第3章 空の芽吹き編

第36話 信じる者、信じたい者

「ばかくぅらおまえ……そのどくろのえきたいはねえちゃんがのむんだよぉ……」

「……おにいちゃんは、わたしにひざまずいてて……」



 毛布を蹴飛ばした金髪の少年ゼノン、小さく丸まりながら毛布を抱きかかえる金髪の少女クゥラ。安らかに眠る子供達は硬い地面とは言え安眠そのもの。



「すぅ、すぅ……う、うぅ……」



 制限のある物資の都合上割を食っているのは、部屋の隅に丸まりながら壁に背を預け薄汚れた小さな布切れの中に矮躯を潜り込ませた空色スカイブルーの髪の少女――マシュロ・エメラであった。

 

 そんな彼女は現在苦痛が伴う夢の中にいた。

 それは彼女にとって思い出したくのない過去の記憶。



『無理に任務に同行する必要はないんだから本拠にいればいいよ』

小熊猫レスパンディアで強化も出来ないんじゃ夜の任務は危なすぎるだろ』

『雑魚は雑魚らしく強者に媚び諂え』



 見渡す限りの泡沫に込められた罵倒の言葉に、夢の中のマシュロは蹲り耳を塞ぐ。



『やめて……やめて……っ!?』



 マシュロは呟きで声々を相殺しようとするも、閉じている筈の眼の内にじわじわと鮮血が侵食してくる。

 次の瞬間――降り頻る大雨に混じり大量の鮮血がマシュロの頭上に降り注いだ。



『逃……っ、……ろ』



 目の前の人物はドサリと倒れ、侵食した血がマシュロの体に纏わりつき、喉を絞め、血の闇に引きずり込んでいく。



「はあっ!! っはっ!! はっ! ……はっ、はっ……」



 夢はそこで終わりを迎えた。

 マシュロは布切れを跳ね除け、荒い呼吸を野放しに震える体を掻き抱いた。

 寝汗と涙で濡れた世界は現実――夢も、現実。



「だん……ちょう……」



 か細い声音が暗闇に呑まれマシュロは今日も孤独の中にいた。




± ± ± ± ± ± ± ± ± ± ± ± ±




 魔界。

 東の空に新しい太陽を迎えたマシュロは見回りついでに捨てられた新聞を拝借して住処へと戻り、ぎゃいぎゃい言い合いながら製薬に勤しむ子供達を横目に紅茶を嗜んでいた。



「『第一王子、第二王女失踪から半年、事件かそれとも!?』……失踪、ね……半年経って未だ見つからないんじゃ、事件性の方が高いと思いますが……王宮の方々は何故動かないんでしょうか……」



 背もたれに体を寄りかけながら天井を仰ぎ見るマシュロに、子供達の言い合いが瞬間鳴りを潜めた。

 何事もなかったかのように押し引きを再開する子供達を見て、残った紅茶を一口で飲み干したマシュロは凛然とした顔付きを纏う。



「ゼノン、クゥラ。わたくし達は暫くの間、この住処を動かないことにしようと思います」

「んぁ……? なんで?」

「……どうして?」



 毅然とした口調に二人は喧嘩を止め、しかしマシュロの提案に同調しなかった。



「……今はそれが最善だからです」

「二週間。俺達が決めた一箇所に滞在する最長のルールだろ? 最善なら最善なりの説明を貰わないと納得出来ねぇぞ?」

「……今の住処に来てから十日。そろそろ移動かなって思ってたけど何があったの?」



 言葉少なに説得しようと試みるマシュロだが、子供達の詰問にメッキが次々と剥がされていく。



「じ、情報を錯乱させるための撒餌は終えましたし、貴方達も腰を据えた方が製薬も――」

「ルカ兄ちゃんか?」



 ビクリ、と。ゼノンの的を得た返答にマシュロの獣耳と尻尾がわかりやすいほどに逆立つ。



「……住処を移したら会えなくなる、から?」



 滝のような汗を流し顔を背けるマシュロに、もう言い逃れは出来なかった。

 その不純な動機に顔をこれでもかと赭面させるマシュロは、接近してくる子供達のじっとりとした半眼を前に。



「そ、そうですが!? あれほど善意的に助けて下さったルカさんが、次に訪れてくれた時に何も返せていない私達がここに居なかったらどう思いますか!? 頭のいい貴方達ならわかるでしょう!?」



 完全に開き直った。

 口早に言い訳を羅列するマシュロだったが、ゼノンは決して馬鹿にはしなかった――が。



「姉ちゃん、気持ちはすっげぇわかる。ルカ兄ちゃんには返しきれないほどの恩があるし、気付いたら帰っちまって俺とクゥラに至っては礼だって言えてねぇ。……けどな、姉ちゃん自分の立場わかってるか? 俺達は都市のお尋ね者だぞ。ルカ兄ちゃんには感謝しかねぇし、こんなこと思いたくもねぇが……ルカ兄ちゃんがここに人を連れてこない保証は……ねぇよ」

「ゼノンまだそんなこと言って――!?」

「俺だって命を拾ってもらったルカ兄ちゃんを疑いたくなんてねぇよ! けど……しょうがねぇだろ……? こうやって日陰でこそこそと人を疑いながら生きる選択をしたのは俺達なんだから……」



 ゼノンの言うことはもっともだった。いくら恩義が大きいとはいえ所詮顔見知り程度の関係だ。ルカを善人だと盲信してしまえば、自分達の身を滅ぼす危険性だってゼロではない。

 論理派のゼノンが人を信用するためには生半可な関係では到底ありえないのだ。



「言いたいことはわかるけど……」



 そこまで言い、マシュロは言葉を呑み込んだ。

 眼前の少年は涙を浮かべ、悔しさから握った掌からは血が滴っていた。



「ゼノン貴方血が……」

(信じたい……けれど怖い……といったところですか……そうです、命を救われて信じたい気持ちがないなんてありえません……誰よりも歯痒いのはゼノンですよね……)



 ルカに感謝はある。しかし人となりにしろ、善意的に助けてくれた意図にしろ、亜人族へ友好的な理由がわからない。不確定要素が多過ぎる。

 手探りの状態である現状、実は破滅の道を進んでいるのかもしれない。



「こんな自分がつくづく嫌になる……っ! 恩人の筈なのに、人族ってだけで最悪の状況を浮かべちまう自分に……っ!」

「……私はお兄ちゃんの気持ちもわかる……何かがあってからじゃ遅い、やり直しは利かない」



 純粋過ぎる心は時に反目を生み、反目は悔しさへと。

 何よりも人族を心から信用出来ていない己に。

 


「そう、ですね……私の考えが軽率でした。ごめんなさい。ルカさんには合わせる顔がありませんが……住処を移動しましょう」



 ゼノンの掌にティッシュを宛がうクゥラを眺めながら、マシュロはそう切り出した。

 マシュロの決断に僅かな驚愕と、そして意図を汲んでもらえたゼノンは涙を拭って柔らかく微笑んだ。



「……ごめん、ありがとう姉ちゃん……まあ? 多少くらいなら俺も待てねぇってわけじゃねぇからいいけどさ……」

「いえ、今から動きましょう」

「今から!? 極端過ぎねぇか姉ちゃん……」

「……随分と急だね。お外明るいけど大丈夫なの?」

「なぁなぁにしてると後ろ髪を引かれそうなので……次の住処まではそこまで距離は無い上、人通りが少ない経路を見つけてあるから大丈夫です。それに今なら貴方達も荷物が少なくて済むでしょ?」

「あはは……そう、だな」

「……ご、ごめん、なさい……」



 彼等はこれまで蓄えてきた道具アイテムを禁足地ヒンドス樹道へと向かったことで大量に消費した。よって荷物は以前よりも減り、準備が楽だろうと迂遠ながら事件のことをチクリと咎めると、子供達は顔を引きつらせて獣耳を折り畳んでしまった。



「ふふ、冗談です。さぁ、準備をしましょう。夕刻には新天地に着けると思いますよ」



 子供達は以前より明るくなった姉の表情に目を見張りつつ、元気に返事を上げたのだった。

 更なる渦中へと飛び込んでいく狼煙の声を。

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