第3話 ヘビーレイン(3)




 クラクションが止まり、タクシーの運転手席のドアが、バン、と大きな音と共に勢い良く開け放たれた。

 そしてタクシーの中から、女がゆっくりとした足取りで、こちらに向かって来る。


「ゴポポッ……ククッ……ゴポッ……」


 口内に溜まった血を吐き出しながら、女は短く含笑する。

 その表情は異様であった。


 見開かれた目は斜視のように別々の方向をむいたままで、額から口から鼻から、だらだらと血を垂れ流している。


 顔の筋肉が弛緩して、だらんと口を開いたその様はまるで白痴のようで。

 しかし、肉体は背筋が伸びた綺麗な姿勢で立っていた。


「全く……やってくれたわねぇ。高かったのよ?この『スキン』。台無しじゃない」

 死体同然の顔のまま、表情を変えずに言うと、女は自身の頬に右手を当てて、そのまま思い切り引っ張った。

 ブチブチと肉が千切れる音と共に、女の美しかった顔が、裂けていく。


「……」


 目を逸らしたくなるような痛々しい光景を、俺は強く見据える。


 もし一瞬でもあの女から視線を外したら、その隙にどんな攻撃が飛んでくるか分からないからだ。

 それだけの緊張感が、この空間にはあった。


 やがて、脱げた靴下のように頭全体の皮膚がめくれ上がって、その下の正体が露わになった。




 ──8つの瑠璃色の大小の複眼が、ぎょろりとこちらを見据えていた。


 歯ブラシのような質感の短い体毛が、茶褐色のゴツゴツとした顔全体に生えている。

 口の前には一対の大きな鎌状の顎が横に開いており、牙のようだった。


 それは、まさしく蜘蛛の顔だった。

 人間の女の身体の上に、蜘蛛の頭が乗っていた。


 ──そう、目前のこの化物こそが人類の仇敵。

 先の内戦において多大な戦果を生み出し。

 現在に至るまで世界中に莫大な戦火をもたらす。この国の負債、この世界の汚点、生まれてきてはならなかった生物兵器。

 ──『怪人』の姿、そのものだった。




「また新しい『スキン』買わないと……貯金無くなっちゃうわ。タクシーの運転手なんて、給料安いのに」


 蜘蛛女は用無しとなった『スキン』──人間の生皮を剥がして加工した、怪人達の変装具──を道路に捨てると、そうぼやいた。


 女のシャツから覗く巨乳や、袖から出た手首はすでに、蜘蛛然とした褐色の甲殻状に変異している。


「……人の皮被った小虫風情が貯金だの給料だの、ほざきやがる」


 返事しながら、俺は戦闘体制に入った。


 右手に持つ刀を両手で構え直し、きっさきを蜘蛛女の首元に向け、腕を伸ばして中段に構える。

 これこそが師父から受け継いだ『闇黒電剣流エレクトロニック・アーツ』の基本形、『一剣ダイカタナ』である。


「しかし、昆虫怪人ムシマンとは思っていたがまさかAランクの蜘蛛型とはな。……さっきの弾丸は、蜘蛛の糸を口から吐いて止めたってところか?」


「御名答ね。アタシの糸で編んだ盾は徹甲弾すら受け止められる。だからこの通り、アタシ本体には傷一つ付いてない」


 蜘蛛女は上顎の中に手を突っ込むと、その奥の口の中から、ロープのように太い蜘蛛糸に包まれた弾丸を取り出した。

 扁平に潰れ、せんべいみたいに広がった弾丸が、蜘蛛女の糸の強靭さを物語っている。

 徹甲弾すら受け止めるというのは、ブラフでは無いのだろう。


「そしてどうやら、アンタ始めからアタシを殺すつもりだったね?無防備なところにいきなり弾丸撃ち込むなんて、人間としてどうなのよ。銃は持たない主義なんて、嘘までついてさ」


「怪人に容赦はいらん。それに、お前には聞きたい事がある。ハナから殺すつもりは無かったよ」


「殺すつもりはない?……だったら、何で撃ったのさ。頭に、2発も」

 蜘蛛女は批難するように、自分の額をコツコツ、と指で2回叩いた。


「『2発も』じゃない。『2発だけ』で済ませたんだ。昆虫怪人ムシマンは生命力が強いからな。頭に穴が空いても、動けなくなるにしろ死にはしないだろう?だから撃った」


「……そう。なおさらムカつくわ、アンタ」

 蜘蛛女は、カチカチと威嚇するように前顎を掻き鳴らす。

 頭を撃たれた事を怒っているというよりも、俺が彼女を騙し、事もなげに振る舞っている事に腹を立てているような、そんな声色だった。


「アンタの事情は知らないけど、先に喧嘩売ったのはアンタだから。これ、正当防衛なんで」


 蜘蛛女は、伸びた背筋を僅かに曲げ、すうっと腰を落とした。


 手に武器は持っていないが、彼女もまた、臨戦態勢に入ったということだろう。


 俺と蜘蛛女は、10メートルほどの間合いを開けながら、互いの隙を探り、しばし睨み合った。




 ──雨が降る中、荒野に人間オレ怪人ヤツは相対する。

 両者は決して相容れぬ生命。

 両者は決して交わらぬ運命。

 迅雷風烈の殺仕合、生き残るは、人間か、怪人か。


「死ね、人間」

「来い、怪人」


 その時。

 暗雲立ち込める夜空に雷が一すじ光り、一瞬、互いの視界が真っ白な光で埋め尽くされる。

 遅れて鳴り響く雷鳴を号砲に、人間オレ怪人ヤツは、同時に相手に飛び掛かった。






 ─────────────────────

やっぱ、最初の怪人はクモ怪人であるべきだと思うのです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る