第14話 ストリートファイター(2)
「──もしもし」
ナデシコの身に、何が起きたのか──。
不安の二文字を頭に浮かべながら、俺は電話を取る。
すると──。
「スザクさん!スザクさんですか!わたくしです!エヴァです!うわーん!良かったー!無事だったー!」
明るい、聞き慣れた声に度肝を抜かれた。
何故、
何故、横浜エヴァンジェリンが、ナデシコの電話に出てくるのか。
「エヴァ……なのか?」
動転して、分かりきった質問を電話の向こうに投げ掛けてしまう。
「はい!エヴァです!」
「そっかあ……エヴァなのかあ……」
「はい!エヴァです!」
「そっかあ……エヴァなのかあ……」
いかん、あまりに驚き過ぎて会話が無限ループしそうになっている。
そう思っていた矢先に、エヴァの方から切り出してきた。
「酷いですよスザクさん!わたくしを置いてナデシコと二人で怪人街だなんて!……って、ちょ、ナデシコ!電話を奪わないで……ええい手を離してっメイドの分際でーっ……」
電話口の向こうで、どったんばったんと激しい物音がする。
──ぶつかる音や何かが床に落ちる音などから察するに、おそらくは、携帯を奪い合っているのだろう。
俺は、タクシーの窓越しに、外のビルを眺めながら騒ぎが収まるのを待った。
「……ハァ、ハァ。もしもし。ナデシコです」
少しして、電話に出たのはナデシコだった。
やや息が荒い様子からは、エヴァとの争奪戦の激しさを察せられる。
「ナデシコ」
「……はい」
「聞いていないぞ。なぜエヴァがきみと一緒にいるんだ。エヴァは津田沼の屋敷に置いてきたんじゃなかったのか」
電話越しに、ナデシコが息を呑む音が聞こえた。
「……申し訳ございません。こちらもそのつもりで準備を進めていたのですが、どうやってかエヴァ様はスザク様の動向を知られたようで、せがまれてしまい、仕方無く」
「仕方無くじゃないだろ?エヴァの体調の事も少しは考えてくれ。……というか、まさかきみ、もしもエヴァが電話に乱入しなくて、俺が追求しなかったら、黙っているつもりだったのか?彼女の事を」
「…………」
俺の問いに、ナデシコは答えなかった。
ナデシコは日頃から言葉少ない女性ではあるが、必要な時には、決して言葉を尽くす事を躊躇しない気質である。
そんな彼女が沈黙する事を選んだという事は、それだけの理由がある時だけだ。
ナデシコは本当に、俺に対してエヴァの事を隠し通すつもりだったのだ。
「……ナデシコにも、言い分はあります」
沈黙を打ち切り、ナデシコが重い口を開く。
「あくまでナデシコは生まれた時から、横浜家に仕えるメイドであります。スザク様は現在、エヴァ様と…………結婚を前提とした交際中であり、未来の横浜家当主様である。そう理解しております」
ですが、とナデシコは一息入れ、
「『まだ』スザク様がエヴァ様と婚姻なさっていない以上、あくまでナデシコの主は、横浜家最後の一人である、エヴァ様でございます。そのエヴァ様の命令なればこそ、ナデシコは
「要するに、俺よりもエヴァの方が優先という話だろう」
「──ご理解頂き、ありがとうございます」
恨めしい気持ちも当然あったが、これ以上ナデシコを責める気はしなかった。
エヴァを怪人街に連れ込んだ点は予想外だったが、確かにあくまでも彼女の主人はエヴァだ。
そして俺は、ナデシコのそういった忠節をこそ好ましく思っているのだから、彼女を責めるなど、詮無きこと。
と、なれば。
もうこの話は続けても仕方がない。
「話を戻そうか。さっきの質問の続きを」
「はい。わたくしとエヴァ様は現在、レイディン様によって手配された、秩父市の一軒家に滞在しております」
「秩父市か……」
頭の中で、埼玉県の地図を描く。確か秩父はここ春日部市の真逆、埼玉の西端に位置する、埼玉で最も広い市だ。
「とにかくエヴァがそちらに居る以上、俺達が合流するのはナシだ。ナデシコはエヴァの傍を離れず待機。エヴァを守ってやってくれ」
本来の予定では、怪人街侵入後はナデシコと合流し、ガンダを殺すための情報収集などの雑用を手伝って貰う予定だったのだが、こうなっては仕方がない。
「かしこまりました」
「食料等の物資は足りるか?エヴァの分もあるだろう」
「足ります。レイディン様がすでに、三世代家族が三ヶ月は持つであろう量の生活物資を隠れ家に用意して下さったので」
さすが、レイディンは優秀だ。
つくづく、彼女が俺などに懸想していた事が勿体無く思えてくる。
「わかった。それなら十分だな。……俺は今夜はこのまま南桜井で休み、明日から『アリーナ』に向かい、調査する。進展があっても無くても、毎日午後23時になったら連絡する。緊急時以外はそちらからは掛けてこないでくれ。それと、もしも俺からの定時連絡が15分経っても無かった場合は、すぐに怪人街を出るんだ。レイディンに電話して、『商会』のツテを頼れ」
「承知しました」
「俺から頼むことは以上だ。そっちは何かあるか?」
「いいえ、ナデシコにはこれ以上──あっ」
「わたくしからは、あります!」
ナデシコの静かな声から、エヴァの大きな声に電話相手が代わる。
「ああ、エヴァか。すまない、きみと話さないといけなかったな。……しかし驚いたよ。まさか君が怪人街に着いてきたなんてね」
大きな声に耳がキーンと痛む感覚を抑えつけ、俺はエヴァに会話を促した。
ナデシコからは話す事はもう無いようだし、あとはエヴァと話をする事にしよう。
話の中でうまく説得できれば、エヴァを怪人街から帰らせる事も出来るかもしれない。
「当然です。わたくし、スザクさんのお嫁さんなので!どこまでもついていきますよ!」
「ああ、嬉しいよ、エヴァ。ただ、少し考え直して欲しいんだ……津田沼に戻る気はないかい?」
「なぜです?」
すっとぼける訳でも無く、至って素朴な疑問とばかりに、エヴァは聞き返した。
「ここが怪人街だからだ。ここはこの世で最も怪人が多い街……つまり、世界で一番危険な場所だろう?こんな場所には、君に居てほしくない」
「……危険は承知です。その上で来ました」
「君が心配なんだよ。もしも君に何かがあったらと思うと、俺は──」
「それは、わたくしにとっても同じ事ですよ」
「……?」
エヴァはきっぱりと言うと、俺が困惑し黙った事を察して、語り始める。
「スザクさんが怪人街に行くと知って、とても怖かったです。スザクさんがケガをしたら、殺されたら……そう思うと、怖くて仕方がありませんでした。……それでも、止める事は出来ません。だってスザクさんは、いつだって世の為人の為、そしてわたくしの為に戦っているのだもの。守られるだけのわたくしに、口を挟む権利など、ありません」
「エヴァ……」
「だからせめて、あなたが命を賭けるように、わたくしも命を賭けたいのです。あなたと、死ぬまで同じ場所に居たい。そして……全てが終わった時に
妻としての覚悟を語るエヴァに、俺は呆気に取られてしまった。
まさか、エヴァがこれ程の信念を持って怪人街に来ていたとは、思いもしなかったからだ。
感激しなかったと言えば嘘になる。
三年間、ガンダを追って世界を周り、津田沼の屋敷に殆ど帰れなかった日々を思い出す。
電話でのエヴァとの会話はその間も欠かさなかったが、それでも、彼女に対する負い目が消える日は無かった。
どうして彼女ともっと一緒にやれないんだ、助けてやれないんだ、と何度も自問自答した。
本当は、ただ帰りたくないだけなじゃないか。ガンダから彼女を守れなかった罪悪感から逃げようとしているだけじゃないのか、自分のせいで、あんな身体になった彼女を、見たくないだけじゃないか──。
だが、現実はどうだ。
彼女は俺を、こんなにも信じてくれているじゃないか。愛してくれているじゃないか。
俺のやってきた事は間違いでは無かったのだと、肯定してくれているじゃないか。
「だから、スザクさん」
感動せずに、いられるか。
「わたくしのために、どんな手を使おうと、絶対に確実に。あの鶴見ガンダをぶっ殺して下さいね。……約束ですよ?」
「……………………ああ、約束する。おやすみ、エヴァ」
「はい。スザクさんも、おやすみなさい」
──電話がぷつりと切れる。
後には、タクシー車内の静粛だけが残された。
「……ふう」
今日の仕事がひと段落したところで、ぐいと椅子の背もたれにもたれかかって背中を伸ばした。
今からホテルを探すのも骨だ、このまま車中泊をするか──と一瞬、安易な発想に囚われそうになったが、そういう訳にはいかない。
何せ、明日には『アリーナ』に入るのだ。もしかしたら、ガンダと戦う事になるのは明日かもしれないし、明後日かもしれない。
ならば中途半端な休息は、かえって自分の身を追い込む結果にしかならない。
必ず、ホテルを取って風呂に入り、柔らかい布団でよく眠らなくては。
路肩に停めた車を発進せんと、イグニッションキーに手を掛けた、その時だった。
────ダッダッダッダッ、と。
常人には聞こえない、微かな音がする。
「……これは……?」
音は、少しずつこちらに向かってくる。
──これは、足音だ。足音の数は全部で四つ。
逃げる足音が一つと、追う足音が三つ。
誰かが三人がかりで追われている──それだけならば、無視するつもりだった。怪人達の間の追いかけっこになど、興味はないからだ。
だが、問題は──逃げる足音が人間のもので、追う足音が、怪人のものだということ。
そして、追われている足音が、人間の子供のものだということだ。
「…………」
タクシーのドアを開き、歩道に出る。
そして俺は思い切り地面に伏せって、耳を歩道につける姿勢を取った。地面からの振動を感じた方が、より確実に足音の正体がわかるからだ。
追われているのは──11、12歳ほどの年頃の、女の子だ。歳の割に、かなり足が速い。
追っている方は、《スキン》を着ているが──かなり太った男の怪人が、三人。
本来ならば《スキン》を着ることによる身体能力低下を考慮しても、人間が怪人に走りで逃げ切れるはずがないのだが、足音から察するに、どうやら追いかける男達は、怪我をしているらしい。
おそらくは、追われている少女が銃か何かでキズを付けたのだろう。
だがその努力も虚しく、体力の限界を迎えた少女は今にも怪人達に捕まる寸前だ。少女と怪人達の距離はもう3メートルも無い。
今、俺の目の前にあるビルとビルの隙間の裏路地。
この走行ペースでは、少女は、そこに差し掛かる頃に、捕まってしまうだろう。
俺は迷う事なく裏路地に入った。
理由は当然、少女を怪人の手から保護するためだ。
ビルの影に隠れ、少女が走って来るのを待つ。
少しして、路地の向こうから、少女と怪人達の走り姿が見えてきた。
黒いショートカットで、黒のニットを着た少女が、汗だくになりながらこちらへ走って来る。吐く息は荒く、ゼイゼイと喘ぎ声が混じっており、今にも体力が限界を迎えそうだ。
その後ろに、俺の予想通り太った三人の怪人がついてきている。男達のズボンには赤黒い、血液と思われる汚れがそれぞれの足についており、やはり銃で打たれたと思しき傷を庇いながら、必死に追っている。
──さて。
今日最後の仕事と行こうか。
周囲に他に少女を追う人影がない事を確認して、俺は少女と怪人達の間に躍り出た。
─────────────────────エヴァだのナデシコだの書きすぎてNewtypeか少年エースみたいに思えてきました
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