1-3.礼羅
陽光の前に馬を乗せられて山を下った。出会って早々に一緒の馬に乗せるなんて彼もかなり私に気を許し過ぎではないだろうか。
そう思っているうちに馬は川の前で立ち止まった。川は浅瀬で馬も歩ける。
「どうしたの止まって」
「礼羅、都にある靄が見えるか」
そう言って指さす方を見ると、夜でも分かるくらい黒い靄が渦を巻いているのが見えた。黒い靄の中には多くの悪霊がいる。
陽光が百鬼夜行と言った理由がよく分かった。だけどこれは。
「……私が放った狼煙じゃない」
「消すことは?」
「呪いは人間様の得意分野でしょう。あなたもいるから……出来なくもないけどここからじゃあ結界があるから無理よ」
それだけじゃない。呪力を吸収しても私の中で打ち消すことが出来ないので吐き出す必要があるのだ。
だけど私はあの瘴気を撒き散らしたという冤罪をかけられている罪人だ。どうせ都には入れないから大丈夫――。
「今式神を送って入れるか確認する」
「は?私入れないんじゃ」
「なんでだよ。都の外じゃ処罰が下せないだろ」
「じゃあなんでここで立ち往生してるのよ」
彼は全く川を渡ろうとしない。まさか濡れるのが嫌なのだろうか。
「俺がダメだから」
「どういうこと」
烏帽子からはみ出た前髪が風で揺れる。
「生憎やんごとなき家の生まれでもこの見た目なんでね。幼い頃から寺で育った。家も都の外にある」
田舎でもよそ者は嫌煙されがちだ。彼も似たような境遇なのだろうか。
でも彼の口ぶりから私を探しに来たのは都から依頼されたからのようだ。嫌われているのに仕事を任される位の実力があるということだろうか。
それとも体のいい厄介払いだろうか。どちらにせよあまりいい気分じゃない。
「……難儀ね。こんなとこから離れて生きればいいのに」
「出来たら良かったんだが、生憎出来ない事情もあるからな」
しばらくすると一枚の式神が飛んできた。
「晴明殿」
『ご苦労さま。まさか原因の屋敷にこんな黒狐がいたなんてね』
「紙が喋った!?」
「うるさい……」
『おや、式神を見るのは初めてかい?見たところただの半妖では無さそうだね』
人型は私達の周囲をぐるぐると回ってふむふむと考える素振りをしてみせる。
形代紙の式神はお婆から使い方を教えてもらったから見るのは初めてじゃないけど、意思疎通が出来る式神は初めて見る。
だけど陽光は驚くことなく式神に向かって問うた。
「此奴が件の元凶なのでは?」
『何を言ってるんだ。まさか検非違使の者の言葉に唆されたか?』
私の免罪が証明できた。味方は意外なところにいたものだ。
「ほら!」
「……」
そっぽ向かれた。自分が恥をかいたと思ったのだろう。だから何度も言ったのに。
『とはいえ。お前も妖を誘った罰は受けてもらうよ。なに、お前を祓う事はしない。責任を負わせるのは主にした陽光だ』
式神からの声に私の耳を疑った。「勅なれば謹んで罰を受けましょう」と答える陽光にも。
「陽光に罰を下すのは筋違いでしょう!?」
「お前」
『おや、もうそこまで仲良くなったのかい?』
この紙が言ってることは知らない。でもこれは許せなかった。
「違うわ。でも私が望んでやった事だし彼とは契約を結ぶ前だもの。だから陽光を罰するのはおかしい」
『確かに一考の余地があるね。でも生憎アレを陽光のせいだと言う輩が多い』
「ハァ?もがっ!?」
今とんでもない事実を言われたのに、私の口を陽光が後ろから塞ぐ。この男は濡れ衣を着せられることを自覚していないのだろうか。
「落ち着け。それで晴明殿。その罰の内容は?帝から何か勅が来たから伝えてくださったのでしょう?」
『正式に下されるのは明日だけど、帝は私と話をした結果、君に七日間の物忌みを命じると決めた。今回君は約束を破ったし。本来なら穢れを避ける為に行うけど、今回は封じる目的だね』
約束とはなんだろう。
物忌みは私もお婆から学んだ。穢れから避ける為に人と会わず部屋に引きこもるのだ。呪いや穢れを受けやすい人間も面倒だなと思う。
その間肉を食べてはいけないとか色々決まりはあるけど、何も出来ないのは暇で気が狂いそうだ。
「……朱雀の前に立つな、ですか」
『今宵は有明の君が来る日だったろう。働かせ過ぎだと彼からもきつく言われてしまってねぇ。流石の帝も反省しておられた』
「余計な事を……」
暗闇でもわかるくらい彼の顔色が悪い。
つまり体のいい休暇らしい。なるほど本音と建前というやつか。
『そこの狐。お前もこれで理解出来たかな』
「分かりました。穢れを避けるためなら仕方ありませんね」
「白々しい……」
「あなたに言われたくないわよ」
紙が『喧嘩はやめなさい』と咎める。
『その前に祓って欲しい。朝まで待てば悪霊も消えるかもしれないが、神祇官府には浄化の準備をさせているから待たせるわけにはいくまい』
「御意」
彼にとっては休暇前の一仕事だ。新しい主のお手並み拝見としよう。
『陽光はそこの狐を従わせなさい』
「私!?」
まだ本調子ではないのだけれど!
「晴明殿それは……」
『出来ないとは言わせないよ。君への罰で有耶無耶にさせたいところだけど、彼女にも表向きの罰は受けさせないと。見たところ契約時に陽光の力をごっそり貰ったんだろう』
それに陽光も否定しない。結局私が祓うことになった。
式神の案内で私達は都の隅を走らせる。
「晴明殿、このまま向かうのは」
『中には入らないよ』
「ですがこの娘をそのままにする訳にはいきません。祓う様子を帝に見せるのでしょう」
私の恰好がみすぼらしいから帝に見せるわけにはいかないと言いたいのだろうか。
見られるのは良いが面倒だ。お婆からも教えられたことがあるけど本当だった。
『……陛下は気にしないと仰られる。誤魔化す訳にはいくまい』
この国の王とはいうけど、帝とは一体何者なのだろう。陽光は「こんな夜更けにわざわざ……」と手綱を握っていなければ頭を抱えそうな表情をしていた。もしかして顔見知りだろうか。
『ここで良いだろう。開かれてるからよく見える』
辻の真ん中で止まる。左手には大きな寺院が立っていた。陽光曰く朱雀院らしい。
「礼羅、本当にできるんだよな」
後ろから怪訝な目でこちらを見ている気配を感じる。
「私を見くびらないで。でも吸い込んだ後体内で中和させないといけないんだけど、それは手伝って欲しいの」
「何をするんだ」
「吸い取った霊力や呪力をあなたと私の間で循環する。力を巡らせることで打ち消すの。時間も負担もかかるけど……二日あれば」
本当は一晩で済ますこともできるけどそのために抱かれるつもりはない。手を繋ぐ程度なら相手も許してくれるだろう。
「それは道教の術か?」
「えぇ。四六時中出なくていいから手を繋いで欲しい。私たちなら今更でしょう?」
「……確かに、今更だな」
今も馬にも相乗りしてるくらいだ。手を繋ぐくらいどうてことない。その会話を式神が黙って聞いていたのは気にしないでおく。
陽光の手によって馬から降り、私は辻の真ん中に立って両手を握っては離すを繰り返す。
空には月が隠れるほどの瘴気が溢れている。私は耐性があるけど陽光も平気なのだろうか。
「俺のことは気にするな。存分にやってくれ」
ちらりと見ればそんなことを言うので気にせず思い切り行うことにする。
ゆっくりと手を合わせ、その場でお婆直伝の経を諳んじた。
「『反者道之動、弱者道之用。天下萬物生於有、有生於無』」
吸い寄せられる瘴気を口に吸いこむ。気の流れを意識して吸い込んだ瘴気をひたすら体内で循環させて無に還す。体内で溜め込むだけでは私の身が持たないからだ。
すると徐々に自分の体内で道が出来るので、意識しなくてもその道に沿って吸い込んだ瘴気が流れる。
多少の余裕が出来た頃、傍目に陽光を見れば彼が自分の周囲の悪霊を祓う様子が見えた。彼の術は西洋の悪魔祓いだけでは無かったのか。
体温が上がり汗が噴き出てくるのを感じる。意識が持っていかれそうになる。だけどここで気を失ったら全ての瘴気を吸い取ると豪語したのに嘘を吐くことになる。
「そこまで」
「!?」
やめの言葉に張り詰めた糸が切れて、力が抜けた。
「礼羅!」
「はる……」
流石に無理をし過ぎた。元々魔力や妖力で強化して平然と保っていたのだから無理もない。
だから陽光の後ろからやってきた男に気付くことも無かったし、その男の口から紡がれる祝詞を聞き取ることはできなかった。
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