グリーン・アイ

たってぃ/増森海晶

第1話

 幸せになりたいと、思ったことないのだが。

 最近ひどい、この肩こりをなんとかできないのだろうか。


 野上 明史のうえ あきふみは、沈みゆく太陽に向かいカメラを構える。

 オレンジに輝く小笠原諸島の父島の海へ、黄色い太陽に沈み込むサンセットの瞬間――。


――カシャカシャカシャ。


「よし」


 カメラから顔を放して、感慨深いような寂し気な顔を浮かべる野上。

 人間の肉眼では捕らえることのできない、高速連射機能を搭載した一眼レフは、じつに主人に対して忠実で誠実だった。

 メニューボタンを押して写真を確認すると、液晶画面の中で、水平線に沈み込む太陽が細切れのアニメーションのように並べられている。

 野上はカチカチとボタンを押した。太陽が次第に赤味を帯びて海に沈む瞬間、爆発したかのようなエメラルドグリーンの閃光があたりを照らしだした。


 突如として変色した緑の太陽――グリーンフラッシュという現象だ。


 光が失せて、黒い闇が広がり始めた水平線をエメラルドを砕いたような炎が立ち上り、そして海へと消えゆく、儚くも圧倒的な光景。

 人間が立ち入ることが出来ない神秘の時間は、見る者に幸福をもたらすとされている。


「ま、良い土産にはなったかな」


 東京で待っている、恋人の速水 祥子はやみ さきこは野上の写真を喜んでくれるだろう。

 彼女が仕事で小笠原に行く野上に、石垣島でグリーンフラッシュが観測されたという話をしなければ、今日、夕陽を撮影しようとは思わなかった。


「さてと、すっかり真っ暗だな。ホテルに帰らないと」

 

 呟いて、リュックに機材を詰め始める。旅行代理店のパンフレットに載せる写真の撮影がこの男の仕事だ。

 撮影初日の今日は、あいさつ回りが中心だったせいで、すでに神経が疲れ切って悲鳴を上げている。

 いつもなら、機材を背負って明け方まで駆け回っているのだが、やはり35歳と言う年齢には勝てないのだろう。

 見えない荷物を背負いこんだかのように、両肩が倦んだ痛みを発してこわばっている。

 持ってきた湿布薬だけでは到底足りない。

 

「明日の撮影は夜か」


 自然豊かな小笠原は南国のイメージが強いせいで、白い砂浜をキラキラと輝く青い海しかないと思われがちだが、夜でも見どころがたくさんある。

 満天の星空に、波打ち際を彩るネオンブルーの夜光虫。オガサワラオオコウモリに光るキノコのグリーンペペ等、夜にしかお目にかかることができない固有種たち。

 運がよければ、砂浜でウミガメの産卵に立ち会うこともできるし、子亀を夜に放流する放流会は子供たちに大人気だ。

 明日は陽があるうちに、機材のチェックとルートの確認を念入りにしたい。

 自然現象グリーンフラッシュに、いちいち感情を割り振る暇なんて野上にはないのだ。

 そう、いつもなら時間の許す限り駆け回っていた。仕事が好きなのではなく、仕事を早く終わらせたかったからだ。

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