どうしてそうなったんだよ その3

「おーい見つけたぞー……って、なんだその顔は」

「……いや、なんでも。見つかったんだな、ありがとう。まさかマジでこんなことが起こりうるとは……ん?」


 青仁が困惑し、茫然とプールの中に身を沈めていた間に、梅吉は水着を見つけてきてくれたらしい。こちらの混乱をまるで理解していないのだろう、首をひねっているが、元はと言えば全て奴のせいである。……本当、お前は何を考えているんだ。

 そう、ぶつくさと内心文句を垂れながら、水着に手を伸ばそうとしたのだが。


「いや渡せよ。何故避ける」


 何故かす、と手が避けられた。


「だってお前に任せたらまたほどけそうだし、オレが結んだ方がいいかなって。あとお前がやったら時間かかるだろ」

「……」


 まるで否定できず黙り込む。そもそも自宅で着た時ですら、それはもう死闘を繰り広げやっとのことで結べたのだから。水中で、しかも手早くやれるかと問われれば答えはNOである。


「何黙ってんだよ。おら、やるからあっち向け」


 冷静であるが故に様子がおかしい梅吉に、背中を見せ、あまつさえ上半身の水着を結ばせる。正直なんとも危険な行為としか思えないのだが、奴自身には驚くほど邪気が感じられない。

 それに、残念ながら仮に奴に裏があろうとも、極限状態である青仁に取れる手段はそう多くない訳で。


「……」


 怪訝な顔をしながらも、おとなしく背を向ける。どのみち追及は上半身裸という極限状態を脱してから行うしかないのだ。普通に恐怖しか感じないが、もはや諦めることしか、青仁に道は残されていない。


「よいしょ、と」

「は?どうなってんだよお前。おかしいだろ」


 果たして、互いに水中にいるという状況で一瞬で青仁に水着を着せて見せた梅吉に、青仁は別の意味で正気を疑う眼差しを向けることとなった。


「俺はあんなに苦しんだのに、お前って奴は……!俺の三十分はなんだったんだよ!」

「素朴な疑問なんだけど、お前がドリンクバーに向ける情熱の1パーセントでも向けりゃ、どうとでもなるんじゃねえのってずっと思ってんだけど」

「は?じゃあ逆に聞くけど、お前は飯を食うモチベを勉強に向けられるのか?無理だろ?そういうことだよ」

「なんか違う気がする」


 寝言を言っている馬鹿を流しながら、青仁はどうせ交代することになってたんだし良いだろうと、どさくさに紛れて浮き輪によじ登る。……合法的に、奴の顔を視界に入れないために。


「うるせえ同じだよ。つか、ずっとツッコミたかったんだけどさ」

「おいお前何気なく浮き輪使ってんじゃねえよ突き落とすぞ」

「レンタル代払ってんのは俺なんだよなあ」


 別に金銭面で主張する気はあまりなかったのだが、今回ばかりは都合が良いため使わせてもらう。一瞬ぐ、と詰まったその隙に、青仁は疑問を差し込んだ。


「お前のことだから、てっきりこういうラッキースケベ的なイベントってテンション死ぬほど上がると思ってたんだけど。よく冷静さを保てたな」


 つとめて平静を装って、どうにかこうにか、声から震えを取り払って。何気ない雑談みたいに、青仁は問いかける。

 正直、どんな答えが返ってくるのか、聞きたいような聞きたくないような奇妙な心地だったが。あそこまである意味で様子がおかしいさまを見せつけられたら、聞かずにはいられないだろう。


 せめて、何か裏があってほしい。それこそ何かしら青仁に突きつけたい条件があって、交渉を有利にするために必死に冷静を保ってたとか、笑い話の類であって欲しいと心の中で祈りながら──その時点で、何かに気がつきつつあることから目を逸らしながら。青仁は、梅吉の言葉を待つ。


「まあ、確かに最初はちょっとお、ってなったけどさあ」


 青仁の心情なぞ知る由もなく、ぼやくその声音は、至って平常運転の梅吉のものである。内容自体も、青仁の理解の範疇に収まっている。


 しかし続けられた言葉は──現実は、青仁にとってあまりにも都合が良くて、そして最悪に都合が悪かった。




「ここだと、他にも人いるから、それを堪能できるのがオレだけって訳にはいかないだろ?それはなんか、嫌なんだよ」




「…………は?って、うわっ?!」



 表現に困る感情が自らの内で渦巻く。でも多分、その全てが好ましいと呼べるものではなかった。



 ぞくりと背に走った覚えのある感覚に恐怖を感じるよりも。


 言い訳のしようがない身の内の冷たさを自覚するよりも。


 積み上げてきたが無造作にぐちゃりと踏みつぶされたことを認識するよりも、本能的にギョッとしてしまって。



 自分から目を逸らしたくせに、勢いよく奴の方へと振り向く。そこには自分がとんでもないことを言っていることにまるで自覚のない、平然とした顔で波の狭間に立つがいるだけで。当然動揺のままそんな無茶な動きをすれば、バランスを崩す。


「そういうのって、他の誰かに見せたくないし、見せるものじゃないだろ……って、何お前自滅してんの?」


 バシャン、と物の見事にプールに落下した青仁は、ざぶんとやってきた波にのまれるように、冷えた水に沈みこんだ。


 息が苦しくなって、思考が回らなくなる。しかし今ばかりはそれが心地よい。何にも考えたくなどないのだ。考えてしまえば、きっと青仁は頭がおかしくなってしまう。

 でも、そんなことを考えている時点で、もう手遅れかもしれなかった。──それが、青仁と梅吉、どちらのことなのかは、わからないけど。もしくは、二人とも既に手のつけようがなくなってしまった後なのかもしれないけど。


 だって青仁は、気づいてしまったんだ。気づいてしまったから、目を逸らせなくなったんだ。


「ぷはっ」

「おーい大丈夫かー」


 たっぷりとしたまつ毛に彩られた大きな瞳が、こちらに向けられる。先程、そこに滲んでいたものの名前を、青仁は知っている。本来ならば、梅吉が青仁に向けることなんて一生ありえなかった筈のもの。性転換病なんていう、ふざけた名前の病が生み出してしまった感情だ。


 否定するには、材料が揃い過ぎている。というか、多分青仁はどこかで知っていたんだ。決定的な言葉がないからと、無意識にその可能性を認めていなかっただけで。とうの昔にパンドラの箱は開いていたし、一度開けたそれを閉じることはもうできない。

 例えば、先日の水着を選んでいた時の一件だとか。例えば、一茶が意識調査がどうとか言っていた時とか。例えば、例えば──


「お前泳げるくせに、自滅するとか珍しいな。なんかあっ」

「……お前、さ」


 それでも、やはり認めたくなくて。悪夢みたいにどろりと甘い現実なんて、あって良いはずがないと捉えて。声の震えを取り繕う余裕すら持てぬまま、悪あがきでしかない問いを、口にする。


「マジで、気づいてないわけ?」

「何の話?」


 ……ああ、これは、だめだ。完全に奴に自覚はない。気づいているのは青仁だけだ。何故、と問うても答えは返ってこないし、問うこと自体が悪化につながるかもしれない。だとしても、耐えがたい。

 混乱と困惑と意に反して速度を上げていく心拍を抱えて。青仁は呆然とした様子で、梅吉を見る。可愛らしい少女以外の何者でもないその見た目だけならば、許容できたのに、なんて今更なことを思いながら。心中で、現実を具体的な言葉に成形した。


「なんか反応鈍くね?おーい」




 ──お前、俺に独占欲向けてるよね?と。
















 夕暮れが支配する、帰路の電車にて。青仁の隣でそれはもう気持ちよさそうに寝息を立てている梅吉は、きっと青仁が現在進行形で精神をかき乱されているとはまるで思っていないのだろう。全く、幸せな奴である。

 これは青仁にも言えることだが、今の梅吉は意識さえなければ非の打ち所がない美少女だ。無防備なその寝顔を向けられることにすらも優越感を抱かせるそれに、言葉を投げかける。


「……お前、何考えてんの」


 無論、答えが返ってくることを期待してのものではない。それでも、言わずにはいられなかった。


 独占欲。自覚してしまえば向けられていることはあまりにも明白で、むしろよく今まで青仁が気が付かずにいられたものだ、と客観的に思考してしまうぐらいには、梅吉のそれはひどくわかりやすい。……本人が気が付いていないので、当然と言えば当然だが。


 互いに好みの美少女と化してしまって、成り行きと下心で恋人(仮)関係が成立して。深いことを考えると、現状は大分意味不明なものであることは理解している。そんな状況でたかが独占欲程度で何をぶつくさと言っているんだ、と言われてしまうかもしれないけど。

 ついでに言えば、劣情に独占欲が混じるのは当たり前と言えなくもない。おそらく青仁にだって、自覚はないが多少はあるのだろう。だからきっと、青仁が真に動揺している理由はそれだけではないのだ。


「……はあ」


 先ほどの感覚を思い出してしまって、再現してしまった己の体に悪態をつくようにため息を吐いたつもりだったのだが、冷房の効いた車内のくせに、やけに熱っぽい息がこぼれてしまう。それにすらも嫌気を感じながら、青仁は思う。

 ぞくり、と背筋が粟立つような。独占欲の滲んだ眼差しを向けられるようなことは、少なくとも青仁は想定していなかったのだ、と。


 そもそも二人は、元々単なる仲の良い友人同士である。そして互いに、それを素直に主張できる方向性の性格をしていない。むしろやり取りの遠慮のなさで友愛を量っているような状態だ。間違っても、本来明確な独占欲が混じるような関係性ではない。


「……」


 しかも最悪なことに、前後の態度から考えるに、おそらく梅吉は独占欲に全く自覚がない。許されるならば「お前もしかしてクッソ鈍いの?」とか聞きたくなるぐらい、あいつは何も気づいていないらしいのだ。本当、なんで青仁だけが気づいてしまったんだ。正直一生気づかないままでいたかった。


「……梅吉。俺、これからもお前とバカ騒ぎをやっていくつもりだったんだけど。こんなものを知っちゃった上で、俺は、この先どうやってお前とつるんでけば良い訳……?」


 関係がギクシャクしたくない、と思う程度には奴との友情はある。だが、気づいてしまった感情と困惑を無視して今まで通り振る舞えるほど、青仁は器用ではないのだ。

 許されるならば、どうしてそうなったんだよお前、と茶化しながら問いたいぐらいだった。だってそうだろう、外見美少女中身男とかいう今世紀最悪のキメラに独占欲を抱くとか、我ながら意味がわからない。正直今だに脳が正常な動きを取り戻せている気がしない。多分まだ、青仁は混乱の只中にいる。


 ……だからこそ、今の自分は気がふれているのだろう。そうでなければこんなイかれた結論になんて辿り着けない。というか、この結論にたどり着いていなければ、青仁の困惑はもう少しマシだったはずなのだ。それも全て、隣で呑気に眠る諸悪の根源のせいである。綺麗なツラに拳をめり込ませたい欲求を堪えながら、青仁はため息をついた。





 独占欲が向けられていると知った上で、拒絶する気が起きないのだが?と。

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