tarck #31 - Eleanor Rigby

 初日の出を一緒に見て以来、アタシと小野瀬は毎日のようにメッセージをやり取りしたり通話したりして仲を深めていた。

自然とつないだ手を離したくないと思ったアタシがいたのは事実だった。でも何らかの関係になる決断をするにはまだ知り合って日が浅かったし、勇気もなかった。小野瀬もきっと同じように思ってるだろう。彼の場合は彼をとりまくいろいろなモノに私生活まで支配されているので容易に決断できないのだろうとも予測した。

 年が明けて数日後、サクラから電話が来て

『相談したいことがあるの、事務所来て。迎えに行く?』

神妙な声色でそれだけ言った。

アタシは15分くらいタクシーに乗って事務所のCOLUSCANTコルサントに行くと、サクラと社長の西カニエがいた。

向かい合った2人掛けソファーの一方にカニエ、逆側にアタシとサクラが座った。

小野瀬 直樹おのせ なおきと付き合ってんの?」

唐突にカニエがアタシに問うた。

「付き合ってはないよ、今、曲、一緒に作ってる」

「ほんと? 週刊誌に撮られたよ」

と、カニエは言って、週刊誌から届いた問い合わせのメールの印刷をアタシに見せた。添付されている写真は手をつないで一緒に日の出を見ている姿だった。

「アタシ、髪の毛ボサボサ」

と、笑ってもサクラとカニエの空気は張りつめていて

「何か問題? 付き合ってないけど、デートはした。問題ある?」

と、アタシが不機嫌に聞くと

「うん、わりと問題」

カニエは見たこともない程の真面目な表情で答えた。

この件は小野瀬が所属しているKashyk Entertainmentキャッシーク エンターテイメントも週刊誌から問い合わせを受けていて知っている。

先ほど彼のマネージメントチームの1人からCOLUSCANTコルサントに連絡があり、圧力をかけられたという。

「ノーコメントで通せって」

サクラが言った。アタシはどうすることが最善策かこの瞬間では考えつかなくて2人の話を黙って聞いていた。

もうすでにKashykキャッシークの根回しは始まっていて、事務所の先輩のTASK FORCEタスクフォースのメンバーの1人がやっているレギュラーラジオ番組にKashykキャッシークのタレントが出演することが決まっていたが、それがキャンセルになったそうだ。まだ告知前だったから、大事には至らなかったが今急いで代わりのゲストを探し、違う企画を考案しているという。

それを聞いたアタシは黙っていられなくなった。

「なにそれ、そのラジオにアタシ関係ないじゃん」

「ココ、TASK FORCEタスクフォースの事務所だから」

カニエは至って冷静だった。確かにTASK FORCEタスクフォースの3人が設立した事務所で、事務所ごと拒否されてしまったのだ。

ジョージとの時はアタシとジョージに判断を任せてくれた事務所なのに今回の対応は違う。業界で絶大なチカラを持つKashyk Entertainmentキャッシーク エンターテイメントとそこで燦然と輝くスターの小野瀬 直樹おのせ なおきの存在に、小さな個人事務所に過ぎないCOLUSCANTコルサントは何も言えなくなっている。

「小野瀬くんとの曲の話もなくなったから……」

サクラが申し訳なさそうに付け足した。

「付き合ってないなら、付き合わないで。ごめん、Loveriラブリ……こんなこと言いたくないんだけど、ごめん、本当に」

カニエは頭を下げた。

アタシはまた何も言えずにただ座っていた。

Loveriラブリだけじゃない、ウチごと潰されちゃう。ウチみたいな弱小は……」

カニエの言いたいことはわかる。アタシの行動が今後にどのような影響を及ぼすかはわかっているつもりだ。だけど、そんな事情でアタシ個人の心情を他人に決められていいのだろうか。他者に内心の自由を脅かされるこんな慣例にはもうずいぶん長いことうんざりしてきたはずだ。

でも、頭を下げるカニエに反論はできない。今までお世話になって来たこの事務所に迷惑をかけるわけにもいかないからだ。

「アタシは……小野瀬くんと話してからでいい? アタシの考えをまとめるのは」

事務所を思うカニエに盾をつくこともできず、もしかしたら彼と話をすれば何か打開策があるかもしれないと思って、この段階ではノーコメントという提案に従うが小野瀬と話した後に自分の意見を事務所に伝えるということにした。

 事務所を出てすぐに

<連絡ください>

と、小野瀬にメッセージを送ったが連絡は来なかった。


 新春から悪いニュースは続く。

エリナがこの業界を去った。

「結婚するんだって、付き合ってた人と。彼、沖縄の旅館の1人息子だったんだけどさ、継ぐことにしたんだって」

薄暗いバーで久しぶりにケイと隣り合って飲んでいる。

表向きは結婚して沖縄に移住するので引退するということになっていた。真実は違う。それは誰もが気づいている。

それでアタシ達は一緒にお酒を飲まずにはいられずに会うことにした。

「せめてもの救いは彼氏だったね、理解があってよかった」

アタシがしみじみと言うと

「ほんと、オレは……反省しかねぇよ」

ケイは悲しい顔をして右手に握り締めているハイボールを見つめている。ケイのせいではない。いちラッパーにすぎないケイが何かできたとも思えない。彼は自分を責める必要はない。アタシは慰める言葉が見つからず、左から彼の右手の上に左手を乗せた。

ケイはただ何も言わずにコクコクと首をうなずかせて、アタシの手をどけてハイボールを飲み干した。

それから1時間くらいアタシ達は何も話さずにただ飲んだ。

 エリナのSNSでの最後のメッセージは

<結婚することになりました。応援してくれた方々ありがとうございました。>

だった。

その投稿のわずか1時間後、彼女の引退が事務所から正式に発表された。

あまりにも急な展開で言葉を失ったが、このメッセージに隠された何かがあったのは容易に想像できた。

<ご結婚おめでとうございます。あなたとあなたのご家族の幸せを祈っています。>

今まで“いいね”を付け合っただけの関係のエリナの投稿に初めてコメントをつけた。

それに対する返信はない。

 結局エリナはに葬り去られた。

アタシもケイも大きな権力を前になすすべがなく、自分にも世界にも絶望を感じていた。

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