第16話 引けば崩れる道

「ええ、もちろん」

 

 頷く彼女の顔は、依然晴れない。


「あの人が知ったら怒るでしょうけどね。職場に迷惑が掛かることをずいぶん嫌っていたから。私もね、最後まで悩んだのよ。でも、背に腹は代えられないじゃない」


 姿を消した夫の銀二郎に聞かせるべく、彼女は言い訳めいた言葉を並べた。安否を確認する為の不名誉なら甘んじて受けるという、決意表明だったのかもしれない。


 土村はパンと手を重ね合わせ、

「警察に任せたのならひと安心ですよね。きっとすぐに見つけてもらえると思います」

 殊更明るく振る舞おうと努めていたが、寺本巴は首をゆっくりと横に揺らした。


「あまり芳しくはなかったんですね?」


「ええ、そうなの。記者さんの言う通り。心配いらないって言われたわ。あの人の事だからまた捜査にでも出ているんじゃないかって、まともに取りあってもらえなくて」


 信頼は、信用を積み重ねた証といえる。


 自らも名乗るほどの名高い刑事ならば、築き上げた信用もまた格別な物となる。少々の厄介事は自らの力で解決するだろうという、安堵感ゆえの判断を下されたか。


 だがそれは夫の職場での姿を知らない妻にとって、信頼するには値しない対応だ。


「あの人の古くからの知り合いにも尋ねてみたけれど、その内に戻るだろうからって、まるで取り付く島もなくってね。でも私、心配で、心配で。いたたまれなくなって」


 両の手で顔を覆っては、肩を震わせる。 


「なるほど。それで私に連絡を?」


「ええ。記者さんならきっとお顔も広いのでしょう。お願いします。力になって頂戴。もう、他に頼れる人が私にはいないのよ」


 白く染まる毛髪が深々と下がっていく。ひと回りも、ふた回りも上の世代が見せる真摯で懸命な姿に、思わず虚をつかれた。


 恐らく彼女はこれまで味方だったはずの警察関係者の協力が思うように得られず、切羽詰まってしまったのだろう。二度三度、取材と称し、すこし懇意にした程度の俺にまでお鉢が回ってくる位に取り乱している。


 なら俺のするべき返答は一つしかない。


「私に出来ることなら、協力しますよ」


 そう言いながら手を差し伸べた。


 これは願ってもいない幸運が舞い込んだ。半ばチャンスだと内心ほくそ笑んでおく。寺本銀二郎に近付く口実が出来たばかりか、全面的な協力が約束されたも同然だ。ここでしっかりと恩を売っておけたなら、独占取材も夢じゃない。


 老刑事の安否が気にならない訳ではないが、ひいては奥に潜む殺人アイドルvtuberの真相、隠されているだろう秘密の情報を世に知らしめる為の鍵となってくれるはず。


「ありがとう。お願いしますね」


 手を握り、再び深々と下げようとする頭をあげるようにと促す。ややもすると泣き出しそうだった彼女を支えるよう、土村へ目くばせをして合図を送ったら、そっと身を寄せて背中に手を回し励まし始める。


 中々に勘が鋭いようで何よりだった。


「でも友江さん。一体どうするんですか」


 背中を擦りながら訊いてくる。寺本巴も不安気な眼差しをこちらへと向けた。彼女の手前、滅多なことは言えそうにもない。ちょっと待て、と顎に手を当て思案する。


 故意か、事件か。寺本銀二郎は消えた。警察がまともに取り合わない所を見るに、事件性はないと取っても構わないだろうか。事故ということもあるが未だ連絡はない。


 ならば、前者だろうか。


 姿をくらました男の行方を探るのは至難の業だ。ましてや相手は、手練れの刑事。潜伏先、もしくはその方法を熟知している事だろう。警察や探偵にすこしツテもあるが、それが通用する相手なのかどうか正直出たとこ勝負になるといった所だった。


 だが俺は、

「大丈夫だ、アテはある」

 と精々胸を張り、虚勢を張ってみせる。


 相手に手を引かせない為、今はただ前に進むしかないのだと自らに言い聞かせる。

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