1-2.礼羅


 赤い狩衣に白衣。格好から先程追いかけ回していた検非違使だと思った。それに私とそう変わらない年齢でもそのたたずまいは只者に見えない。

 だけと髪が銀髪で、瞳も血のように赤いから一瞬自分の同胞、同類かと思ったけれどこの目付きは完全に私の敵だ。


「け、検非違使の者がわたくしに何の用で?」


 後退りつつも私は彼を睨み付ける。背中は木の幹で既に逃げ場もないので虚勢だ。


「そんな分かりきったこと聞くな。お前は魔物で俺は術師だ」


 冷酷な目でこちらを見つめてくる。検非違使かと思ったら陰陽師だった。お婆が前に陰陽寮の長には妖狐の血が流れていると言っていたけど本当だろうか。

 私は手に胸を当てる。動悸がうるさかった。寒いのに汗が流れる。首元にも髪が張り付いていて気持ち悪い。

 なんでこの私が汗をかいているんだろう、心臓があるんだろう、その理由は分かり切っているけどここまで私が人間であることを自覚できている状況が不思議と面白く感じているのだ。


「ちなみに俺に色仕掛けは効かない」


 出来ないしこの冷血漢なら絶対に効かないだろう。もう一巻の終わりだ。

 だけど私の腹はこんな状況でも空気を読むことは無く、大きく、ぐぅと音を鳴らせた。


「は……?」

「……」


 バツが悪くて咄嗟に顔を逸らすけど、また私のお腹が鳴るから逃げ出したくなる衝動で動き出した。けど男は簡単に私の左腕を掴み上げて引き留めた。


「いやいやいやいや待て待て待て!?」

「こんな恥ずかしい状況で居られると思っていて!?」

「お前どんな状況か分かってる!?」

「分かってるから尚更逃げたいんじゃないのよ!腹の虫鳴らせたんだから!!」


 いたたまれなくて右手の袖で自分の顔を隠す。

 元は食事すらまともにくれないケチな家主が悪いのだ。術師から同情と呆れが混ざった視線を向けられていることにも少女は気付いていなかった。


「……つまりお前の望みは魔力と食べ物か?」

「くれるの!?」


 瞬時に顔を上げればニヤリと口角を上げた術師の冷ややかな笑みに私は隙を見せてしまったことを後悔する。


「きゃっ!?」


 ぱしゃりと水をかけられ、そこからじわりと自分の肌から魔力やら妖力やらが持っていかれる。かけられた水は潔斎の水か。

 ただでさえ足りないのにこれ以上から吸い取られてしまえば立てなくなる。


「主よ、憐れみたまえ」

「……っ!?」

「汝の名を示せ」


 術師は銀に輝く十字架を目の前に向けた。西の悪魔祓いのお作法だ。十字架の意味が何なのかは知らない。だけどその十字架がたまらなく恐ろしかった。

 私は必死に口を噛み締めるけど相手は再度私に名前を問いかける。

 私は手を滑らせ木の枝から術者ごと落ちた。一瞬抱き込められたと思ったらこちらを組み敷いている。


「った……離して!」

「主よ、この者の業を赦し憐れみたまえ!」


 さっさと殺せばいいのにしつこい執念だ。


「主の名のもとに問う。汝の名を示せ」


 私が名乗るまでずっと繰り返し詠唱をするのだろう。

 耐えられなくなった私は思うままに自分の名前を告げた。


「ら、礼羅ライラ……」


 すると彼の狩衣の隙間から触れてもないのに一枚の形代紙がするりと出て来た。式神で使われる形代だ。

 空中で静止するとぼんやりと『礼羅』と文字が浮き出てくる。

 男が紙を取っては「レイラじゃなくてライラね」と術者は私の名前を反芻する。いみなを抜き取られてしまった。

 今度は小刀に持ち変えるとそれで己の親指を切る。紙に血判すると今度はその親指を私の口に突っ込んだ。


「んぐっ!?」

「俺は陽光はるみつ。礼羅、これでお前は俺の使い魔になった。魔力もこれで不足することはないだろ」

「んあ……ら、あえ……」


 口の中を嬲られ、じわじわと鉄錆の味が口の中に広がり溜まった唾液でむせそうになる。

 血液の混じった唾液を飲み込むとようやく私の口は解放された。


「……アンタ容赦ないわね」


 口元を袖で拭っていると、首輪につながれたような感覚を覚え、それと同時に魔力が流れ込んでくる。

 これが契約した恩恵かと感動にも似た感情が湧いてくる。だけど向こうは顔をしかめた。


「ったく、ごっそり持っていきやがって……お前のせいで連日徹夜続きだったのに……」

「はぁ?私のせいだって言うの!?」


 彼が多忙なのは私のせいではない。


「お前が流した瘴気のせいで都に悪鬼が増えたんだぞ。もはや百鬼夜行だ」


 その瘴気に心当たりがあった。お婆に見つけてもらうために放った狼煙だ。

 だけどあれを瘴気扱いされるのは気に食わない。


「私が呼んだのは妖だけよ」

「そうだったとしても、都は人も多いし色んな思惑がある。それから発生された呪力が混ざったんだろ。お前は狼煙っていうけど陰陽寮の結界内にいない限り都の外から見つけることはほぼ不可能だぞ」

「なんですって!?」


 でもよく考えてみれば陰陽寮の術師が天子とも呼ばれる帝の御座おわす土地で結界を張らないなんてありえない。考えられなかった私も馬鹿だ。

 とはいえ他の呪力が混じったとはいえどうして結界があるにも関わらず悪霊が入り込んだのだろう。

 考え込んでいると陽光が懐から懐紙に包まれたものを取り出して差し出してくる。煎餅だった。


「よく噛めよ。腹壊すぞ」

「子供扱いしないで」


 とはいえ主からの施しだ。ありがたく受け取る。都に来てからまともな食べ物をくれなかったのだ。こぼさず味わって食べなければ。

 そして彼も同様に懐から新たに包みを取り出して食べ始めた。煎餅になる生地を油で揚げただ。じっと見ていたら彼はすぐに懐に戻した。

 煎餅だって食べきれていないのに私はそこまで強欲ではない。この主は細い見た目に反して食いしん坊なのではないだろうか。


「食べたら行くぞ。従わないなら飯抜きな」

「し、仕方ないわね。行けばいいんでしょう?行けば」


 煎餅三枚でも腹は膨れた。身体は本調子じゃないけど魔力は主である彼がたくさん持っている。

 命令した癖に陽光は痛ましそうな顔を向けてくるけどそれを言うなら魔力を寄こせ。


 私を探していた検非違使たちがやってきて戸惑った様子だったけれど、陽光が私を式神にしたと公言したことによって、私がこの場で祓われるのは保留となった。

 ついでに私が働いていた屋敷の主人のことをチクってまだ治り切っていなかった傷を見せれば痛ましそうな顔を見せる。

 これで同情点を稼ぐことができたのではないだろうか。陽光からは「見苦しい」と言われてしまったけれど。


 検非違使たちを見送った後、陽光は私に問いかけてきた。


「礼羅、あの言葉遣いどこで覚えた」

「育ての親よ。後はさっきまでいた屋敷のお貴族様達の口調を聞いて」


 仙狐は修行中の狐のことを指し性格は兎も角とても勤勉だ。その時代に合わせて礼儀作法や言葉遣いに流行を知るのもある種の嗜みなのだ。


「あ、そう……」


 突然興味無さそうな顔をした。


 私の育ての親……お婆が祓える者がいるのならそれはきっと陰陽寮の長だ。

 強者に負けるのがこの世の理なら私は敵討ちをするつもりはない。情がないわけではないけれど元々あのお婆とはいつか別れが来ることが決まっていた。

 それに結界が壊れても軽くヘマしただけでどこかで生きている可能性もある。なんせお婆は四尾の狐なのだから。

 私が生きていればどこかでひょっこりと私の前に現れて「まだ生きてたの?」なんていうかもしれない。


「貴方も、なんで悪魔祓いの術を知ってるの?それにこの力も」


 魔力も妖力も呪力も似て非なる力だ。だけど彼の魔力がここまで多いのはおかしい。この量はまるで――。


「話は後だ。行くぞ」

「あ、はぐらかした!」


 陽光は立ち上がると彼の腰からぶら下がる十字架が視界に入る。

 私も欧州の信仰のことは分からないけど髪や瞳の色が薄い者は大陸へ西に行けば行くほど沢山いるらしい。彼の銀髪もその国の者由来なら悪魔祓いの術を知っていてもおかしくない。


 それにもしかしたら私の実父に会える術も見つかるかもしれないし。

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