第34封 不測の事態に立ち向かえ①





 テトラは調理場で、一心不乱に豆の薄皮を剥いていた。

 調理台の向こう側では、ヒューレン料理長が見習い達に指示を出していて、怒号にも似た声が響き渡っている。

 テトラの隣で彼女の手元を見ながら、同じく薄皮を剥いていたリナンが、一粒を自分の口に放り込んだ。


「あ、殿下。摘まみ食いはダメですよ」

「飽きた」

「飽きないでください、自分から言って始めたんですから」


 調理場の隅を借りて、二人は黙々と豆の薄皮と格闘している。

 目の前にはまだまだ山のように豆があり、テーブルの向こうでは弟のルーヴァロと、母が同じく作業をしていた。


 頭巾でやや顔を隠しているが、美しい母を一目見ようと、料理人達が視線を向けては、ヒューレンの鉄拳が飛んでいる。

 視線に気がついた母が、朗らかに微笑んで片手を振るので、なおさら厨房は有頂天外だった。

 直撃した若人は貧血で救護班行きである。


 テトラは溜め息を吐き出し、半目で豆の山を睨みつける。


「わたし達、、婚約披露宴だって言ってるのに、殿下のご兄妹は底意地が悪すぎませんか?」

「同感だな」


 実のところテトラ達は、この土壇場で不測の事態に陥っていた。


 なんと第一皇子が、自らの結婚式の日程を無理やり早めて、ぶつけてきたのである。


 いやタイミング的に、リナンがテトラと婚約した事を聞き、早い段階からわざと調整して、前倒ししたのだろう。

 リナンはそれを知らされていなく、皇帝夫妻はリナンに興味がないので、知っているものだと思っていたに違いない。

 各国の王族や重鎮達は、同時に届いた招待状に、頭を悩ませることになったのだ。


 まぁ率直に言えば、兄の結婚式の場で、弟の婚約を発表するというやり方は珍しくない。

 しかしリナンはリナンで、城内の小広間を押さえていた事は、言わずもがな。完全に別会場で同時開催する流れになってしまったのである。


 招待客も困るが、一番損害を受けているのは、調理班だ。


 何せヒューレン料理長は、各式典を同じ会場で行うものだと考え、料理内容を考えていたのである。同日に開催されると聞かされていれば、そう考えるのが当然だとテトラも思う。

 テトラがヒューレンに、小広間の配膳について質問しなければ、披露宴は出迎える料理も無いまま始まる、地獄絵図であった事だろう。


 テトラはつくづく、厨房の皆と親交を深めていて良かったと、心から思った。

 激怒したヒューレンが、なんとか人員をさいて、別の料理の仕込みに取り掛かってくれたのだ。

 テトラはその恩に報いたいと、こうして調理場の隅で手伝っているのである。


 ……リナンが一緒だとは、全く想定もしていなかったが。


 昨日から帝国に入った母と弟も、勇んで厨房に入ってくれている。本当なら明日に向けて準備があるのだが、提供する料理の出来上がりが瀬戸際なので、全く手が回らない。

 ちなみに父はハンバルと一緒に、既に城へ到着している来賓客へ、状況説明に出向いてくれていた。


 父母と弟がリナンを手伝い、各国に向けて招待状を書いたが、参加表明をしたのは僅か数国。ナンフェア王国と同じく、参じるだけでも大変なジリ貧国もあった。

 それでも暖かな言葉で祝福してくれ、本当に感謝しかない。


 参加国の中には、あまり国交が盛んでは無い国もあり、リナンを目的としている事が窺えた。


「テトラ。あなたはそろそろ、休んだ方がいいわ。明日は大仕事ですもの、主役が寝不足だと辛いでしょう」


 四人の中で一番皮剥き作業が進んでいる母が、手を止めずにテトラを促す。

 時刻は宵の口だが、厨房の手伝いに奔走して、かなり時間も経っていた。


 明日の披露宴は、一番遠方の来賓国を考慮し、午後からの日程になっている。そのため午前中いっぱいで、怒涛のように会場設営に取り掛かる必要があった。

 ギンゴー帝国の使用人は、大半が第一皇子の結婚式に持って行かれてしまう。リナンの配下とテトラ達でやらねば終わらない。


「そうですね。殿下もそろそろ」

「ルーヴァロ達に任せていいのか?」

「お母さまのお言葉に甘えましょう。お父さまが戻ってくれば、調理は手伝えますし」

「うぉーい、お姫さん! 大変申し訳ないが陛下を連れてきてくれねーか! とても手が回らん!」

「分かりました! 待っててください!」


 三つの鍋と四つのまな板を、目まぐるしく見ている料理長が悲鳴を上げた。

 テトラの父は、ちょっと自慢できる料理の腕前なので、到着直後に少しだけ厨房で包丁を握っていたのである。

 ハンバルが野太い声を上げ止めに入っていたが。


 テトラはエプロンに付着した豆の残骸を払い、リナンの衣服も確かめると、二人で厨房を後にする。

 邪魔が入らぬよう、廊下で目を光らせていたシラストが、ホッとした様子で頭を下げた。


「父を呼びに行ってきます」

「オービス国王陛下ならおそらく、広間の方で手伝いに当たられているかと」

「ありがとうございます。それなら、お母さまと選手交代してもらおうかしら。……殿下、わたしは広間に」

「早く行くぞ。呼んだら休むんだろ」


 率先して歩き出したリナンに、シラストと顔を合わせて笑い、テトラは目尻を緩ませ足を踏み出す。


 かなり慌ただしく、不測の事態もいいところだが、今日はずっとリナンが隣にいてくれていた。

 レヴィンスの指示通り資産の移動を進めている間、あまりに忙しすぎて、落ち着いて話す機会もなかったのである。


 (ふふ、今日は一日ずっと、殿下の側にいられたわ。……嬉しい。明日になって、披露宴が無事に終わって、もう少しで……この人は、ナンフェア王国に来てくれるのね)


 こんな状況で不謹慎ながら、テトラは幸せだった。

 課題は多いが、リナンが惜しまず出資してくれる莫大な資産のおかげで、テトラも心理的余裕がある。きっと王国へ戻っても、家族で困難に立ち向かっていけるだろう。

 

 中庭が見える廊下に出て、披露宴会場の小広間の扉が見えてきたところで、リナンが歩調を緩めた。

 完全に立ち止まる彼に、テトラより先に異変を察知したシラストが前に出る。


「……殿下? どうし……ました……、っ!」

 

 剣呑に歪んだ白緑の瞳が見据える先で、長身の影が揺らめいた。











 

 

 

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