僕らはただ、夜風に泣く。
霜月コトハ
第1話 徘徊少年
時計を見ると、午前2時だった。
この時間帯を「深夜」と呼称するか「早朝」とするかの見解は人それぞれであるが、ここでは「深夜」と呼ぶことにしておこう。
僕は夜という時間を好いている。
夜ならば、他人の目を恐れ、自らを覆い隠す、という無駄な行為をする必要はないからだ。
この鬱屈とした現代社会に生きること、それ即ち「自らを偽ること」であると、この僕—
この夜の中では、行くも帰るも皆自由。お天道様に中指を立て、飲んだくれて明日をドブに捨てたとて、結局は夜の帷が全てを正当化してくれる。
しかし一歩昼の世界に立ち入れば、やれ「多様性」だの「個性を尊重」だのと、歯の浮くように甘美な空理空論を並べ、挙句は「個性がない」ことを「悪」とする。その癖社会に出れば「普通」を要求するとはなんたる矛盾、なんたる無情!結局何がしたいんだ。
よって「個性」なんてものは生きる上では必要ない。お天道様の見守る中、相手1人ひとりに合わせてパーソナライズされた自分を演じ切ることこそが、世の中で要求されるスキルなのだ。
あぁ、なんとまぁくだらない。そんな世の中に希望もクソもないだろう。
「個性」という至極厄介な怪物への対処には、全ての社会人が難儀していることであろう。心中お察しするが、僕とてそれは同じこと。同情したとて、その人に対して出来ることはないし、することもない。
残念だが、名も知らぬ通行人A、B、Cに分け与えられるほど、僕は慰めの言葉と言う名の心の傘を持ってはいないのだから。
くだらないことを考えている場合ではない。こうしている間にも夜は更け、いつもと変わらぬオールドタイプな朝が来るばかりである。僕は財布とスマートフォンを外套のポケットへ無造作に突っ込み、そっと玄関へ向かった。
家族は皆寝ているらしく、家は沈黙の只中にあった。鍵はいつものごとく閉められていない。鍵を閉め忘れる癖がいつまでも直らない姉への苛立ちを込めた舌打ちを置き土産に、僕はいつものごとく家を出た。
我が家の周りはお世辞にも都会とは言えず、かといって田舎かと言われればそうでもない、つまりはつまらん地域である。
はんこ作りが盛んだとどこかで聞いたような覚えがあるが、心底どうでもいいのでスルーさせていただくことにする。
そのつまらん通りに住む人間も、通りのつまらなさが染み付いてしまったようで、正直なんとも平凡な奴らばかりである。夜の大通りを闊歩するヤンキーも、ヤンキーのなり損ないのような輩ばかり。某チキンが美味しいコンビニ前で屯しているところを店員のおばさんにあっさり追い払われる姿は小物臭いの一言に尽きる。
街で唯一恐れるに値するヤンキーがこのザマであるため、この街の夜は自他共に認めるヒョロガリ中坊の僕が問題なく歩けるほどの治安の良さを実現しているのであった。
こんな社不のクソガキには他にない、素晴らしい地域だ。先程「つまらん」と言ったのは撤回しよう。
この街の夜景は特段美しいわけではないが、歩いていて退屈するほどでもない。ほとんどの民家の明かりは消えているが、ポツポツと灯る会社のオフィスやコンビニの光が、現代人の忙しなさや悲哀を映し出している。
悲しいかな、やれ「働き方改革」だのなんだのと騒ぐまではいいが、所詮は真面目な日本人。結局仕事からは逃げられず、使い潰され果てるだけ。
あぁ、なんたる悲哀!ミュージカルのように高らかに読み上げてみても、言葉の毒は消えることはない。そもそも僕は舞台役者でもない。つまり、この思考にも言葉にも、何の意味も篭ってはいない。所詮は他人事、僕には知る由もないのだから。
夜は続く。孤独なパレードは終わらぬまま、時刻は午前3時を過ぎた。
行手には自販機、コンビニ、河川敷。隣を歩くは知らぬオッサン。何のことはない、いたって普通の光景である。
おそらく隣のオッサン(ちなみにバーコードハゲである)も僕と同じく夜が好きか、もしかしたらとんでもない悩みを抱えていて、今から死にに行くところかもしれない。まぁ、いずれにせよこのオッサンとも今夜限りだろう。だからと言って、大した感情に浸ることもないのだが。
というかこのオッサン、かなり歩きが遅い。運動不足なのに子供の運動会で保護者リレーに参加させられ、別の父親(櫻◯翔にちょっと似てる)に思い切り抜かされて表情が抜け落ちるほどショックを受けていた僕の父親(伊達み◯おにちょっと似てる)くらい遅い。下手したらそれより全然遅い。もしかしたら、本当に何か悩み事があって、それについてあれこれ思案しながら歩いていr
「お”ぇ”え”ぇ”え”ぇ”え”ぇ”」
(⁉︎)
…焦った。結構焦った。危うくオッサンのマーライオンに巻き込まれるところだった。突然吐瀉物を吐きかけてくるんじゃないよ全く。あんたはアルパカか何かなのか。せめて予備動作くらいはあってもいいだろう。
悩んでいるなら少しくらい同情してやらないこともなかったが、嘔吐による無差別爆撃をかましてきたので此奴はもう無視することにした。
僕が歩くのは基本的には決まったコースであり、時にコースの半ばほどに位置する気のいいマスターがいる喫茶店や、異常なまでにラインナップが入れ替わらない個人経営の書店によって時間を潰すこともある。ただ、一端の中学生に、毎度毎度喫茶店でコーヒーを嗜んで余りあるほどの財力はない。よって、大体は夜の街をてくてくのこのこ歩いておしまいである。暇な奴だと思うかもしれないが、重要なのは「夜」を歩くことであり、そこに発生するコーヒーだの本だのはおまけでしかない。僕はいつもの自販機で買った缶のお汁粉を啜りつつ、いつものようにただ街を歩いた。
そして辿り着いたのは、このルートの折り返し地点である公園。昼間はそれなりに人がおり、滑り台に雲底、ブランコとどこか懐かしい遊具たちが群れを成すこの公園も、夜は等しく鎮めている。
流れてくるファンキーでありながらどこかポップなメロディを数分間聞いてから、僕は残りのお汁粉を景気良く飲み干し、…舌を火傷した。
「あっっっっつつぁ‼︎‼︎あつっ‼︎‼︎」
……お汁粉、冷めてませんでした。
そして公園を出た。火傷に関しては触れない方向で行くことにした。
数歩歩いて、ふと思った。
「…なんだ、あの曲?」
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