第十五章 速水 悠

 俺は高校を出てからすぐに行きつけのシルバーアクセサリーの店で働き出した。耳はもちろんのこと口や眉、舌にピアスをあけて暗い色がベースのファッションを好んだ。ある時バーの仕事を手伝って欲しいと仲の良い顧客から声をかけられた。会社は副業しても良いので、俺は軽い気持ちでバーの世界を知ることになる。

 元々接客業が好きな俺でも、一つの店だけでは知り得なかった業界の人や、老若男女全ての人が交差する煌びやかな世界だった。俺はシルバーアクセサリーの仕事をスッパリとやめてバーの世界に入り込んだ。まずはバーテンダーになる為に勉強をし、酒の種類を覚え、お客様の所作や声色で気分を思考し、ぴったりのお酒を提供するといったホスピタリティーも学んだ。

 有難いことに芸能業界で働く常連客からオファーを受け、モデルやタレントなどの仕事も、多くは無いがこなしてきた。すると更に店は繁盛した。その努力が身を結び、俺は二十八歳でオーナーになることができた。

 これもそれも城崎くいなという女性の力は大きいだろう。もともと父親と来店していた彼女だが、割と歳が近いということでよく話すようになった。

 美しい綺麗な顔立ちに豊満な胸。モデルのように背が高く、右分けの前下がりボブの漆黒の髪色がよく似合っていた。俺がオーナーになってからは、彼女が連れてくる色んな男性とも挨拶をした。社長や芸能人、はたまたここでは言えないような職業の方とも良く来店された。

 そのうちの一人が類さんだった。つまり俺が類さんと会ったのも城崎くいなのおかげだ。次第に城崎くいなはプライベートでは類さんしか連れてこなくなった。類さんは目線、仕草、表情、歩き方、全てをとっても俺が今まで見た中で男女含めて一番綺麗な人だった。

 髪は透き通るような金色で、恐らく鎖骨まである髪を一つに後ろで纏めている。少し癖のある前髪が綺麗に靡いていた。

 はたから見ても城崎くいなが類さんに夢中なのが分かるほど、彼女は普段から熱心に好意を寄せていた。毎日のようにうちの店、GrandChariotへ通ってくれた。そして毎回支払いは城崎くいなだ。最近になっては会社のカードまで使い込んでいる。それに気づいたものの俺には関係ないことだ、と特に突っ込まなかった。類さんはいつも笑顔で楽しそうだった。


 ある時、類さんは一人でバーにやってきた。髪は黒く染めていて一瞬分からなかったが、隠しきれない雰囲気と美しさが滲み出ていたのですぐに気づいた。類さんに「いつもありがとうございます」と挨拶をすると、二人で飲まないかと誘ってくれた。俺は城崎くいなのお得意様だから……と心で言い訳を考え、仕事を早々にすまし、類さんと夜景が綺麗なカウンターへ移動した。間近で見る類さんは本当に綺麗で女神か何かだと思うほど輝いていた。同じ人間なのだろうかと疑ってしまうほどだ。俺は見惚れてしまって、話が上の空にならないように注意しながら何度も類さんを見つめていた。

 一度目の話の内容は俺のバーに入った経緯の話。そして類さんの年齢。俺の二つ下だった。年齢を聞いて少し驚いた。年下とも思えない大人びた妖艶なオーラを放っていたからだ。二度目には類さんは仕事をしてないと城崎くいなには伝えているが、とある喫茶店で働いているという話。そして三度目は、髪を金色に染めていた期間はここ一ヶ月ほどだけだったという。詳しくは聞かなかったけれど何かの撮影があったから記念に染めただけらしい。三度目の場所は俺の部屋。二度目まではバーで飲んでいたけど、珍しいお酒を手に入れた話をしているうちに、俺の家へ招く口実ができた。部屋に入り、自慢の限定品ソファーへ促した。

「なんて座り心地がいいソファーなんだ。僕も欲しいな。どこで買ったの?」

 やはり類さんはわかってくれる。類さんは俺の完璧な理想だ。声も、話す言葉も、美しい澄んだ瞳も、容貌も、聡い考え方も全て。類さんと出会ってから俺は髪を伸ばし、後ろで一つに括り、髪も黒に染めた。少しでも彼に近づきたかったからだ。実際に足元にも及ばなくても。

「そのソファーもう売ってないんですよ。限定品で……すごくいいでしょ! わかってもらえて嬉しいです」

「へぇ……そうなんだね。このソファーだとお酒もより一層美味しく飲めるね。ほら、早く隣へおいでよ」

 類さんは俺に手を伸ばす。胸がドキッと高鳴った事を自覚する。俺は鳴り止まない心音で、自分の喋り声が聞こえなくなるほど緊張していた。時計の針が午前二時を指した頃、俺は類さんと体を重ねた。男性を今まで性的な対象に見たことはない。しかし類さんに限っては女とか男とか、そういう壁は感じられなかった。俺は必死に、何度も類さんと体を重ねた。罰が当たるんじゃないかと思えるほどの幸福感と、理想の女神と交わる背徳感に俺は溺れていった。

 仲を深めていくうちに、類さんにも悩み事がある事を知った。まず一つ目は城崎くいなが自分は類さんの婚約者という噂を流している事だ。類さんには不特定多数の女性……いや、男性もいたかもしれない。とにかく、そのうちの一人である城崎くいなに困っているという話だ。

 二つ目は自分が人格であるという話。本名は「粟津 櫂人」という事。幼少期の事情で、体の年齢より一つ上の「類さん」が生み出されたという事。そして、類と呼ばれている時……つまりは類さんが必要とされている時には自分が出ていられるという事を聞いた。俺は何度も類さんの名前を呼んだ。不特定多数の誰でも良い。彼の名前を呼んでいないと、類さんがこの世からいない時間ができてしまう。先ほど聞いた記念撮影の話も、自分は類だと忘れない為らしい。

 俺は類さんの全ての話を信じた。俺に嘘をつくメリットが何もないからだ。楠瀬凛という女に会うと、類さんは出ていられなくなるらしい。俺の目的は城崎くいなを類さんから引き離す事だ。それについては俺が城崎くいなと結婚でもすればいい。楠瀬凛を殺すことも提案したが、それだと粟津櫂人の精神が不安定になり、最悪の場合、類さんが消えてしまう可能性もあるらしい。

「僕は楠瀬凛と結婚したいんだよ。色んな人と関係をもっているのも必要なくなるしね。楠瀬凛を手に入れて、僕を認めてもらって……幸せな……普通の家庭を築きたいんだよ。悠はわかってくれる?」

 類さんは俺の髪を優しく撫でる。俺はずっとこの世界で類さんが生きていられるように、協力すると誓った。最終目的は類さんが粟津櫂人になること。粟津櫂人として生きて体を得ること。

「楠瀬凛と僕がキスすればいいんだよ。できたらセックスかな。でもそれは難しいかもね。彼の時に何かショックでも与えない限り僕に代われないし」

 類さんは悪びれもなく語った。

「それで……類さんは体を奪えるんですか? ショックはどうやって……?」

 俺は半信半疑で聞き返す。

「櫂人はね、自分に自信がないんだよ。僕はずっと幼い頃から知っている。そんな彼を支えてきたし、ずっと自信をもってと伝えてきた。だけど人の性格って中々変わらないもんでさ」

 類さんは裸のまま服も着ずに片手を伸ばして、グラスに注がれたウイスキーを手に取り口づける。何て美しくて儚い姿なんだろう。

「楠瀬凛が僕とキスしたら櫂人は「類の方が幸せにできる」と思うと思う。いや、これについては思うどころか確信がある。彼はずっと僕に対しては無意識に絶対的だからね」

「自分で幸せにできないなんて……情けないですね」

「そうかな。人間ってそんな風に自信がある時とない時があるんじゃない?僕らはその部分が分かれてしまって、別の人間になってしまったけど」

 まだグラスに少しだけ残っていたウイスキーを一気に飲み干すと、伏せ目がちにポツリと呟き続けた。

「そうじゃないと、あの環境は生きていけなかったからね。彼も僕も被害者だよ」

 なるほど……と俺も自分のグラスに手を伸ばした。

「ショックを与えるのはきっと彼女が勝手にしてくれるよ。城崎くいながね。彼女は僕に会いたくて仕方がないはずだから。進藤さんも僕が思うようにうまく動いてくれるよ……。僕には申し訳ないと思って、勝手に自分の罪にして、楽になる為に仕事を与えてるぐらいだからね」

 全てを見据えて、類さんは僕の足に絡みつく。

「頼んだよ悠。君がいないと僕は消えてしまう……」

「……っ、類さん……」

 触れられた足が熱を帯びて気持ち良い。昂る気持ちを必死に抑えて俺は冷静に答えた。

「はい。まかせてください……全部計画通りにやりますから‼ 見ててください」

 夜が更けるまで、俺は類さんを何度も抱いた。



 実際に「粟津櫂人」を見た時は目を疑った。雰囲気は暗く、俯き加減でオドオドしていて。一体誰なんだこいつは。雰囲気どころか目つきも話し方も声まで違う。

 この人がこの体の持ち主、粟津櫂人……。

 俺は怒りとも悲しみとも取れる感情を抱えながら、粟津櫂人を見つめていた。だけど、それと同時に俺だけが真実を知り、類さんに信頼されている証拠になる。それだけで俺は何にでもなれる。


 早く類さんに会いたい。

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