第3封 金のなる皇子さま②
国同士という垣根を考慮し、婚約期間は一年間。
初めの数ヶ月は、ギンゴー帝国第三皇子の侍女として帝国で暮らし、その後はリナンがナンフェア王国に移住するという。
彼が到着する前に、部屋を用意しなければと考えつつ、テトラは紅茶を一口飲んだ。
「第三皇子殿下。わたしは母の侍女を兼任しておりましたので、差し出がましいのですが、わたしが帝国に赴いている間、人員を派遣して頂くことはできますか?」
「構わない。好きにしろ」
「ありがとうございます」
「俺の財産の管理は部下がやってるから、あとはソイツも交えて話した方がいいか」
リナンは本格的に、身の回りの世話を一手に引き受けてくれる結婚相手がいれば、後はどうでもよさそうである。
ひとまず今夜は別れる事にし、後日、正式にギンゴー帝国へ訪問することで合意した。
◆ ◆ ◆
喜ばしい報告を持ち帰ったテトラに、家族は驚愕し、それ以上に恐縮した。
弟のルーヴァロが、婚約者というより
政略的意図とは少し違うが、リナンの気が変わる前に話を進めた方が良いと、父は早速、帝国へ手紙をしたためた。
帝国から、というより、リナンの名義で届いた手紙を胸に、テトラは父と共に馬車で往路を進む。
迎えにきてくれた帝国の馬車は、見た目こそ豪華絢爛ではないものの、細部にわたり美しい装飾が施されていて、一家四人で度肝を抜かれた。座席の生地も滑らかで、我が国の王座よりふかふかしている。
本当の金持ちとは、やはり使い方を心得ていると、感心しきりであった。
ギンゴー帝国はナンフェア王国より海側にあり、宿泊しながら三日ほど進んで行けば、立派な関所を構える外壁が見えてくる。
父の隣に座り、華やかな街並みに目を輝かせていたテトラに、父は愛しげに目を細めて優しく頭を撫でた。
「我が国としては喜ばしいが、お前の幸福を考えると、胸が痛むな」
「まぁお父さま、そんなことはありません! わたし、一攫千金を狙ってデビュタントに参加したんですよ? 大物を釣り上げたぞーって、とっても喜んでいるんですよ?」
父の愛情は嬉しいが、テトラは本当に何も憂いていなかった。
侍女として活動する相手が、母から他国の皇子に代わっただけである。異性という壁はあるが何とかなるだろうと、楽観視しているくらいだ。
何せ相手は大富豪国。願ったり叶ったりの玉の輿である。
テトラと同じメイズの双眸を細め、目尻の皺を緩めて笑う父の顔が、彼女は大好きだ。
結果として周囲に押し負けてしまったが、父と母がテトラのデビュタントに向けて、衣類や宝石を換金したり、安価でも美しいドレスを試行錯誤したりしてくれた事を、彼女はよく知っている。
不況に喘ぐ国民もそうだが、父母と弟に、早く良い生活を保障したかった。
この敷地内だけで国ではないだろうかと思うほど、広い城内へ入っていく。
馬車が停車し御者が扉を開けてくれ、父が先に降りて、テトラに片手を差し出した。
父のエスコートで地面に降りると、昇降台を用意してくれた御者に礼を述べる。
「ありがとう。とても快適な旅でした」
「っい、いえ!」
柔らかく微笑めば、御者は耳まで真っ赤にして、そそくさと馬車を移動させに行ってしまった。
ナンフェア王国では王族と国民の距離が近いので、謝礼を述べるのは普通なのだが、もしかしたら帝国では無い習慣なのかもしれない。
数ヶ月、ここで世話になるのだ。よく学ばなければと、テトラは御者を見送って表情を引き締めた。
父とテトラを出迎えてくれたのは、アイボリーブラックの髪をキッチリと分け、神経質そうな眼鏡の男であった。
男は片手を胸に当て、深々と頭を下げると、テトラを一瞥して切れ長の瞳を細める。
カーマインの情熱的な色であったが、冷え冷えとした視線を感じて、テトラは居心地悪くドレスの裾を持ち上げた。
「ナンフェア王国、ヴァイロン・オービス国王陛下、ならびに第一王女テトラ殿下。ようこそおいでくださいました。リナン第三皇子の従者、ハンバルと申します」
ハンバルと事務的な挨拶を終えて、二人は帝国の兵士と共に、城内へ案内される。
応接室に入ると、リナンと、前回も彼と一緒にいた近衛騎士がいて、リナンが緩慢な動作で立ち上がった。
非常に簡易的な礼服のようだが、父とテトラが着用するものより、遥かに上質そうに見える。
今日は父も一緒であるし、皇帝や皇后も同席するかもしれないと、苦心して見繕った礼服にしたのだが。格の違いを見せつけられただけであった。
「ご足労おかけしましたこと、誠に申し訳ございません、オービス国王陛下」
流石に父に対しては、敬意を払ってくれるらしい。
頭を下げるリナンに、父は朗らかに笑って首を傾けた。
「いや、こちらこそ、お招き感謝いたします。我が愛娘の器量へ、目をかけて下さったと聞きました。本日は皇帝陛下は……?」
「申し訳ありませんが、ご多忙ですので」
さらっと受け流され、座るよう促される。
これには流石に驚き、父は面食らった様子で目を瞬かせた。
ハンバルが包み隠さず説明を加えてくれたが、国同士の婚姻だというのに、第三皇子とその部下に任せ、好きに決めて良いらしい。
父が困惑してテトラを横目に見たが、テトラも同様に父を見て、リナンに断りを入れてから口を開いた。
「あの、前回のお話でも申し上げましたが、正直に、我が国は財源が枯渇しております。この場で勝手に決めて、……その……ええと、ご融資的な……のは、大丈夫、なのでしょうか……?」
不安げに主張するテトラに、ハンバルがやはり冷めた様子で頷く。
「皇帝陛下の御許可は、書面にて受け取っております。大丈夫です。それとも、帝国の資産を脅かすほど、莫大な融資をお求めなのでしょうか?」
ちょっと鼻で笑われてしまった。
父が苦く笑い、ムッと眉を寄せるテトラの背を軽く叩いて、姿勢を正す。
「そうですね。結婚式の費用も結納金も、娘の門出を祝う全てを投げ打ってでも、国王として、害虫被害をどうにかしたいと思うほどには」
静かに、しかし明確な意志を持って視線を上げ、ハンバルを見据えた父に、リナンの従者は言葉を詰まらせた。
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