第9話 茨を解け
三頭の狼、一つの身体。
「幻獣ケルベロス……! 一体の頭に集中し過ぎると左右から別の頭が来る。厄介だな」
左右から容赦なく迫りくる牙撃にどうしたものかと機を窺うルカ。
攻勢に入りつつあるケルベロスはそのまま押し切ろうと果敢に攻め込むも、側面からの危機を察知した狼の首が突貫してきた白き彗星を巨大な犬歯で食い止めた。
「ルカからっ、離れなさいっ!!」
『ガアァウッ!?』
加速を全身に伝え、サキノは純白の刀を叩きつける。サキノの一撃に後退を余儀なくされた巨狼は、巨体に似合わず軽やかな動きで二人から距離を取った。
「ルカ、大丈夫っ!?」
「あぁっ、大丈夫だ! 相手はケルベロス。一体の首に意識を割きすぎると左右から別の首が来る。連携に注意だ」
簡略的なルカの情報共有に、サキノは今一度三体の首を順々に見渡す。
三メートルの巨体のケルベロスは牙の隙間からボタボタと涎を垂らし、獲物に飢えた印象を残していた。
「ありがとう。後は私がやるからルカは下がっていて」
ルカの身の危険を憂慮、及び己の使命の遂行のため少年へ指示を送る。
少女の凛然とした変わらない決意にルカは――。
「サキノ悪い。俺達の
――従わない。
サキノへの反発を残し、ルカは再び動向を窺っていた三頭狼へと創造した黒剣で斬りかかる。
「え!? ちょ、ちょっとっ!? ルカ止まってっ!?」
サキノも放置する訳にはいかずに後に続く。
「普通の日常って、何を言っているの!? 下界に戻って待っていてくれれば普通ではいられるでしょう!?」
「それじゃあ駄目なんだ」
「何が駄目なのっ!? これは遊びじゃないの!
言い合いを行っているにも関わらず、黒と白の斬閃が打ち合わせたかのような連携でケルベロスを追い込んでいく。
「だったら尚更サキノだけに任せられない。過去に未来に、俺達の記憶の中で笑ってるサキノがいないと意味がない。そのために俺はサキノを一人にさせない。サキノに一人で背負わせないっ!」
ルカがしたいこと。ルカが求める結果。
ココやレラの想いを引き受け、ラヴィが出した
「必要ないッ! 私は一人で何でも出来て、一人で生きていける事を証明しなくちゃならないの!」
「サキノっ、どうしてそこまで……」
しかしサキノは揺るがない。
揺るがぬサキノの決断に、ルカの胸が何度目かわからない疼きに責め立てられた。
『オオォオオオオオンッ!!』
中央の頭狼が遠吠えを上げて前傾姿勢を取るケルベロスは次の瞬間――。
「ぶ、分裂した!?」
サキノの言葉通りに三つの頭狼が分裂し、それぞれに自立行動をとり始めた。
迫りくる一頭の狼にサキノは純白の刀を振るうが素早い動きに空を切る。
「数が増えた上に速度が上がってる!? 二体同時は少しキツイ、っかも……」
人数優位だった筈がケルベロスの秘策によって戦場は傾き始め、サキノにはルカを戦場から遠ざけられる程余裕はなかった。
『グアウッ!!』
「俺の所には一体……一体くらいならこの速度でも対応出来ないことはない。なら――」
ルカは速度に全振りした狼の攻勢を回避しながら戦況を一瞥。創造で長剣から二刀短剣に武器を入れ替え、一瞬の先読みにて逆手から放たれる黒の軌跡が狼の鼻先を捉えた。
『ギャンッ!?』
「傷付けば距離を取るよな。この瞬間を待ってたッ!」
ルカは順手に持っていた短剣を灰狼に向けて投擲した。
『!?』
飛来する黒剣を狼は負傷しながらも回避に成功する。
しかし。
『ガァッ!?』
後方から別の狼の苦鳴が上がる。
「ケルベロスが直線状に並べば例え回避されてもサキノを援護できる。サキノを一人で戦わせない」
(変化し続ける戦況の中で狙ってやったの!? いやっ、今は――)
「好機ッ!! はあぁぁっ!」
サキノは狼の乱れた連携の隙を見逃すまいと、瞬足で足が止まった一匹へ斬りかかる。
しかしギィンッ、と白刀が振り回された。
「うわっ!? くっ、ルカが相手してた狼っ!?」
連携では負けじと。超速の噛撃によって刀を振り回されたサキノは無防備に地面へと転がる。
「体勢を整えないと――」
「サキノ後ろっ!」
「えっ?」
サキノがルカの疾呼に反射の防御を取りながら振り向くと、そこには二体の狼が『合成』した巨体が。
豪腕が横薙ぎに払われ、華奢なサキノは吹き飛ばされる。
「きゃあっ!?」
「サキノ! ぐっ――勢いが強過ぎるっ!?」
ルカがサキノを抱き止めるも勢いを殺しきれず、両者もろとも石壁を突き破ってショッピングモール内に吹き飛ばされた。
(せめて壁を埋めて追撃を防がないと……!)
サキノを庇って衝突を全面的に引き受けたルカはぐるぐると回転する世界の中で石壁を創造する。
やがて擦過が止まり、静寂な時が流れ始めた。
「う……ルカっ! ルカ大丈夫!?」
「大丈夫だ……心配するな……」
背部の激痛を我慢しながらルカは自力で上体を起こすが、相当の痛手を負っているのはサキノの目から見ても明らかだった。
「ルカ、お願いだから逃げて……」
「まだそんなこと言ってるのかよ……言っただろ、サキノを一人にさせないって」
(ルカに何があったの……?)
受動的なルカ・ローハートという人物を覆す最近の言動。
道理が通っていないと今のルカは納得してくれないと感じたサキノは一方的な排斥を止め、己の事情を語り始める。
「……ねえ、ルカ。少し話を聞いてくれる?」
微かに開く心の扉に、ルカは静かに首肯する。
「私のお母さんはね、こんな亜人族が否定される世界を愛し、正しさを求めて亡くなったの。私はそんなお母さんの遺志を叶えてあげたい。正しかったことを証明したい。だからお母さんを『否定』することになる同情や憐憫を、私は甘んじちゃいけないのよ」
「同情に……憐憫?」
「人が人を頼る時、そこに必ず
(サキノは頼らないんじゃない……頼れないんだ。亜人族の母親が正しかったことを証明するために)
茨の鎖に雁字搦めになった少女。
もがけばもがくほど自らを締め付け、己を傷付ける。
血が溢れようと、身が裂けようと、母の遺志のために足掻き続けるのだ。
血で赤く染まる茨が、芽吹いた華が美しき
(そうか……この胸の違和感は【嫌悪】だ)
サキノが遺志のために、己を犠牲にする姿勢。
命を賭して、世界の命運を背負い戦おうとする意志。
(『全てを背負うサキノ』という【嫌悪】に基づくものだったんだ)
全てを背負い、様々なものを犠牲にした先にサキノの笑顔はあるだろうか。
彼女から未来を奪ってはいけない。笑顔を奪ってはいけない。
「そういう、ことだったんだな……」
「わかってくれた? だから――」
「だったら俺は邪魔者でいい。これからもずっとサキノの邪魔をする」
正当性を履き違えた母親の遺志を――茨を解いてあげよう。
サキノが
「どうして……っ」
「何かを犠牲にした正解は他者の正解とは限らない」
「その言葉はお母さんの……」
「サキノが自分を犠牲にしようとすることは俺達にとっての正解じゃない。だから俺はサキノが犠牲にならないよう正解を探し続ける」
サキノが語った大切な人の言葉。心の支えとしてサキノに宿る正の礎。
ルカは矛盾しているサキノの信条を正しい方へと導く。
「俺達がサキノを思うのは同情や憐憫なんかじゃない。ただ苦楽を共有してサキノに笑っていてほしいだけだ」
失うものが増え、一人で抱え込むサキノは次第に笑顔を失うこととなるだろう。それは世界を愛したサキノの母親が断じて望む未来ではない。
だからサキノがルカを拒もうとも一人にはさせないと。
「頼っていいんだよ。何も、犠牲にしないために」
「あ……」
聞き覚えがある言葉に、幼少期に託された母親の欠落していた声が蘇る。
『私達は必ず分かり合える。手を取り合うことが出来る。私はそう信じているわ。だから――人を頼りなさい。何も、犠牲にしないために』
(どうして私はこんな大切なことを忘れて……)
「それでも一人でやるって言うんだったら、悪いが邪魔するだけだ。使えるものは使ってしまえばいい。邪魔者なら扱いやすいかもしれないぞ?」
「ルカ……」
例え悪人の立場だとしても味方だと。
不器用で、遠回りで――それでいて温かく、優しく、心強い言葉。
サキノは心に晴れ間が差した気がした。
しかし、僅かに頬が緩んでいることに気が付き、はっ、と。小さく口を膨らませる。
「わ、わかったわよっ!? どっちにしろルカは退かないつもりなんでしょうっ!? いーい!? 今回だけだからね!?」
「あぁ、今回は、な」
母のためにと誓った日からの、何年にも及ぶ方針は簡単には変えられない。
それでも、小さく、ゆっくりと。
ルカと同じように小さな一歩を踏み出す。
小さくて、とても小さくて――確実に前へと。
「私に作戦がある。ルカ、一緒にケルベロスを倒すよ!」
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