いみもの
雨宮照葉
変身(へんみ)
生い茂る水草に遮られ、幾らかの鋭角を影にして初夏の日光は緩やかな流水を照らしている。自分が吐き出した気泡を追い越して、私の鼻腔は水と大気の境界面を突き破った。肺に流れ込む空気はすでに夏のそれで、思わず鼻を鳴らした。数千年前から肺を用いて呼吸しているといっても、やはり水中と陸上では勝手が違う。とてもむず痒い。顔全体が重力の制御域へ躍り出たのを感じ思い切り口を開く。最近生え変わったばかりの牙は逃げようとするわずかな気流に突き刺さり、久々に伸ばす舌は乱反射する粒子を舐め取った。両目を覆う透明な鱗が乾いていく。陸はもうすぐそこ。暗い水の底を這うのはもう終わりだ。額に温かさを感じる。私はもうあの空を泳げるんだ。水面に歪められたその姿を見上げることしかできなかったあの空を。背中に直接陽の光が当たり始めたのがわかる。ほんのりと熱を帯びる浅瀬は私を引き止めようとしている。しかし顎に伝わる乾いた土の感覚が私を引き寄せる。尾の先がとても重い。水中に生じた生命が生まれ落ちた場所を捨て新天地を目指した時から、すべての生物には母なる水の概念が染み付いている。それはこの私も例外ではないらしい。生物は死ぬまで生物でしかいられないらしい。今までの努力を無碍にされた気分だ。だがそんなことはもう重要じゃない。私は確実に生物の頂点としての格を得たのだから。いずれ腕や足、そして角、髭が生えてくるだろう。腹を擦って移動するのももう少しの辛抱だ。木々の間を縫ってふいてくる微風が鱗を一つ一つなぞっていく。
蛇はにいっと笑った。
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