2.ミタリアを襲う魔の手
「何をしている! この馬鹿者が!!!」
バン!!!
「きゃあ!!」
ミリガスタ孤児院にやって来た幼いミタリアは、人一倍不器用な女の子であった。
赤い髪にツインテール。孤児院の仕事に慣れないミタリアはいつもミスを犯し、使用人達に叱られる。
パリン!!
ミタリアの両手に溢れた皿が落ちて音を立てて割れる。それに気付いた女の使用人が鬼の形相でやって来て怒鳴る。
「馬鹿!! 何やってるのよ!!!」
振り上げられる手。反射で床にしゃがみ込んで頭を抱えるミタリア。罵倒され、殴られるのが当たり前の生活。幼いミタリアにとってはそれはただただ恐怖でしかなかった。
バン!!!
女の手が振り下ろされ鈍い音が当たりに響く。
(え? 痛くない……!?)
頭を押さえ震えていたミタリアは自身に痛みがないことに気付いた。
「お兄ちゃん……」
ミタリアの上から覆い被さるように彼女を庇うレフォード。女使用人の語気が更に強くなって言う。
「レフォード! お前、また邪魔を!! どけっ!!!」
ドン!!!
女使用人が容赦なくミタリアを庇うレフォードを蹴りつける。レフォードが必死に答える。
「ごめんなさい! ごめんなさい! ミタリアには俺が後でしっかり言っておくから、どうか許して……、うぐっ!!!」
レフォードを蹴りつける度に鈍い音が部屋中に響く。大人の使用人が躊躇無しにまだ少年のレフォードを何度も蹴りつける。
(お兄ちゃん、ごめんなさい。お兄ちゃん、ごめんなさい……)
ミタリアが震えながら心の中で何度も言う。レフォードは彼女の小さな体をぎゅっと抱きしめそれに応える。
ミリガスタ孤児院では孤児の保護と言うよりも、法の隙間をついた合法的人身売買を行うことを生業としていた。だから孤児達には人権などない。故にこの様な虐待も決して珍しいことではなかった。
「お兄ちゃん、ごめんなさい……」
使用人が去った後、まだ目を赤くしたままのミタリアがレフォードに向かって言った。レフォードがミタリアの頭を撫でながら言う。
「大丈夫だ。俺は体だけは強い。心配しなくていいから」
そう笑顔で答えるレフォードを見てミタリアはまた泣き出した。
「……お兄ちゃん、手、繋いで寝てもいい?」
ミリガスタ孤児院ではたくさんの孤児を『兄弟』としてグループ分けしていた。その中で年長者を『見守り役』として任命し年下の孤児達の面倒を見させる。レフォードも見守り役になり、ミタリアを含めた八名の弟妹達の面倒を見ていた。
夜、暗くなった大部屋。雑魚寝する兄弟達の間を歩いてミタリアが部屋の隅で寝るレフォードの元へとやって来て言った。レフォードが尋ねる。
「どうした? 恐いのか?」
ミタリアの小さな声。震えた声を聞いてすぐにレフォードが聞き返した。ミタリアがレフォードの隣に横になりその自分より大きな手を握って言う。
「うん。怖いの。お兄ちゃん、一緒に寝ていい……?」
手が震えている。まだまだ幼いミタリア。どんな理由かは知らないが両親を失いここへ連れられて来た彼女。厳しい現実にその幼い心が耐えられるはずがない。
レフォードが手をしっかり握り、彼女の真っ赤な髪を撫でながら言う。
「分かった。心配ないから寝なさい」
「うん。ありがとう……」
ミタリアはそう答えると直ぐに寝息を立てて眠りに落ちた。
「ミーア、ミタリアの行き先が決まったって本当?」
ここに居たらいずれは来るであろう別れの時。レフォードは使用人の中でも数少ない孤児の味方をしてくれる主任のミーアに尋ねた。彼女は孤児院の中でどの孤児がどこへ身受けされるのかこっそり事前に教えてくれる貴重な存在。酷い身受け先なら阻止しなければならない。ミーアが答える。
「ええ、喜んでいいわ。ヴェルリット家。新たな使用人を探しているみたいなの」
「ヴェルリット家……」
レフォードはその領主の名前を思い出す。
地方領主だが後継ぎに恵まれず年老いた領主が使用人と暮らしている。性格は穏やかで決して孤児達を苛めるようなことはしない家。レフォードが頷いて答える。
「ミタリアを、お願いします……」
悪名高き家ならばどんな手段を使っても阻止すべきだろうが、行き先が問題なければ笑顔で見送る。とは言え長兄として、見守り役として一番辛い時でもある。
「お兄ちゃん……」
数回の面談を終え、いよいよミタリアがヴェルリット家へ向かう日がやって来た。迎えの者の馬車を前にレフォード達兄弟が皆涙を浮かべる。レフォードがミタリアの手を取って言う。
「元気で。しっかり家の人の言うことを聞いて働くんだぞ」
「うん、ミタリア一生懸命働くよ。だから、だからね、お兄ちゃん……」
ミタリアの目からボロボロと大粒の涙が流れる。
「きっと、またお兄ちゃんに会えるよね……」
レフォードがミタリアの手を握って答える。
「ああ、きっと会える」
ミタリアが豪華な馬車に乗り込む。その小さな窓、そこから真っ赤な髪をしたミタリアが顔を出し大声で叫ぶ。
「お兄ちゃんーーーー!!! お兄ちゃんーーーーーーーーっ!!!!」
「お兄ちゃん、ミタリアが、会いに来ました」
あれから十数年後、暗い地下牢にやって来たミタリアはそう涙を流しながらレフォードに言った。
「ミタリア……」
枯れかけていたレフォードの心に昔の孤児院時代の記憶が蘇る。幼き弟妹達を必死に面倒見て来たあの頃。皆を送り出した後から始まったここでの過酷な暮らし。不覚にもレフォード自身涙が止まらない。ミタリアが守衛に言う。
「この扉を開けて頂けませんか」
守衛はちらりと主であるアースコードを見てから鉄格子の鍵を開ける。
「お兄ちゃん!!」
「ミタリア!!」
ふたりは思いきり抱き締め、そして涙を流す。美しく着飾ったミタリアに対し、レフォードは汚れたまるで囚人服。レフォードが言う。
「せっかくの服が汚れちまうぞ……」
「いいの。お兄ちゃんの匂い、とても懐かしい匂い……、ミタリア、幸せだよ……」
ミタリアはそんなレフォードの胸に顔を埋め涙を流す。レフォードは再びミタリアの頭を撫で彼女もその幸福感に浸かる。ただそんなミタリアの目に、レフォードの首に付けられた薄汚れた首輪が目に入る。ミタリアが尋ねる。
「お兄ちゃん、それって……」
レフォードはその視線が自分の首輪に向けられていることに気付いて答える。
「ああ、奴隷の首輪だ」
奴隷の首輪。それは主従契約を結んだ主と奴隷が使う首輪。これを付けられた奴隷はその主に対して一切の反抗ができなくなる。まさに奴隷の為の首輪。強力な魔法が掛けられており、その主が解くか死去するまでは決して外すことはできない。
ミタリアが振り返りこちらを見つめているアースコードに向かって言う。
「アースコード様、今すぐこの首輪を外して頂けませんでしょうか」
真剣な表情で言うミタリアに、アースコードは耳に手を当てて聞き返す。
「え? なに?? 聞こえなかったけど」
むっとした顔をしたミタリアがアースコードの近くへ歩み寄り大声で言う。
「あの忌々しい首輪を外してください!!」
大人しかったミタリアにしては驚くような大きな声。それほど大好きだった兄の酷い姿、悍ましい首輪に怒りを感じていた。アースコードは目の前に来たミタリアをじっと見て言う。
「え、嫌だよ」
「な!?」
驚くミタリア。それと同時にアースコードが軽く手を上げると、彼の部下達がミタリアの護衛に来ていた供の者達に襲い掛かる。
ドン、ガン!!!
「ぐはっ!? な、なにを……」
あっと言う間にアースコードの兵士に倒されるミタリアの護衛達。驚きで瞬きすらできないミタリアの頬を掴んでアースコードが言う。
「いい女だね~、ボク、ワクワクするよ~」
金色のおかっぱ頭。中肉中背の特徴のない金持ちのボンボン。年はミタリアより少し上ぐらいだろうか。いかにも苦労をせず育って来た人間のオーラに溢れている。突然の事態にレフォードが叫ぶ。
「ミ、ミタリア!!」
しかしすぐにアースコードの兵士が剣を槍を構えレフォードに対峙する。アースコードがぐっとミタリアの肩を引寄せ薄気味悪い笑みを浮かべて言う。
「あぁ、お前みたいなクズにこんな美少女が居たなんてな~、これは上玉だぜ。とりあえずヴェルリット当主様はうちに来るまでの間に、不慮の事故でお亡くなりになったことにしうようかな〜?」
意味が分からないミタリアが震えた声で言う。
「な、何を言ってるの!? そんなことをすれば……」
バン!!
「きゃあ!!」
汚物で見るような顔でアースコードにそう言ったミタリアを、強い平手打ちが襲う。
「ミ、ミタリア!!!!」
レフォードの体に力が入る。すぐに兵士が壁を作り牽制する。アースコードが言う。
「お前は動くな。ボクの命令には逆らえないだろ??」
アースコードはレフォードの首に付けられた首輪を見て不敵な笑みを浮かべる。肩を掴まれたままのミタリアが逃げるように言う。
「や、やめて!! こんなことが許されると思って……」
「売れるんだよ、お前みたいな極上の女はな、高値で……」
(え?)
ミタリアの体に冷たい何かが走る。アースコードが言う。
「お前のような幼い美少女が好きな貴族ってのはたくさんいてな~、壊れるまで遊びつくすんだよ……、けけけっ、まあ、その前にボクが先に頂いちゃうけどね~」
とても人の目とは思えないような悍ましい視線にミタリアが震えながら言う。
「いや、そんなの……」
ミタリアはとても自身では理解できない相手の言葉に心からの恐怖を感じる。
「逃げるんじゃない!!」
「きゃあ!!」
アースコードは反射的に逃げようとしたミタリアの腕を強くつかんで引っ張る。その反動で床に倒れるミタリア。レフォードが激高して叫ぶ。
「ミタリアにそれ以上触れるな!!!!」
その大きな声に一瞬恐怖を感じたアースコードがレフォードに言い返す。
「奴隷のくせに生意気な!! なんて言葉をボクに吐くんだ!!!」
青筋を立てて怒るアースコード。レフォードが言う。
「もう二度とミタリアに触れるな……」
静かだが圧のある声。その態度にイラっと来たアースコードがミタリアの髪を引っ張って言う。
「お前さあ、自分の立場分かってるの?? ボクに逆らえば仕事無くなるし、って言うか死刑だよ、死刑」
そう言いながら真っ赤なミタリアの髪を引き上げ、自分の顔の近くに寄せて続けて言う。
「まあ、お前が死んでも誰も困らないけどね~、この子はボクがちゃんと面倒見ておくから~」
そう言ってミタリアの頬の匂いを嗅ぐアースコード。恐怖で顔を真っ青にしたミタリアが震えながら言う。
「お、お兄ちゃん、助けて……」
アースコードが笑いながら言う。
「ぎゃははははっ!! 無理だよ無理!! こいつはボクの奴隷。絶対言うことを聞く……」
そこまで話したアースコードの目に、両手を首輪にかけ力を込めるレフォードの姿が映る。
「やっぱり馬鹿なのか!? それは絶対に外れない魔法がかけて……、え!?」
バキ、バキン!!!!
「え? ええっ!!??」
レフォードが手にかけた首輪は、まるでそれが嘘のように割れて床に落ちた。レフォードがアースコードを睨みつけて言う。
「ミタリアに、触るなと言っただろ……」
ゆっくりと歩み寄るレフォード。
アースコードは感じたことのない恐怖に体が動かなくなった。
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