貴族の作法なんて知りません

第11話 恋も愛もありません

 馬車に揺られながら、クリスは窓から街の景色を眺めていた。

 普段暮らしているこの街も、馬車の中からだとまた違って見えてくるが、今の彼女にそれを楽しむ余裕はなかった。


「……クリス。おい、クリス!」

「はっ──はいっ!」


 正面に座るヒューゴに名前を呼ばれ、ようやく我に返る。


「そんな調子で大丈夫か? もうすぐ家につくが、くれぐれもボロを出さないように頼むぞ」

「は、はい。がんばります」


 返事はしたものの、未だ不安の方が大きい。

 間も無く、ヒューゴの恋人として、彼の親戚に紹介される。わかっていて引き受けはしたが、それでも緊張せずにはいられない。

 それに、彼女を落ち着かなくさせている理由は、他にもあった。


「あの、隊長。私のこの格好、おかしくありませんか?」


 今のクリスの格好は、少し前まで着ていた地味なワンピースでも昨日までのような、男物の服でもない。いかにも良家のお嬢さんのために作られたという感じの、きらびやかなドレスであった。おまけに、髪はウィッグをつけて盛ってある。


 親族に紹介する以上、それなりの格好をする必要がある。というわけで、ヒューゴの家に行く前に、急遽服屋に寄って揃えたものだ。

 しかしクリスにしてみれば、これがどうにもしっくりこない。


「私、こんな高そうな服なんて着たことないんです。似合ってなかったり、変になったりしていませんか?」


 服そのものは、間違いなく良いのだ。何しろ買った店は、クリスからすれば入ることすらためらうほどの高級店。当然、並べられているドレスはどれも一級品で、まるで子供の頃見た絵本に出てくるお姫様が着ているもののようだと思った。


 しかし見るだけならともかく、それを着るのが自分となると、自分なんかがこれを着てもいいのかと、不安になる。


 せめて少しでも安心させてほしいと、すがるようにヒューゴに意見を求める。しかし、その答えはあまりにも無情だった。


「知らん。俺には女の服の良し悪しなんてわからんし、そもそも考えたこともない」

「そんな……」


 安心どころか、余計不安になるだけだった。


(そこは、嘘でも似合っているって言ってくださいよ! ふりとは言っても、これから恋人を演じることになるんですよね!?)


 そう叫びそうになるが、ぐっと言葉を飲み込む。

 おそらく、彼には何を言っても無駄なのだろう。


「大丈夫だ。そのドレスを選んだのは、服屋の店員、つまり専門家だ。なら大きく外れていることはないだろう」

「ええ、まあ、そうですね……」


 実際、このドレスを選ぶ際、クリスやヒューゴの意見はほぼ取り入れられていない。

 なにしろ二人とも無知なのに加えて、迷っている時間もなかった。ヒューゴは店に入るなり店員を呼び、今すぐこいつに似合うドレスを用意しろとだけ告げ、出されたのがこれだった。

 一応店員は、クリスにいかがですかと尋ねたのだが、それに答えるよりも早く、ヒューゴが、ならばこれでと決定していた。


「俺でも自分でもない。そのドレスを選んだ店員を信じろ」

「そうですね。そうしますよ」


 男性にドレスを、しかもこんな上等のものを贈られる。そこだけを聞けば羨ましがられそうだが、これでは嬉しくもなんともない。


(まあ、別にいいんですけどね。恋人といっても、偽者ですから。むしろ、余計な感情を持つこともなくて好都合。多分……)


 心の中で自分自身に言い聞かせながら、沸き上がる複雑な気持ちを押さえ込む。

 一方ヒューゴは、そんなクリスの思いなどとんと気にせず、唐突に話題を変えてくる。


「そんなことより、もっと考えることはあるだろう。例えば、俺達が恋人になった経緯。何と言ってお前のことを紹介するか。これらを決めることが先決だ」

「そ、そうですね。どのみちもう着替えることができない以上、そっちの方がずっと有意義です」


 正直不安はまだあるが、いくら悩んだところで、どうにかなるわけでもない。

 そもそもクリスの役目は着飾ることではなく、ヒューゴの恋人という嘘を突き通すことだ。


「そもそも気になっていたのですが、私みたいな平民の田舎娘が隊長の恋人役っていうのは、無理があるんじゃないですか? 隊長、貴族ですよね」


 この国では、平民と貴族との間に婚姻の制限は存在しない。

 しかし現実にはそんなことは滅多になく、平民は平民同士、貴族は貴族同士で結婚するというのがほとんどだ。


 たまに例外もあるが、そういうのは大抵、平民側が大棚の商人や有力者、あるいはその親類であった場合だ。当然、クリスはそのどれでもなかった。


「まさか、恋人のふりってだけでなく、どこぞの貴族や有力者のふりまでしろとは言いませんよね?」


 もしそんなことになったら、今すぐ馬車を下りて逃げ出したい。恋人のふりに、そんな設定まで加わったら、いよいよ嘘を突き通すのは不可能だ。


「安心しろ。やれと言っても無理だというのはわかっている。そもそも、細かい設定をいちいち決めるている時間はないからな。お前のこれまでの経歴、故郷や家族、それらは一切嘘をつく必要はない」

「本当ですか?」


 ひとまずその答えにホッとする。とりあえず、今すぐ走っている馬車から下りて逃げ出す、なんてことはしなくてすみそうだ。


「でも、それって大丈夫なんですか? ほとんどそのままの私を恋人として連れて行っても、反対されて終わりってことになりません?」 

「かもな。だが、今からお前をどこぞの良家の娘などと偽ったところで、間違いなくボロが出る。それよりは、ほとんどそのままのお前を恋人と言い張る方がまだ現実的だ」

「まあ、そうなりますかね……」


 なんだか軽く侮辱された気がするが、事実なのだから反論の余地はない。


「それに、想いさえあれば、立場や身分など関係ない。そんな話、本や芝居になら掃いて捨てるほどあるだろ。俺とお前は、立場やしがらみを越えて恋に落ちた。そういう設定でいくぞ」

「一番肝心の、想いも恋もありませんけどね」

「舞台の上の役者だって、本気で相手に惚れてるわけでもないだろ。問題ない」

「私は役者じゃありませんよ」

「俺だってそうだ」


 もっともヒューゴなら、顔だけは二枚目役者と比べてもなんら遜色はないだろう。クリスの方は、まあそれなりだ。


「それくらいの気持ちで挑めということだ。でなければ、すぐに失敗すると思え」

「……わかりました」


 今さらながら、大変なことを引き受けてしまったのだと、改めて実感する。

 しかし、もう後戻りはできない。


 それから、その他の細かな設定を話し合う。そうしている間に、馬車はヒューゴの屋敷へと近づいていった。


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