である神門接名くんとの最初の出会い。その次の出会いに関しては、私以外の口と言葉で語られるだろう。


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