70.ゼファーの決意

「レー兄ちゃん……」


 漆黒の鎧を着たゼファーの力が抜けていく。温かく包容力のある義兄。強く抱きしめられ、太い鎖で閉ざされていた過去の記憶が一気に解放されていく。



 ――俺は見つけて欲しかったんだ……


 幼い頃から隠れるようにして過ごして来た。見つかれば叱られ八つ当たりされ、不条理な仕打ちを受ける。その体に付いた習慣は孤児院に来てからも続き、親切にしてくれた義兄を始め他の兄弟達からも逃げるように過ごして来た。



(でも本当は見つけて欲しかった。暗く陰で生きて来た俺の手を引いて明るい場所に連れて行って欲しかった。絶対に離さないで、こうやって強く……)


 ゼファーが強く抱きしめられたレフォードからその強さの分だけ愛情を感じる。ボロボロとこぼれ落ちる涙。レフォードが言う。



「お前も本当に世話の焼ける弟だ」


 コン



 そう言って軽くゼファーの頭をげんこつする。


「痛いよ、レー兄ちゃん……」



(でも、ありがとう……)


 ゼファーが再びレフォードを抱きしめる。初めてされたげんこつ。こんなに心地良いものだとは知らなかった。




「ゼファー!!!」

「ゼファーお兄ちゃん!!!!」


 そんなふたりにガイルとミタリアが駆け付ける。



「ミタリア、ガイル兄ちゃん……」


 ゼファーの心に孤児院時代の思い出が蘇る。



「うわっ!?」


 ゼファーに抱き着くミタリア。その成長ぶりにゼファーが驚く。


「大きくなったな、ミタリア」


 泣き虫で苛められっ子だったミタリア。それでも明るく活発だった彼女は孤児院の太陽みたいな存在。自分とは真逆の妹だった。ガイルが言う。



「お前だってこんなにデカくなって。全くなんだよその悪趣味な鎧は!」


 ゼファーが来ている漆黒の鎧に毒つくガイル。ゼファーが困った顔をして言う。


「いや俺だって本当はこんなの着たくなかったはずなんだけど、皇帝はこれが決まりというか……」


 自我が殺されていた頃の記憶はぼんやりとしかない。何か強い衝動によって動かされていた感覚だ。レフォードが尋ねる。



「本当にお前がガナリアの皇帝になったんか?」


 ゼファーが頷いて答える。


「はい、ごめんなさい……」


 ぼんやりとした記憶でも、前皇帝ヘルムを監禁し力づくで皇帝に就いたのは覚えている。レフォードが言う。



「じゃあ、とりあえずこの馬鹿げた戦争を止めさせろ」


 そう言いながらレフォードがゼファーの後方にいる黒き鎧を着た兵士達を指差す。


「うん、分かった」


 ゼファーはそう答えると側近のひとりを呼び南方作戦の中止を伝える。絶対的皇帝ゼファーの予想もつかない行動や侵攻中の命令を受け戸惑う兵士達。それでも一部の兵には殺し合いをしなくてもよいという安堵感が広がる。ゼファーが言う。



「俺はこのまま帝国に行きます。俺がやったを正しに行かなきゃ」


 それは皇帝として行った帝国内での蛮行。自我がなかったとは言え決して許されものではない。レフォードが言う。



「俺も行く」


「え?」


 驚くゼファー。


「お前らの不始末は俺の責任。一緒に行って皆に謝る」


 訳が分からないゼファー。すぐに言う。



「い、いいよ。レー兄ちゃんには関係のないことだし……」


 それを聞いたミタリアとガイルが「あ~ぁ」と言った表情をする。



 ゴン!!


「痛っ!!」


 今度は本気のげんこつがゼファーに落とされる。レフォードが大きな声で言う。



「馬鹿なこと言ってんじゃねえ!! そんなことまた言ったら許さねえぞ!!!」


「あ、あぁ、うん……」


 初めて本気で叱られたゼファー。だけどそれは決して悪いものではなかった。ゼファーが小さく頭を下げて言う。



「じゃあお願いします。レー兄ちゃん」


「ああ、それでいい」


 そう言って頭を撫でるレフォード。ガイルとミタリアも言う。



「俺も行くぞ」

「私もよ!!」


 驚くゼファー。レフォードだけはもうそう言うもんなんだという顔をする。



「じゃあみんなでこれから……」


 そうレフォードが言い掛けた時、ラフェル軍の方から大きな声が響いた。



「ふざけんなよ!!!! お前を生かしておくとでも思うかっ!!!!!」


 両手に剣を持った男。ガナリア大帝国からの亡命者ジェネスが怒りの表情で駆けて来る。



「ジェネス!!」


 弟ゼファーとの再会で一瞬彼の存在を忘れていたレフォード。叫び声を上げながらゼファー目がけて斬り込む彼を止めることができなかった。



 ガン!!!!


 ゼファーは微動だにせずその攻撃を体で受け止めた。ジェネスが叫ぶ。



「くそおおおおお!!!!」


 ガンガンガン、ガーーーーーン!!!!


 双剣の使い手の息子のジェネス。父同様両手に剣を持ちゼファーを攻撃するが、魔導人体サイボーグ化されたその体には通常の剣では傷ひとつ負わせることはできない。レフォードが言う。



「ジェネス。お前の気持ちは分かるが、ゼファーは魔導人体サイボーグ化によって自我を失っていて……」


「うるせええ!!!!」


 ジェネスがレフォードを睨みつける。


「そんなこと関係あるかよ!! こいつが、こいつさえいなけりゃ!!!!」


 ガンガンガン、ガン!!!


 何度もゼファーに叩きつけられた剣。ついに根元から折れてしまう。


 バキン!!!!



「くそ、くそぉ……、なんて無力なんだ、俺は……」


「……」


 ずっと黙ったままのゼファー。その前で崩れるように両膝をついたジェネスにレフォードが声を掛ける。



「なあ、ジェネス……」


「分かってる」


 ジェネスが顔を上げゼファーを見つめる。

 分かっていた。何が起こったかまでは分からないが、レフォード達によって最凶の皇帝だったゼファーが変わったことを。魔導人体サイボーグ化によって自我を失っていたことも言われて理解した。なぜなら今の彼の顔。



(くそっ、なんて優しい顔をしてるんだよ……)


 そこには帝国内で非道を極めた恐怖の皇帝の顔はなかった。まるで別人のような顔。家族同様の兄弟達の愛に触れ苦しさと喜びを知ったゼファーは、強くて優しさを持つ顔になっていた。ゼファーが初めて声を掛ける。



「ジェネス、お前はもしかして……」


 立ち上がったジェネスが答える。


「ああ、そうだ。あんたに破れて拘束された『剣士ロウガン』の息子だ」


 ゼファーがやはりと言った顔で答える。



「俺は酷いことをした。償わせて欲しい」


「償う? どうやって??」


 ゼファーがジェネスに言う。



「これよりすぐに帝国に戻りロウガンを開放する。そしてすべての行いの清算をした後で俺は……、皇帝の座から降りる」


「……」


 レフォードを含め皆が驚く中、ジェネスだけが冷静に言う。



「分かった。だからと言って俺はお前を許すわけじゃない。まずは親父や家族の救出が最優先だ」


 それを聞いたレフォードが頷いて言う。



「よし。じゃあすぐに帝国へ向かおう」


「了解っ!!」

「じゃあ、頑張ろー!!」


 ガイル達が手を上げて賛同する中、ゼファーだけは小さく頷いてそれに応えた。






 一方、そのガナリア大帝国では更に大きな政変が起こっていた。


「この俺に、皇帝ハルクに生涯の忠誠を誓えっ!!!!!」


「ははーーーっ!!!!」


 帝国城謁見の間。ゼファーが力づくで奪った皇帝の椅子を、今度は同じく単眼のハルクが力づくで奪った。

 南方攻略にほとんどの主力を向かわせたガナリア。帝国本体を守る兵は数も質も微々たるものであり、魔導人体サイボーグ化したハルクに敵う者など誰ひとりいなかった。兵がひとりやって来て報告をする。



「ハルク様、貴族の一部にハルク様の即位を拒む者がおります」


 ハルクは皇帝即位を宣言した後、貴族や国の財を一方的に奪った。そして自分に忠誠を誓う者に派手に配り更なる忠誠を誓わせる。故にこれまで真面目に仕事をして来た者や、甘い汁を吸っていた者などからの反発も大きかった。だがハルクはそう言った連中を問答無用で斬り捨てた。



「案内しろ」


「はっ!!」


 ハルクはそう言うと側近に持たせておいた巨大な剣を受け取り、そこに付いてまだ乾かぬ血をぺろりと舐めて言う。



「俺に逆らうものは皆殺しだ。まだ分からぬ馬鹿共がいるか。くくくっ……」


 不気味に笑うハルク。その数時間後、新皇帝ハルクに異を唱えた貴族の屋敷は血の海となり、その歴史から名前を消した。

 瞬く間に帝国軍部や貴族を絶対的な恐怖で支配したハルク。ゼファーの時も圧政で皆を支配したが、ハルクはそれ以上の恐怖を皆の心に植え付けて従わせた。



「さて、では討伐に向かうとするか。皇帝ゼファーさんをよ。がははははっ!!!!」


 ハルクは手にした巨大な剣を足元に転がる貴族の亡骸に突き刺して笑う。同行して兵も忠誠を誓ってはいるが、その姿は皇帝と言うよりは悪魔そのものであった。





「頼む、ここを開けてはくれぬか」


 帝国城地下にある暗い牢屋。

 そこに入れられていた老人が守衛に言う。もう何度目の問答だろうか。主兵が首を振ってそれを断る。


「できません。ロウガン様。あなたは帝国の希望。あなたが居なくなったら我々はこれからどう生きればよいのでしょうか」


 守衛が牢に背を向けたまま答える。ロウガンが答える。



「こんな老いぼれなど希望でも何でもない。だが三将軍としての務めは果たさねばならぬ。この私以外の誰が今この帝国でハルクの野望を止められるのだ?」


 黙り込む守衛。ロウガンが帝国最強の剣士であることは間違いない。ただ先のゼファーと言い今回のハルクと言い、その強さは人知を超えている。到底生身の人間では太刀打ちできない。ロウガンが叫ぶ。



「早く開けるのだ!! こうしている間にもまた犠牲者が出る!!!」


 守衛は悩んだ。無言で悩み考えた。そしてその決意を決めた。

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