第2話
「一義君。今日のクラブ体験、何を選んだの?」
彼女が言うクラブ体験とは、小学校で行っている、中学に入学する前のお試しのクラブ体験である。
帰宅途中に彼女はこうして僕に質問する。
同じ教室で授業を受けているのに、僕たちはお互いのことをまるで知らない。
多分、他の生徒は彼女の事をもっと知らないだろう。本当は高飛車で、人を揶揄うことが好きな悪趣味な人間であることも。大らかに笑ったり、不機嫌そうに可愛らしく悪態をつくところも。
僕は秋の風に肌を触られて、寒気に身を震わせた。
この時期、夕方からもう寒さが襲ってくる。見上げれば、薄っすらと月が出ていて、もうすぐ夜へと誘われる。夜になれば気温はもっと下がり、季節が夜を早く呼び込む。
寒さに晒されながら小さい影が二つ伸びていた。一つの影が微かに揺れて、前の影を追いかける。
彼女は寒さなど毛ほども感じていないのか楽しそうに歩道の白線の上を歩く。
彼女の小さな背中に僕は話しかける。
「そういう君はどこにしたの?」
「私はバスケ部とテニス部と、吹奏楽部かな……。なんか色んなところを見てみたいのよね。………どうせ中学に上がってもピアノの練習があるから部活は出来ないだろうけれど」
そう言うと、彼女の長い睫毛はお辞儀した。
何にでも好奇心旺盛な彼女らしい意見に、部活など全くやりたくないと思っている僕はどう声をかけたらいいか分からなかった。
「そっか………。僕は文学部と将棋部を選んだ。特に楽しくもなかったよ」
「将棋部?………なんか一義君らしいね」
「なんだ、それ?バカにしてる?」
「してない。してない」
彼女はそう言ってケタケタと笑いながら、カバンから出したタケノコ型の小さいチョコレート菓子を一つ掴むと、口に入れた。
「バスケ部とかどうだった?楽しめた?」
「ちょっと待って。今、チョコを溶かして、ただのクラッカーにする作業をしてるから」
「なんだ、それ?」
彼女は帰宅途中に買い食いをよくする。
それは、家で菓子を食べることを制限されているからだと言っていた。
僕は彼女の両親を見たことがないが、相当厳しい家庭だということは僕にも分かる。彼女の生活を見ていれば、ほとんどの時間をピアノの練習に充てている。
こうして音楽室での練習を終えた後も夜までピアノの練習があるそうだ。
そんな彼女の小休止が放課後の自主練だったり、僕との談笑であればいいなと思った。ちょっとでも彼女の負担が減ればいい。それをあえて口には出さないが。
その時、彼女の携帯が鳴った。
聞こえてきた着メロは、流行りのJPOPの曲だった。僕が不思議そうな顔で彼女を見ると、彼女もこちらを見て、苦笑する。
「ああ。これ?……なんか最近、学校で流行っているらしくて………だから、私も別に好きでもないけど、この曲を登録しているの」
何故か、その答えに違和感を覚えた。
周りに流されるなんて、彼女らしくない動機であったからだろうか。天真爛漫、利己主義なところが彼女の美徳であると僕が勝手に思っていたからだろうか。
「なんかピアノをやっている人は着メロもクラシックとかだと思ってた」
「なにそれ?………あ。でも由香ちゃんも同じこと言っていた」
「誰だよ?由香ちゃん」
「君の隣の席の女の子だよ」
「へぇ~。そう」
「へぇ~って。由香ちゃん。良い子だよ。………まぁ、クラスの流行りは知っておいて損はないんだよ」
彼女はそう自分に言い聞かすように言う。そして、携帯を見て、何やらニヤニヤと破顔しながら、僕の顔を見る。そして不意に問いかけてくる。
「一義君。キノコ類食べれないの?」
「は?何の話?」
「セロリも嫌いなんだね。あ、でもほうれん草は好きと。変なの。普通、そういう子はほうれん草も食べれないでしょ。ポ〇イ?ポ〇イなの?」
「だから………なんなんだ?」
「いや、都子さんがそう言っているから」
「都子さん?だれ?」
「貴方のお母さん。都子さん」
確かに母の名前は都子であった。父は貞治。
僕は何故か無性に恥ずかしくなり、彼女を問い詰める。
「おい!待て!何故、そこで母の名前が出てくる!?」
「仲良しなんだ!」
そう言うと彼女は小悪魔的な表情で、こちらに自身の携帯を見せる。画面には僕の母と彼女とのメールのやり取りが映し出されていた。
「おい!やめろ!うちの母と連絡を取るな!」
僕の叫びは虚しく、秋の茜空に消えていった。彼女は笑いながら、携帯を振り回して、僕から逃げていく。僕は笑いながら彼女を追って走り出す。
そうして、一瞬、勢いよく走り出した彼女の服の裾が引っ張られて、腕が露わになると、僕は立ち止まった。
「どうしたのー!?」
彼女も立ち止まり、僕を呼ぶ。僕は何も言わずにまた彼女を追いかけた。
いつしか寒さは気にならなくなり、彼女を追っているうちに上気し熱を持った頬と、口から出る息が白くなっていることに気が付く。
夕焼けの空の下、小さな影が二つ、付かず離れず走っていく。秋の虫の声も、車の排気音も、町の喧騒も聞こえない。
ただ、彼女と僕の笑い声だけが町にあるようだった。
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