【完結】女子高生と担任教師の同居にまつわるウミガメのスープ

@amane_ichihashi

残り ■ 日 「ウミガメのスープ、やろうよ」

「先生。しばらくここに置いてください」

先生と呼ばれた男-木村修吾のマンションのドアの前に立っていたのは、黒いTシャツにラフなジーンズをまとった長い黒髪の少女だった。


どこか追い詰められたような雰囲気をまとった少女の突然の言葉に、修吾は数回目を瞬かせただけで身動きができない。

かける言葉も見当たらず、動くこともできない二人をよそに、盛夏を迎えた蝉たちはここぞとばかりに声を張り上げ、マンションのすぐ隣にある私鉄の高架では軽快な音を立てて電車が行き交っている。


ようやくその少女が彼が担任をしている二年三組の相良さがら奏多かなただと思い至ると同時に、修吾の目が大きく見開かれる。


彼女の左頬には痛々しいあざが見て取れた。


「…おまえ、それ…」

修吾は足れ目がちなその目を険しくしてやっと口を開く。

もっとよく確認しようと無造作におろした前髪をかきあげたところで、隣人の部屋のドアがガチャリと鳴る。

修吾はとっさに彼女を玄関に引き入れ扉を閉めた。途端に遠ざかる外の喧騒。


外出するらしき隣人の気配が行き過ぎたことを確認した修吾は静かに部屋の鍵をかける。

そこで初めて彼女との距離感に気づくと、ぎこちなく身を引きながら「…とりあえず…上がるか?」とこぼした。

絶妙なタイミングで扉を開けた隣人に、内心で恨み言を吐きながら。



「お邪魔します。…なんか、散らかってるけどフツーの部屋だね」修吾に促されてリビングに入った奏多が呟く。大物家具はテーブルやテレビなど、必要最低限のものしか置かれていない。…ところどころに脱ぎ捨てられた洋服や積み上げられた書籍などはあるにせよ。

「アラサーの男の一人暮らしなんてこんなもんだろ」

修吾は途中薄く開いていた寝室のドアを閉めながらリビングに入り「そこ座って」と座椅子を指した。

お借りします、と小さくつぶやいて大人しくちょこんと腰掛けた奏多を見て、修吾が首をひねる。


初めて私服を見たからかもしれないが、教室で見る彼女とは幾分雰囲気が違っているように思える。

奏多はクラスの中心とまでは言わないが目立つ方で、イマドキの女子らしく粗野ともいえる話し方で時折人を食ったような態度を見せることすらあった。そのため、修吾は奏多のことをギャルっぽい性格の生徒だと思っていたのだが。


―こいつ、お邪魔しますとか、お借りしますとか言えるのか。…まあ、言えるのか。


そんなことを考えながら、修吾はビニール袋に氷と水を入れて口をきつく結び、そのあたりにあったタオルでくるむと奏多に手渡す。

「ほら」

「…ありがと」

奏多がそれを顔に当てると、コロコロと小さく氷が鳴った。


南向きの大きな窓ではシンプルなレースのカーテンがぎらつく日差しを和らげていたが、彼女の存在にその部屋の薄暗さを嫌った修吾はカーテンを開け放つ。

続いて冷蔵庫から緑茶のペットボトルを取り出して二つのグラスに注ぐと、ローテーブルの上の英語の教材を雑に端に押しやってグラスの一つを奏多の前に置いた。

ありがと、という小さな声を聞きながら、修吾は彼女のはす向かいにあぐらをかいた。


「あのさ。色々聞きたいことはあるんだけど…。まず、お前何で俺の家知ってんの?」

「先生、毎年年賀状くれるじゃん。律儀に。親が今時珍しいって感心して取ってあんの」

「…あー…」

あれかと修吾は頭を抱えた。


修吾が勤める私立高校は都内でも上位の進学校であり、慣れた環境で勉学に専念できるようにとクラス替えさえも廃止していた。

そのような進学校に子供を入れたがる親というのは総じて一癖あることが多い。特に修吾のような若く経験の浅い教師は、親への対応の方に腐心することが多々あった。


そんな親たちからの覚えがめでたくあるよう、苦肉の策で数年前から年賀状を出すようにしていたのだった。

…それがこんな裏目に出ようとは。


「…で。顔、どうしたんだよ」

「あー…ちょっと色々」

「色々あるのは分かってるよ。色々無ければそんなふうにならないだろ」

奏多は良くも悪くも『普通にかわいくて普通に勉強ができる』生徒だった。

派手ではあるし斜に構えている節はあるが危なげな雰囲気はなく、思い出す限り、彼女がトラブルに巻き込まれるような気配はなかったはずだ。


「病院は?」

「…」

「…一緒に行ってやろうか?」

「…いや…ちょっと…」

「なんで」

「色々聞かれたら困るっていうか…」

修吾は困り果てた顔を隠そうとせず窓の外に目を向けた。

窓越しにも感じる太陽の熱に、この目の前の厄介な問題を焼き尽くしてくれないかと願ってしまいたくなる。


「…とりあえず、ちょっと顔見せてみろ」

「ん」

奏多がタオルを外す。彼女の白い頬の中心が赤黒く染まっているのを見て修吾の顔が歪んだ。頬にそっと触れると腫れていて、おそらく明日にはあざはもっと広がるだろうと予想できた。


修吾はため息をついて奏多から離れるとあぐらで座りなおす。

「他に怪我は」

「ない」

「…お前、男に…その…」

「レイプとかじゃない」

「あ…そう。…で、何で親御さんに言えないんだ」

「…」

「おいぃ…」

黙りこくった奏多に修吾は七面倒だと言わんばかりの声をあげる。

奏多は座椅子から下りて土下座した。


「お願いします。顔が治るまでの間ここに置いてください。

この顔、お母さんに見られたくないんです。でも友達にも見られたくないし、ネカフェにも泊まれないし…。先生しか頼れないんです」


切羽詰まった彼女の口調に修吾はまたも頭を抱えた。こんなに生真面目に話す彼女を見た記憶がなかったので、相当焦っているのだろうとは察しがついた。

しかし、女子高生を、その担任の部屋に泊めるなんてことが許されるはずがない。手出しなどしてなくたって淫行を疑われかねない。


しかも、奏多の傷は場合によっては立派な傷害事件だ。警察に通報すべきか。


ちらりと視線を上げて奏多を窺えば、彼女はまだ頭を下げたまま微動だにしない。

「お前、危ないことに巻き込まれたりはしてないだろうな。これからもそういう目にあう可能性があるなら、警察に行ったほうがいい。…一緒に行ってやるから」

「…大丈夫だよ」

「絶対か」

「うん」

修吾は顔を上げた奏多の目の奥を窺った。奏多は腹の中を探られるような目に怯んだようになりながらも、修吾の視線をその縋るような目で受け切った。

その様子に一つ嘆息すると修吾は通報という選択肢をいったん保留にする。


ここまで言うのであれば、変に騒ぎ立てる必要もない。下手に大ごとにして巻き込まれるのはまっぴらだった。


「…親になんて言うつもりだ」

「…友達の家に、泊まるって…」

「誰んちに?」

佐那さなにお願いする」

倉田佐那か。進学校にありがちな校則の緩さを最大限に活用した、金髪にピンクのパーカー姿で授業を受ける姿が修吾の脳内に浮かぶ。


確かに奏多とは仲良くしていてクラスでもしょっちゅう一緒にいたし、何度か一緒に下校している様子を見かけたこともあった。


修吾の視線がちらりとテレビボードに置いてあるカレンダーに向かう。

あのあざの状態を見ると、治るまでに早くて一週間、長くて十日くらいか。その間ほぼ仕事の予定が詰まっていたはずだというのを確認して、長い長い攻防のあとようやく嘆息した。


「…分かった。この家使っていいから。俺がネカフェに泊まる」

「え、…いや流石にそれは申し訳ないっていうか…」

「お前ね、万が一にもお前がこの家にいることがバレた時のこと考えてる?俺をクビにしたいの?」

「そーゆーわけじゃ…」

「まあもともと日中は仕事だし、そんなに困んないから」

「え?!先生って夏休み中仕事あんの?!」

目玉がこぼれ落ちそうなほど目を見開いた彼女が、綺麗に教師共通の地雷を踏み抜いた。


幾度となく聞かされた、まるで『教師は休みが多くていいよね』とでも言いたげなその言葉に修吾は苛立ちを隠さずに言う。


「…お前、教師、なめんなよ」


・・・


「じゃあ、俺ボチボチ出るけど。ちゃんと鍵かけとけよ」

修吾はようやく夕暮れの赤い日差しが差し込みつつある部屋を振り返ると奏多に告げた。


あの後修吾は、財布とスマホしか持っていないという奏多のために歯ブラシなど日用品のいくつかを買いに行ったほか、彼女でも着れそうな服をいくつか見繕ってやった。

その時にあ、下着、と気づいたのだが、同じ事を考えていたらしい奏多は「Amazonの残高がまだケッコーあるから、それで買う」と少し気まずげに告げた。


連絡手段としてLINEは交換したものの、修吾は仕事が終わったら毎日様子見を兼ねて一度帰宅することにした。それまでに必要なものがあれば連絡するように伝えてある。


そんなこんなしているうちに、長いはずの夏の日も終わりを告げようかという時間になっていた。


「うん、いろいろありがとー。あ…先生、これ…」

奏多がリビングを出ようとしていた修吾を呼び止め、ジーンズのポケットから小さい紙切れを取り出して両手で丁寧に修吾に差し出す。


修吾は訝しい表情になり手は出さずにそれを見つめた。

ペコリと犬のような動物が頭を下げており、心ばかりですがと書かれていた。

それがただの紙切れではないことと同時にその中身のアテが付いた修吾は思いっきり顔をしかめて、がしがしと頭をかく。上目に修吾を見ていた奏多の顔がその様子に気圧され床を向いた。


「お前なぁ…」

「あの…でも、迷惑かけてるし」

「お前は、道端で困ってる幼稚園児を見つけて助けたとして、礼貰うのか?あ?」

「…それは」

「そういうことだよ。子供は子供らしくしとけ。早くしまえソレ。その金で参考書でも買えよ」

ごめんなさいと消え入るように言ってポチ袋をジーンズに戻す彼女の姿は一回り小さくなったように見える。

それを見て修吾の眉が下がり、自分の家にもかかわらず居心地の悪そうな顔をして息をついた。


「そういう気づかいができるなら、何があったかちゃんと話してもらいたいんだけど?」

「…」

「相良」

「…先生に、これ以上迷惑はかけないから」

「迷惑なんて話はしてない。何があったかを聞いてる」

「…聞かないで欲しいんだけど」

「お前、担任してる生徒が顔にあざ作って『家に置いてくれ』って言って来てるんだ、心配するだろ」

「……心配?…なんの」

「…あ?」

その吐き捨てるような言い方に心を乱された修吾は目を見開いて素で聞き返す。奏多は下を向いたまま動かない。


ややあって、部屋に無機質で静かな言葉が響く。


「ねえ先生、ウミガメのスープって知ってる?」


「…あ?」

「知ってる?」

奏多は顔を上げると修吾の目を静かな顔で見つめた。


「あの、漂流して遭難した漁師かなんかが、レストランでウミガメのスープを飲んで絶望したって話か?」

「元ネタはね。今は、謎々を『はい』『いいえ』『関係ない、わからない』で答えられる質問だけで解いてくゲーム全体を言ってる」

「…知ってるけど。それが?」

「ウミガメのスープ、やろうよ」

「…おい、意味がわかんねぇ」


いよいよ頭を抱えた修吾を見て、奏多はこれまでの殊勝な態度から、いつも教室で見せているような、どこか人をあざけているようにも見える満面の笑みを浮かべる。

「私から先生に問題を出す。問題は『私の顔のあざはどうしてできたのか』。

質問は一日三つまで。

このあざが消えるまでに答えが分かったら先生の勝ち。

あざが消えるまでに答えが出なかったら私の勝ち」

その生意気な生徒は、絵文字かの如く顔の両側で両手を広げてみせた。


「…俺がその勝負に乗る意味がないだろ」修吾は憎々しげな顔を隠しもせず吐き捨てる。

「乗らないなら…私は何も話せないかなぁ~」

「…お前なあ、自分の立場分かって言ってんのか?俺は今ここで、警察にでもお前の親にでも連絡してもいいんだぞ!」奏多の人を食ったような態度にいい加減に修吾が声を荒げた。

「…したいなら、したらいいと思う」

「…は?」

てっきりやめてくれと懇願してくるかと思った奏多のあっさりとした言い方に修吾は絶句する。


「私は連絡してほしくないと思っているけど、今、先生に話せることは何もないから、先生がそれを選ぶなら私は止められない。いっぱい迷惑かけてるし」


真顔になった奏多はいつもの乱雑な話し方とは打って変わって一語一語確かめながら、しかしその一つ一つを無機質に発音した。


見たことがない奏多の様子に修吾は続く言葉を見つけられないまま彼女を見た。とたん、先ほどまでの奏多に戻った彼女が楽しいじゃん?と首を傾げる。


「先生は知りたい、私は言いたくない。だからゲームにしちゃお。

まあ、一連のこと全部当てるのは無理だと思うから、ちょっとくらい手加減してあげるし。

負けた方は勝った方の言うことを何でも聞くってことでどう?」

ねえ、早速質問してみたら?と奏多が更に笑顔を深めて修吾の顔を覗くようにした。


さっきの奏多の様子と今のはしゃぐ奏多の様子のギャップに思考停止した修吾の口がとまどいながらも開く。

「それ…事故にでもあったか」

「いいえ」

「じゃあやっぱり殴られたのか」

「はい」

「今日?」

「はい。じゃあ、今日はここまでってことで」


また明日もよろしくね、と奏多は付け加える。まんまと彼女のペースに乗せられた修吾はまたも苦々しい顔をした。

「…戸締りしろよ、あと、顔ちゃんと冷やせ。じゃあな」




△▽△あとがき▽△▽

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