第9封 日々は些事の繰り返し①





 初めは勝手が分からずかなり苦心したが、一週間もすれば要領をつかめるようになった。

 リナンは第三皇子という立場からか、毎日重要な公務があるわけではない。それでも携わっている事業がいくつかあり、テトラはまず、その行程を頭に叩き込んだ。

 そこから自分の時間を逆算し、何時に起きてどのように行動すれば効率が良いか、朝食と夕食の時間配分を決め、就寝のタイミングを精査する。


 (うん、これは結構、大変だわ)

 

 導き出した結果として、テトラの朝は早くから始まることになった。


 彼女に与えられた小屋は、確かにリナンの私室からは近いが、給仕や洗濯場からはかなり遠い。

 洗顔の用意をしようにも、人肌に丁度良い温水は運んでいる内に冷めてしまい、テトラは熱いお湯を桶に貰って、水差しと共に往復するしかなかった。


 扉を叩いて返事を待たずに開け、寝相が悪くてベッドから転げ落ちているリナンを起こす。

 半分夢の中にいる彼が顔を洗っている間に、今日の服を決め、衝立ての向こう側で着替えをしてもらいつつ、ベッドを綺麗に整えた。

 初日はその場で上半身を晒されて、流石に素っ頓狂な声を上げてしまったので、リナンも大人しく着替えてくれる。


 鏡の前でリナンの髪を直し、少量の油を塗って艶を出す。

 朝に弱く半分寝こけている彼だが、この時は鏡越しにじっとこちらを見ているのが、なんともこそばゆかった。


「今日はお顔の色も良いですね、よく眠れました?」

「まぁ」

「ふふ、良かった」


 身支度を整えたら、朝の鍛錬を終えたシラストと合流し、朝食に連れ立つ。

 しかしテトラが同行できるのは、食堂の一歩前までだ。忘れてしまいそうだが婚約者とはいえ、流石に他国の、一応、第一王女という肩書きのテトラは、ギンゴー帝国の家族団欒までは入れない。


 正直に安心している反面、王族全員が部屋に入っていくのを、廊下の脇で頭を下げて見送る間、他の侍女から向けられる優越感たっぷりの視線が疎ましい。それからリナンの兄妹たちも、テトラに興味が無いか、良い印象を持っていないかの二択で、あからさまに侮蔑の言葉を掛けられたりもする。

 まぁそれくらいで心が折れるほど、テトラは繊細ではないので、右から左に聞き流して次の仕事だ。


 リナンが戻ってくる前に、彼が使用している執務室に入って、今日の準備を整える。

 昨夜片付けた書類を、仕分けした箱の中から取り出し、机の上に見やすく広げた。ペン先が潰れていないか、インクは十分にあるか、一つ一つを確かめて、すぐに取り掛かれるよう配置を考える。


 そうこうしている内に、リナンがようやく少し覚醒した顔で、部屋に入ってきた。


「お帰りなさいませ、殿下」

「ああ」

「北国から珍しい紅茶が届いたそうですよ、軽食をお召し上がりになる際に、お淹れしても良いですか?」

「なんでもいい。好きにしろよ」


 リナンはそのまま長椅子に座り、両足を組んで行儀悪くローテーブルに乗せ、本を読み始める。

 初めのうちは苦言も呈したが、改めない様子にテトラも諦め、そっと侍女服の裾を引いた。


 (本当、この男、やる事はやってるけど、基本的には無気力でなんにも関わりたくなさそうね……)


 テトラとて、リナンは雇用主と言っても差し支えないので、特に婚約者らしい感情はない。

 それでももう少し、彼女の存在を認知してくれれば、仕事の意欲も下がらないものをと、若干思わないでもなかった。

 

 今現在、着用している侍女服に関してもそうである。

 リナンがハンバルに命じて手配し、既製品を手直しして支給されたものだが、テトラが母国で着ているものより地味な色合いなのだ。

 確かに品物は上質で、肌触りも着心地も良い。テトラは手持ちが少ないので、現物支給は有り難い。

 だが花も恥じらう、うら若き乙女に、足首丈で火打ち石と同じ色のエプロンドレスとはこれ如何に。

 確かに仕事着ではあるし、テトラも派手な服装は好まない。好まないが……である。


 (まぁ、彼はパトロンだものね。わたしは役目を果たせば、それでいい訳だし)


 気合いを入れ直し、一度、テトラは執務室から廊下に下がる。


 リナンはいつも、家族団欒の食事を早々に切り上げ、執務室で軽食を取るのだ。

 時間帯は限定されているが、マウラバルから調理場の使用許可はとってある。 

 夕食に向けて下拵えをしている料理人の中に入り、邪魔にならないようにしながら、テトラは食パンをナイフで切り分けた。


 (殿下はたぶん、好き嫌いはないけど、野菜は好きな方だと思うのよね……)


 クラブサンドを作りながら、テトラは小さく笑みを溢す。

 昨日、余り物の野菜を棒状に切り、ディップソースと併せて出してみたところ、手を止めずにパリパリしていたのが小動物のようだった。


 (うーん、それにしても、こんなに食材を使えるなんて! 自分のご飯じゃないけど、贅沢ねぇ)


 たっぷりのバターに、新鮮な野菜。フライパンの上で踊る油と、パンに焦げ目がつく良い匂い。

 手際よく形を整え、崩れないように串で上から刺すと、テトラは目尻を下げて息をついた。

 白く手入れの行き届いた皿に盛り付け、ふと視線を感じて顔を上げれば、料理人たちが一斉に顔を逸らす。


 (もしかして……無意識に鼻歌でも歌ってたかな?)


 一人で仕事に没頭すると、つい鼻歌で流行歌を口ずさむ癖があるのだ。ただでさえ肩身が狭い身の上である。気をつけねば呆れられてしまう。

 気恥ずかしさに顔を赤らめつつ、さっと退出しようと皿を持ち上げた時、背後から声をかけられて振り返った。


「あら貴女、こんなところで何をやっているのかしら?」


 

 

 

 


 

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