⨕09:鉄壁ェ…(あるいは、転換の刻/蒼穹仰げば/グリドディバッタァィヤ)

 入院生活は、二週間ばかりで済んだ。


 命を賭しちまったと、そんなくらいな、振り返るほどに全身の血の気というか全・細胞の組織液が引き抜かれるほどの寒気を感じさせるほどの無謀なる我があなる所業ひっさつわざは、激しすぎる前後上下左右律動によって、てっきりこりゃあ末端の海綿体から骨盤腰椎背骨頸椎に至るまでバキ折れてしまったんじゃねえかと絶頂けっちゃく間際の真白き全能思考空間に至る最中にはそんな覚悟をしていたが、あの姐ちゃんに前方から羽交い絞めされていたことが功を奏したのか、俺の背面から腰に掛けての加重はいい感じで散らされていたようで、そこまで大事には至らんかった。まあそれは良かった。良かったとしか言えないが。それでも治療は施され、何日間は完全安静とのことで地元のさびれた病院の個室ベッドに根を下ろすような生活が続いた。


「……」


 静謐も静謐な地元の病室の窓から見える光景は、やはり季節頃を加味しなくても寒々しいことこの上ない。地区唯一の繁華街(と言っても飲み屋と水系の店が八割を占めるが)へと連なる片側二車線道路メインストリートを行きかうクルマも人通りも数えるほどで活気の欠片も無い街並みは、まるであの鉱石の粉塵が舞い降り散てきているかのようにくすみ曇っているようにも見える。


 驚いたのは、そんな変わり映えの少ない風景を日がな一日、固いベッドに半身起こして窓越しにずーと眺めていても、特に飽きることも無いという己のメンタルに、だった。いや、飽きるというか、


 何も感じないというか。


 これも年を取るってことなのかも知れねえなぁ……と、つい先日のあのおっ勃ち祭り……否、大立ち回りが最早夢まぼろしのように感じる……


「……身分を偽っていたことに関しては謝罪します」


 そんなある日、真っ白い個室に漂う消毒薬のにおいを割るようにして、例のあの姐ちゃんはまた颯爽というか、がちがちのオフィシャルモードにて俺のところにも出張ってきたわけで。本日お召しの高価たかそうなスーツは光沢のあるブラック。相変わらずのひっつめ金髪に薄紫フレーム細メガネは変わらず。その奥の鳶色の瞳が冷たく見下ろしてくるのも変わらず……と思ったが、これが常態なんだろうとも思えてきたその目力は、何か俺と目が合った瞬間、少し緩んだようにも感じられた。と、


 でも、差し迫っていた事情もあって、しょうがなかったんです……と、その後に続けられたしおらしげなる言葉には、例の、あの男のどこかを麻痺させ無力化させちまうような、妙な哀切もまた込められていたわけで。これが演技じゃねえとしたら、これこそがいちばん厄介とも言えるんだ↑が→。


「そこはもういいんだけどよ、何で俺は諸々不問なんだ?」


 ここ何日かの病院食にて身体と頭の調子はすこぶる良いと言っていいほどだ。おまけに日がな一日やる事なくてほぼ寝てる。これほどまで連続して睡眠を続けることが出来るとはぁ、この年頃になってからは久方ぶりかも知れねえ。気力体力が充実している感覚……図らずも、だが。しかして今後の処遇なりなんなりはしかと確認しておかねばあかんめぇ。


 会社の現場仲間の面々は見舞いなのかサボりに来たのか分からなかったが、巧みに少しづつずらされた時間ごとに三々五々、酒だのつまみだの何だのを置いていくかと思いきやてめえらでそれらを半分くらいやってすぐに帰っていった。が、偉いさんらは全然姿を現さねえんだよなぁ……かと言って、馘首クビだ何だの沙汰も無しと来ている。腫れ物扱い、そんな感じだ。ウチらしいっちゃあらしいが、あの現場長ハッゲとかは水を得たように喜び勇んでやって来そうなもんだが……何か、やっぱ裏に事情があんだろうか。その辺りはこの姐ちゃんからしっかり聞いて、そして己の身の振り方を決めていかねえといかんよな……見舞いと称して持って来られた控えめな黄色い小花がこぼれそうな花束。は、部屋に備えられていた薄ピンク色のセンスの無え花瓶に生けられて俺の頭の方の床頭台からささやかな香りを放っているが、その花の香は、あの機械油臭にまみれた狭い操縦席にてそこだけ色彩を放っていたあの華奢な身体から漂い漏れてきていた香りに感じが似ていた。わけで、それを想起させられてあやうく下半身に掛けられた薄い毛布の一部が隆起しそうになるところを踏みとどまらせる作業にしばし集中せざるを得ない。そんな俺にふわりとこれまた頭上から降り落ちるようにして柔らかで落ち着いた声が響いてくる。


「そこはプラマイゼロの考え方で。あまり詳しいことは言えませんが、私を含め、プラスの要素の方がかなり高いまであると踏んでいます、今後含めて」


 うーん、しかし相変わらずの何も掴ませまいとせんばかりの物言いだぜ……何だよ絶対断言したらいけない規則ルールでもあるっつうのかよ。本当の「身分」「所属」を問うてみたら「特務機関ヴーム:ナディルカ=アランチⅧ督はちとく」です、との解答こたえになってない回答かえしをされた。うぅぅん……


「『今後』っつうのは、何だよ。厄介事が全部片付いたってんなら、もう俺ぁ日常に帰るだけだろうが。流石に昇給昇格とかが待ってると思えるほどお気楽な性質たちでもねえんだ。むしろテッカイトが大分やられっちまってるってことの方が問題だっつうの。修理代はおたくら『特務機関』サマに請求してもいいんだよな?」


 また嚙み合わない会話に終始しそうな雰囲気を察したので、こちらも自己都合のみを並べ奉るイヤミ走った言葉を疑似餌のように放り込んでは、何か喰い付いてくれねえかと様子を窺うものの。


「『今後』、のことですが、端的に申し上げますと、少しの間『出向』していただこうかという事です。各『鉱掘場』の『警備課』にですね、役職付きで」


 完全に作ってるだろそしてそれをこっちに分かるようにやってんだろ、というくらいの完璧な作り微笑を湛えながら、そんなこっちの都合や主張を無視したことを言ってきやがった。こいつのこういう立ち回りはほんとに腹立つな……


「『警備課』っつうのは大概守衛のじいさんが独りで一畳くらいの詰め所で日がな一日、外からの来場者の入退管理とか門の開け閉めするだけのとこだろうが。言っちゃあ悪ぃが、はっきり左遷って言った方が早ええ。何が『プラス』だ、ふざけんなよ」


 俺にしては割と冷静な凄みを醸しつつ、とは言えそんな処遇だったら流石に辞職して他の仕事をこの歳で探さなきゃあかんめぇという両肺周りがぞわぞわするような冷たき不安感に苛まれながらも、その整っているがゆえに仮面のようにも見える美麗顔を下から睨めつけるが。


「今回の件で、警備体制の強化は急務かつ必須と認識されました。よって『鋼捻機』ともども『パイロット』の方もひとまず既存の枠内で異動を迅速に行わねばというのが経営層からの意向でして、それもつい昨日、役会にて承認を受けました。ツハイダーさんは本日付で『総務部警備課長(モトスミ駐在)』ということになります」


 か、勝手に話が進んどるふぅぅ……なに? こいつら「特務機関」とやらの権限がよう分からんのだ↑が→。だが分からんなりに逆らっても無駄いや駄目な空気は嫌というほど感じてもおる……落ち着け、考えるんだ。


「……『機体』ごとっつうことは、あの例のバケモンから現場を警備するっつう……そういうことか? 警備っつうか、それは怪物駆除に当たらんか?」


 そうとしか思えなかったが、とりあえずの思考時間稼ぎの問いをぶつけてみる。


「ツハイダーさんの先の『功績』によって、『鉱石粉』が『対象やつら』の身体組成、および精神状態の双方に著しい影響を与えることが判明・実証されました。今、各工場で『粉』を効果的に撃ち込むことの出来る『護身用具』の製造が急ピッチで進められていますが……なにぶんある程度の時間は必要です。その間に各地に襲撃に現れるであろう……『大物』を、貴方とテッカイトで喰いとめて欲しい、というのが我々の総意ということになります」


 待て待て。何が「総意」だ。完全な応急の矢面立たされ役じゃあねえか。俺と愛機テッカイトは体のいい「噛まされ犬」じゃあねえんだぞ、と言い募りたかったがそれはどうやら織り込み済みの反応だったらしく、


「給与も勿論上がりますが、諸々の手当を合わせると『月:七十二万¥TBワィティヴィ』、さらには『対象』を駆逐するごとに上下幅はありますが、約『百万から二百万』が支給されるとのことです。機体の整備にもお金はかかることでしょうから? その辺りの予算も融通が利くように配慮が為される見込みです」


 さらりとそんな言葉が投げられてくる。そしてその分かっていても甘きに甘すぎる響きは俺の耳小管から大脳の欲望を司るところらへんを緩やかにしかして適確に揺さぶると、え、ちょっと待って、七十二万だと手取りはいくら? え? それに特別支給? 待って待って、それだけあったら衣食住性ぜぇんぶ一段階ワンランクアップするじゃあなぁぁい……? との俺の中のおぼこい人格を刺激してくるのであったが。


 それに機体周りのことにも予算上変な小細工せずとも湯水のようにカネをブッ込める、だと……? そ、それだけの権限があるのなら、さ、再来週にも「テッカイト重装型:弐式にしき」が爆誕してしまうじゃあのいこ……ッ!!


――昂燃メモその12:説明しようッ!! 説明するまでもないが特にカネ周りの損得がカラみ出すと大脳全野が活発に躍動し、皮算用という名のめくるめくドキワク妄想に意識の九割がたを持っていかれてしまうものなのであるッ!!――


 あ、それとですね、私の方もツハイダーさんを全面的にバックアップ出来ることになりまして、あ、あの複座形式は改良の余地はあると思うんですけど、「操縦」の方もサポートできると思いますから、その、どうぞよろしくお願いします……と、それに続けて何故か少し顔を赤らめつつその姐ちゃんに告げられても来たが、そうそうそういった自然な感じの表情の方が可愛いぜ、などと言うとまた汚物を見る目で見られそうだったので自重し、そしてそれどころじゃあない脳内の演算回転に呑まれるようにして、ハァ左様で、との至って穏便なる返しをしたら瞬時に凍り付いた能面のような顔貌に変わったのだが。やっぱ会話の選択肢って、難しいよな……だがここは一発、間違えるわけにはいかねえ……俺は患者用の薄青色のガウンの襟元を正すと、ベッドの上に正座にて畏まり、真摯なる言の葉を紡ぎ出していく……ッ!!


「アランチⅧ督ドノ……ッ!! 御組織おんそしき御恩情ごおんじょうそして御提案ごていあん、ワタクシめの心に沁み入り渡ることこの上無きにしろあらざらむんば無き児を得ずばかりにて候……ッ!! この、この不肖オメロファルア=ツハイダー、謹んで、あ謹んでお受けさせていただきたく存じ上げますゾ……ッ!! 願わくば、数日中にもテッカイト大改修の計画を立ち上げたく……否ッ、可能であればもう今日からでもッ!! さあ、さあさあさあッ!! どうぞどうか御了承の意をッ、あ、お示しいただけましたらこれ幸甚にて、あ、ごーざーいーまーすーるー、ゾナっ★」


 とは言えもう話は俺の預かり知らんところで進んでいたため、敢えての俺の意向なんぞはこの時点でどうでも良かったそうだが。そして清廉なる決意表明を最大限の語彙力と熱量を以ってつまびらかにしたというのに、この時に姐ちゃんの見せた、対象全部屠って全てにカタがついたのなら、ついでにコイツも巻き込まれ気味とかで、死ねばっ、いぃーのにぃぃぃ……と言わんばかりだった表情は今も忘れられない。

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