巡ってきたチャンス

 早春のこの日曜日、ベルギー・フランドル地方には、雪が降っていた。

 ヨーロッパの気候は日本こきょうより寒い。春先に雪が降ることもそれほど珍しくもない。

 そしてそんな条件で開催される自転車ロードレースもまた、「今日雪だから」なんてぬるい理由で中止になることはない。いや、むしろあえて過酷な条件を選んでカレンダーを設定している節すらあるのだ。

「うひゃー、積もるほどじゃないとはいえ、こりゃ冷えるな―」

 チームメイトの神山が、指先まで覆うグローブをはめた両掌をこすり合わせながら文句を垂れた。

「こりゃ本場のレースのセオリー、『プロは200kmまではウォームアップ』って展開かな?」

 呑気ににやにや笑いながら聞きかじった知識を口にする。そんな神山、いやチームメイト全員に対して、俺は唾を吐きかけたい気分になった。別に今日始まったことではないが。

 こいつら全員、もう何戦か本場ヨーロッパのレースを実体験しているくせに、まだ「甘ちゃんアマチュア」気分が抜けてない。

 そもそもヨーロッパに軸足を置いて活動する方針にも、俺を除いたチームは消極的だった。

「俺ら日本チャンピオンじゃん。このまま日本で勝ちまくってりゃ、目立てるしそこそこカネだって入ってくる。なんで地球の反対側まで行かなきゃならんのかね?」

 万事こういう調子である。渋る連中をどうにかこうにか説き伏せて、俺は今期もヨーロッパで戦う道を選んだのだ。

 正直、こんな連中といつまでも付き合っているのは現役生活キャリアの浪費にしかならないとも思う。だがチームから抜けることは、会社が許してくれなかった。

「日本が誇る若きオールラウンダー、東郷源治とうごうげんじに抜けられるのは困るよ。君の意思はくむから、とにかくチームには残ってくれ」

 日本が誇るオールラウンダー。

 誉め言葉が空しく響く。

 そんな肩書も、この本場ヨーロッパに放り込まれてしまえば、ごまんといる「小さくまとまったアベレージ・レーサー」にしかならない。

 とにかくそんな士気しか持ち合わせていない連中に助けられて……いや、足を引っ張られての戦いだったから、当然戦績はボロボロだった。そして俺を除いたチームメイト達は、それを悔しがる気配もない。どこかで「あまりのレベルの違いを見せつけられると、悔しいという気持ちは無くなっていっそ清々しくなる」と聞いた記憶があるが、そんな気分なのかね?

 そんなチームがなぜか、今日このレース、「ツール・ド・フランドル」に招待された。

 本場ヨーロッパで繰り広げられる数多のサイクルロードレースの中でも、最高の格式を持つ大会のひとつだ。

 特徴はコース後半に幾度も現れる、「壁」と呼ばれる急勾配の登り。ゆえに一般的には登坂力のある選手に有利な性格を持つと評価されている。

 このレースの真の難しさはそこだけではないが……まあ、それは走りながら見てもらおう。

 白人がほとんどの選手層の中で、そこだけ黒髪に黄色の肌が集まった俺たちのチームに周囲の好奇の視線が集中する。

日本人ジャポネーゼ? なんでこのレースにこんな連中がいるんだ?)

(なんでもシマダの強い意向らしいぜ。選手はともかく、機材はシマダが優位になって久しいからな、ロードも)

 フランス語、イタリア語、スペイン語、ひと通り日常会話くらいなら身につけてきたから西洋人たちのささやきも断片的に分かる。場違いな舞台に放り込まれていたたまれなくなりそうな心を、俺は無理矢理奮い立たせた。

 これは最初の、そしてもしかしたら最後のチャンスだ。

 繰り返すがツール・ド・フランドルは最高格式のレースのひとつ。当然業界の注目度も高い。ここでいいところを見せれば、こんな甘ったれた連中とはさっさとおさらばして、本場の一流メジャーチームに加わるチャンスが得られるかもしれない。

 そうなればこっちのものだ。俺は成り上がってみせる。今まで日本人では誰一人成し遂げられなかった、「本場ヨーロッパの一流レースで勝てるエース」の座に。

 そんな俺の野望を知ってか知らずか、チームメイトたちは相変わらず気楽に「本場レベル高けー」「今日は終盤まで脚温存だな」なんておしゃべりしてる。もとよりこんな甘ちゃんアマチュア共の助けアシストは期待してない。チームはヨーロッパに行くための道具でしかない。これは俺個人ひとりの戦いだ。

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