第2話 十二年前、失った日②――世界α・アラサキ国

「つまらないな」


 冷淡な声が聞こえてきた。若干の苛立ちが含まれている。


「妃を目の前で嬲り殺されたというのに、これっぽっちの反応しかないというのは……まぁ、これでも上出来か。屋敷は完全に落ちた。町にも広範囲に火が回っている。半日もかからなかった。まぁ予想通りではあるが」


 聞き覚えのある女の声。

この家に炎を放った一団の先頭に立ち、『殺せ! 焼き尽くせ!』と叫んだ敵将のものだった。


「しかし私は満足できていない。もっと心を揺らしたらどうだ」

「……」


 彼女が言葉を向けた先の人物は、沈黙しているようだ。それが誰なのか、兄弟とレイにも分かった。彼らの父親である。


「……母さんは殺されたの?」


 妃という聞き慣れない単語と母親は結びつかなかったが、文脈から解釈できた衝撃的な事実だった。カイトの小さな声は周囲の物音にかき消されてしまったのか、レイもアロンも答えない。


「まあよい」

 

 望ましい反応を返さないことに痺れを切らしたのか、敵将は大きく息を吐いた。そして「ふふふ」と艶っぽい笑みを漏らし、近くの兵に「引き出せ」と指示を出す。


「姉さん。ジュド、ナナ」


 壁の隙間から向こう側を見ていたのだろう。アロンが震える声で呟いたのは、他のきょうだい達の名だった。


 すすり泣く声が聞こえる。カイトの二つ上の兄、ジュドの声だった。彼を宥めるように「大丈夫よ」と呟くのは、姉のマリ。十八になった彼女の成人の祝会を、先日皆で賑やかに終えたばかりだった。そして「やだ! 痛い! 怖いよう!」と叫ぶのは、妹のナナだ。彼女は三歳。舌足らずに「やだ!」「お父さん、助けて!」と繰り返している。


「ダメだ」


 思わず腰を浮かせようとしたカイトを、レイが制する。


「だってナナが……」

「ダメだ」


 口を塞がれるようにして抱きしめられた。レイの鼓動と体温が感じられる。彼も震えているようだった。


「効果的なようだな。やはり王といえども人の親ということか。よろしい。その調子ぞ、王よ。存分に心を乱せ」


 大気が揺れている。

それは六歳のカイトにも、はっきりと感じ取れた。


『黒い感情の揺れは、国を揺らす』


 一般常識として学んだだけの現象が、実際に今起こっているのだ。


「これとって! これ痛いの! 怖いよお!」


 幼い少女の悲鳴が、ジャラジャラという金属音と共に辺りにこだました。鎖で繋がれているのだろうか。なんて酷い仕打ちだろう。レイの身体に隠されて、実際にカイトがその光景を見ることはできなかったが、生々しい音が想像を掻き立てた。


「幼子は素直で良いものだな。期待通りの反応をしてくれる」

「ぎゃっ!」


 バシンと鋭い音と共に、ジュドの短い悲鳴が響いた。何かで打ち据えられたのだろうか。マリの息を呑む音がして、ナナの泣き声がより大きくなる。


「耳障りな奇声だこと。なあ、王よ。私は子供のうるさい声が嫌いでな。しかし今は不思議と、こんなにも素晴らしい音はないと思っている。この声のおかげで、もうすぐ私はひとつの偉業を成し遂げられるのだから」

「……気の毒な人だ」


 やっと聞こえてきた父の声は、年齢よりもずっと老いた男のように聞こえた。しかし淀みなく、そして揺れることなく彼の言葉は紡がれた。


「子供の声は笑っている時のほうが、ずっと素晴らしいのに。ご存知ないのか?」


 ふん、と敵将は不満気に鼻を鳴らした。


「平行線だな。価値観の違いはどうしようもないようだ。そろそろ終えようではないか」

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