第8封 汚部屋の宝物庫③
ポカーンとした沈黙が落ちた。
テトラは鼻を鳴らし、一礼してからハンバルの横を通り過ぎると、ローテーブルに置いていた宝石箱を、躊躇わず両手で持ち上げる。落ちていた宝石を根こそぎ詰め込んだので、結構な重量だ。
彼女はあえてにっこりと笑みを浮かべると、そのままリナンに顔を向ける。
「現物支給、とっても助かります! では殿下、わたしは一度、下がらせて頂きますね」
「……おう」
呆気に取られたままのリナンには悪いが、ハンバルを黙らせるには、この手しかない。
ただでさえ疲労で震えるのと、重量品を携えた両腕が悲鳴を上げそうだ。
ようやく意識を引き戻したハンバルが、顔を引き攣らせてテトラを呼び止め、宝石箱を指差す。
「まっ、待ちなさい! そっ、んな、わけがないでしょう! いったい幾らになると思っているんですが、貴女にそれほどの価値があるとでも!?」
「殿下から仰って下さったんですよ。有り難く貰って換金しろと」
ね? と同意を求めれば、リナンが溜め息混じりに何度か頷いた。
「……はぁ、まぁ、言ったな」
「完全に言わされていませんか殿下!?」
「失礼な! シラストさまも聞いてましたよね?」
「ええ。しかとこの耳で」
力強く頷いてくれる近衛騎士は、おそらくとても良い人なのだろう。テトラが笑みを向ければ、真っ赤な顔で硬直してしまったが。
テトラはリナンの発言について、嘘は言っていない。彼女が辞退しただけで、彼は確かに貰っておけと言ったのだ。なのでハンバルの余計な詮索も糾弾も、胸を張って突き返す。
テトラは苦心してトランクも指にかけると、三人を振り返って再度、頭を下げた。
そして気合いで踵を返すと、そのまま歩き出す。
「第三皇子殿下、ささっと食事を済ませて参りますね」
「……いや、いい。さっき侍女長に、部屋へ案内しろって言っといたから、今日はそのまま部屋で過ごせ。明日からでいい」
「そうなのですか?」
しかし就寝の用意は……、と疑問符を浮かべた鼻先で、リナンが片手を軽く振って、再三となる溜め息を吐いた。
「いいから、さっさと行けよ。埃まみれで歩き回っていたら、清掃が無駄になるだろ」
「うっ、仕方がないじゃないですか、さっきまで掃除してたんですから! それは減点ですよ殿下!」
先ほどまで懸命に頑張っていた淑女に対して、酷い言い草である。
だが埃まみれなことは事実であるので、テトラは汚れたワンピースに眉を下げ、宝石箱を抱え直した。
リナンの態度から察するに、彼は本当にテトラへ助け舟を出すつもりはないのだろう。
我に返ったシラストが慌てて扉を開けてくれ、テトラは心から礼を述べつつ、廊下に一歩踏み出す。
扉が閉まる直後、話は終わってない! と言うハンバルの金切り声が聞こえた気もするが、もう彼女は足を止めなかった。
◇ ◇ ◇
宝石箱を抱えて姿を見せたテトラに、マウラバルの反応はハンバルと似たようなものだった。
だが、第三皇子からの現物支給だと伝えれば、豆鉄砲をくらった鳩のような顔で口を閉ざす。
後ほど確認すると棘のある口調で言われたものの、テトラの心境としては、どうぞ好きに確認してくれ、しかなかった。
第三皇子の私室が奥まった場所にあるせいか、テトラに用意された部屋も、随分、離れた場所にある一室である。
なんなら小さい勝手口のような場所から外に出て、数十歩ほど歩かねばならないという、辺鄙も良いところの場所だった。
もはや小屋と呼んで差し支えなかったが、室内にはベッドもあり、簡易的に体を洗い流せる場所も確保されていて、なかなか良い部屋である。
ここでは一人で落ち着けそうだと、テトラはホッと胸を撫で下ろした。
「テトラさんは第三皇子付きですので、察しているかと思いますが、帝国での侍女の扱いは、女主人の小間使いではありません」
宝石箱を戸棚に押し込み、小屋内の説明を軽くされた後、マウラバルが話を続ける。
「ですので数ある内には、
ミセスの言葉端から、騒動を起こした元侍女の存在を、ひしひしと感じた。
テトラは姿勢を正して顎を引き、両手を腹の前で組むと頷く。
真っ直ぐにマウラバルを見つめれば、侍女長は微かに相貌を崩して、目尻を緩ませた。
おや、と目を瞬かせると、マウラバルは背後の扉を振り返る。
「ここでは、城で目を光らせる者の目も届きません」
「……」
「食事にしましょう。厨房の横に、
マウラバルはそれだけ言い残し、さっさと小屋を出て行った。
一人残されたテトラは、目を丸くしたまま、暫し扉を凝視する。
どうやら自分が思う以上に、帝国は帝国で厄介な何事かがあるらしい。
そしてミセス・マウラバルもまた、テトラが思うような人ではないようだった。
彼女を待たせてはいけないと、少し軽くなった心持ちで、トランクの中から着替えの服を取り出した。
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