第8話 教育者たるもの

 摩訶不思議な一連の騒動を追いたくば、新人である土村法子に報道のイロハを手解きしろと雇い主の威光が振りかざされる。望んだ景色でこそなかったものの畑違いではあるまいとし、自らを慰める他はない。


 とんでもない条件を出されたものだと、内心ぼやきながら編集部を後にした。歩を緩めず進めていると背後から声が掛かる。


「待って、友江さん。待って下さい」

 

 威勢が良い、張りのある声に振り返る。


 その声とはチグハグに、土村はヨタヨタとした足取りで小走りになって追いつく。大きな鞄を小脇に挟み込み、両手でひっしと押さえながらカツリと音を立てて迫る。わざわざ自席に戻って取ってきたらしい。


「何だ、その大荷物は」


「はい。取材に必要かと思いまして」


 いったい何をそんなに持ってきたのかと視線で探っていると、得意気に説明しだす。ノートパソコン、カメラ、レコーダー類はまだわかりもするが、化粧ポーチ、弁当、着替え、常備薬はいるのだろうか。あれよあれよと、鞄から荷物が出てくる出てくる。非常食のおやつまであるのだから驚きだ。


「あ、充電器を忘れました」


 その上、まだ忘れ物があると言う。土村は照れ隠しに髪を撫で、取りに戻ろうかなと真剣に悩んでいる。頭が痛くなってきた。眉間を揉みしだきながらで言ってやる。


「遠足にでも行くつもりなのか?」


 その言葉が癇に障ったのか。口が歪む。


「しょうがないじゃないですか。なにも教えてくれずに先に行っちゃうんですから」


 俺は肩を竦めて見せ、機嫌を損ねた期待のホープに軽く牽制を入れることにした。何事もそうだ。始めの教育こそが物を言うのは、どの業界でも同じことだと言える。ため息交じりに、つぐみかけた口を開く。


「何だ。懇切丁寧に、手取り足取り教えて貰えるとでも思っていたのか?」


「だって、教育係じゃないですか」


 不服が鋭く口を尖らせていく様を見て、ハッハと笑い飛ばしながら手で振り払う。


「よせよせ、俺にそんな期待をするなよ。勘弁して欲しいもんだ。そういうのはな、もっとまともな者同士でやるもんだ」


 え、と言う視線には失望が宿り、やがては怒気を孕んでからゆっくり滲み始める。


「どういう意味ですか」


「良いかい、お嬢さん。俺は一から十までを説明する気なんて最初からない。ついてきたきゃ来ればいいし、覚えたきゃ勝手に覚えることだな。俺は君の上司じゃない、ただのフリーのジャーナリストなんだよ」


 土村は大きく目を開き、白黒とさせた。


「伯父さんも、友江さんも、このご時世に何なんですかもう。時代に即してませんよ。仕事を教えないのなんてパワハラですし、お嬢さんだなんて、私を馬鹿にしています。それも立派なセクハラになりますよ」


 力強く言い切られポリポリと頬を掻く。


 最近の若者はというつもりは毛頭ない。懇切丁寧に、手取り足取り手塩にかけて育てたはずの若者が数ヶ月と保たず辞める。その時のおじさんの気持ちをないがしろにしてはいないか、とは思う所だが。


 育てば儲け物だと投げやりになる気持ちならよく分かる。じっくりと育てる手間も暇もないのが、現代社会の実態だった。


 それを差し引いたとしても──。


「言ったろう、俺は部外者だ。それに、君のそれは人に物を教わる態度じゃあないな。教わらないと分からない。報道を心指す者が、それくらい聞き出せなくてどうする」


 苦虫を噛み潰したような顔をしている。すこし意地悪が過ぎたかとも思うが、これもまた必要悪。部外者である俺の役目なのだと心得ておく。恨むか、嫌うか、どっちだろうなと予想しながら車へと向かった。


「さあ、寺本巴に会いに行くぞ」


 黙りこくり大人しくついてきていた土村が、助手席に乗り込むなりそろりと呟く。


「友江さん、怒ってますよね?」

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