八百枚の舌

江古田煩人

小人を食う

 むかしはどこの家でも小人の二、三匹は飼っていたものだった。いや、あれを飼っていたと呼んでいいのだろうか、置物棚の使われていない段や箪笥の裏側などにいつの間にか巣食っていて、暗がりからこちらを恐る恐るうかがう小人へ食い余りの飯粒をいくつかやると、窓の桟の拭き掃除だの床のこまごましたごみ拾いだの瑣末な雑用をそれなりにこなしてくれるのだが、用事を言いつけることはあっても犬猫のように特別に可愛がったりするようなことはなかったので、やはりあれは飼うというより家の一角を間借りさせてやる代わりに雑用をこなしてもらう下男のようなものだったと思うのだが、ここでは便乗上とりあえず「飼っていた」と言わせてもらう。この小人というやつが童話に出てくるような可愛らしい子供の見た目であったなら愛でてやろうという気にもなったのだろうが、うちに住んでいたのはばかに痩せて手足もひょろ長く、耳まで裂けた口とぎょろついた目ばかりが目立つ、お世辞にも可愛いとは言い難いやつばかりだったので、私だけではなくうちの家族も皆あの小人を特別に世話するようなことはしなかった。今思うとあれは小人ではなく悪鬼の類だったような気もするが、飯粒と晩飯のおかずの余りを少しやれば大人しくこちらの指示に従っていたので、あいつは世間で言うほどの悪鬼ではなかったのだろう。その悪鬼だか小人だか分からぬものは私が実家を出て東興に移り住む頃に忽然と姿を消したという。たぶん私の荷物に紛れてどこかもっと住み良いところへ移ったのだろうが、私に着いてこようとはしなかったあたり、やつらも私たち家族のことを快く思っていなかったのだろう。

 

 その小人がホットケーキを焼く喫茶店が東興とうきょう偽塚にせづかにできたと聞いたので、連載の取材も兼ねて行ってみることにした。小人にひとが食うものを作らせるというのも驚きだが、この時分にまだ天然の小人を飼っているというのも珍しい。田舎の方に行けば今でも昔そのままの小人が住み着いている家がちらほらあるらしいのだが、そういう所から都会へ小人を連れてきたとしても大抵は元の住処を懐かしがっていつの間にか消えてしまうというので、今の東興で小人を飼うというのは割合骨が折れることなのだ。そんな苦労をしてまで小人を飼うというのも馬鹿馬鹿しいというか、まったく金持ちの道楽というか、件の喫茶店も珈琲狂いのマスターが趣味で始めたというものなので、そのいかにも金満家の空気をホットケーキと一緒に味わおうという魂胆である。ちなみにこの珈琲狂いだの金持ちの道楽だのはマスター本人が自称していることなので、私に彼を揶揄する意図は一切ないことをお断りしておく。

 電車を乗り継いで訪れたその喫茶店「むらくも」は新しくできたばかりのビルとビルの間に挟まれるようにしてこぢんまりと建っており、なるほどドアには前評判の通り「小人おり〼 銅板ホットケーキ」の掛け看板が下がっている。だいたいこういう物珍しいものを売りにしているような喫茶店には新しもの好きの若者などが我先にと詰めかけるせいで私のような半ばくたびれかけた者などはドアを開けるのにも勇気が要るのだが、幸いと言うべきか店内には私を含め二、三人ほどの客しかいない。それも私と同じような年代の客ばかりで、やはりもう小人や妖精などという古臭いものにわざわざ興味を向ける人などほとんどいないようで、確かに寂しい気持ちもなくはないのだがそれよりも幼き頃の思い出を無闇に踏み荒らされることのない安心感の方が優る。古いものはむやみに流行らせず、当時を知る身内の間でじっくり楽しむというのが正しい在り方のように思うのだが、これはまあ私のひねくれた見方なのかもしれない。そんな古い物好きのマスターが手掛ける内装はさすがのもので、自らの趣味をとことんまで優先させようというつもりなのか、艶々と油を引いたようなカウンター板といいよく磨かれた橙色のランプといい、老舗の喫茶店もかくやというばかりの佇まいにはしばらく見惚れてしまった。道楽もここまで突き詰めると大したもので、マスター自らが喫茶店通の珈琲狂いを自称するのも頷ける。

 あらかじめ確保してもらっていたカウンター席に座ってみると、そこからは店が売りにしているホットケーキ用の銅板がよく見えたが、しかし肝心の小人の姿はどこにもない。疑問にかられながらもとりあえずマスター自慢だという「むらくもブレンド」と小人のホットケーキを一枚頼んでみると、なにやらニンマリと笑ったマスターは店の奥から小さな鳥籠をひとつ持ってきた。驚くことに、と書くべきなのだろうが半ば予想していた通り、中で膝を抱えているのは手のひらに収まるほどの大きさの小人である。それが二匹。それぞれ黄色と紫のサテンのリボンを首に巻かれており、特別あつらえらしい女物の給仕服を着させられている以外はうちで飼っていた小人とそう変わらない。目と口ばかりが大きい小人がクラシカルな給仕服を着込んでいるというのはなかなか奇妙な光景で、これと似たようなものを幼い頃にどこかで見たような気がするが、そういえばこれは流しの猿回しが連れている子猿の様子と瓜二つなのである。似合わぬ服を無理に着させられたままいじけたように床にしゃがみ込んでいる小猿の姿と、籠の中の小人はよく似ていた。試しに写真を撮ってみると、小人はカメラにもよく慣れているようで身じろぎせずこちらをじっと見つめている。どうにも奇妙な気分である。

「さすがに携帯なんかだと落ち着きを無くしますがね、あの電子音がどうにも耳に悪いらしい。私がよくしつけましたから、カメラレンズくらいならおびえて逃げたりはしませんよ」

 マスターは珈琲豆を挽きながら笑ってそう言ったが、しかしいくらしつけると言っても相手は妖魔の類である。そう人間に都合よく馴染んでくれるものだろうかと訝しむ私の雰囲気を感じ取ったのか、マスターは鳥籠から紫の小人を掴み出すとその足裏をこちらへ向けさせた。両足の裏になにやら赤墨でむつかしい文句がびっしり書かれている。聞けばこれは三キロほど離れた場所にある英解寺の自在坊主に封遁の印を結ばせたものだそうで、こうしておけば小人が勝手に客について喫茶店の外へ出ることはないばかりか、どれほど手荒い扱いをしても祟ることはほとんどないというから知らぬうちに世の中は随分と便利になったものである。小人は私とマスターの会話の間もずっと私に足裏を向け続けており、あくまで主人の指示に従い続ける小人がいったい何を考えているのかまでは知ったことではないが、ともかく封遁の印とやらの功徳は確かであるらしかった。

 さてそうしている間に珈琲ができた。ポーションや砂糖は小さな花籠に入れたのをあの黄色と紫の小人がよちよち持ってくる。一式を私の前に揃えて置くと、まるで本物のメイドのように両手を揃えてかしこまっているのには笑ってしまった。この動きもマスターがしつけたのだろうが、醜い小人が形ばかりは人間の真似事をしている光景は面白くも、また哀愁を誘うものである。花籠のそばでじっと立ちすくんでいる小人を眺めながら、淹れたての珈琲を一口。断っておくが私はそう珈琲に詳しいわけではなく、挽き豆であろうが粉を湯に溶かすだけのインスタントであろうがうまいうまいと飲んでしまう馬鹿舌の持ち主なのであるが、それでもこの店の珈琲は滅法うまかった。変な油っぽさやくどさがなく、するすると喉へ流れていく。その後に鼻腔へ華やかな香りがふわりと戻ってくるのだ。うまい。執筆中は水のように珈琲を飲む私だが、この珈琲を無造作に飲むのはあまりに勿体無い。あまり適当なことを書くとその道の玄人にお叱りを受けそうなのでこの辺りでやめにしておくが、小人のことを抜きにしてもこの珈琲を飲むためだけにここを訪れる価値はあるというものだ。珈琲を楽しむ私の前でマスターはホットケーキ用の生地を用意しているが、あの銅板の上で小人がどうホットケーキを焼くというのだろうか、と思っていたらマスターは流しの下から先程のとは別の籠を出してきた。今度のは金属でできた無骨な虫籠であるが、中にぎっしりと押し込まれているものを見て今度こそ私は驚いた。

 まるで蝦蟇のようにデップリと肥えきった、素裸の小人である。首は薄黄色の肉に埋もれて肩までめり込んでおり、両の目も肉の隙間からわずかに覗くのみで、その変わり果てた様相は給仕をしていた小人とは比べるべくもない。それが五、六匹、身動きする間もないほど虫籠に押し込まれ、よほど息苦しいのかぜえはあと盛んに喘いでいるのだ。小人の体表はぬらぬらと脂ぎっており、滲み出る脂で虫籠もべったりと濡れている。ほのかに乳臭さが鼻をついた。

「こいつらには牛乳だけを飲ませています。とりわけ脂肪分が多いやつを朝晩コップ一杯ずつ、小人にやるにはかなり惜しいくらいのものではあるんですが、どうしてもこれじゃなきゃうまい具合に太らないんでね。これらはだいたい一ヶ月くらい肥えさせたやつです、ほら、見てくれもまるでバターでこしらえた人形でしょう」

 マスターにそう言われて私は気づいた。小人の籠から漂ってくるのはまぎれもないバターの匂いである。マスターはビニールの手袋をはめた手で小人を三匹ばかり掴み出すと、銅板のすぐ脇に整列させた。銅板にはすでに火が入っているようで、途端にバターの濃い匂いが鼻腔をくすぐる。あの距離ではかなりの熱さだろうに逃げ出すこともせず銅板脇へ並んでいるのを見ると、やはりこのバター小人にもまじないが掛けられているのだろうか、そこまで考えたところでやおら一匹の小人が銅板の上へ足を踏み出した。じゅうっという小気味のいい音は、なるほどフライパンにバターを落としたときのそれと全く同じである。バター小人は己の足裏が焼けることなどまるで気にしていない風で銅板の上を端から歩き始めたが、それに続いて二匹目、三匹目の小人までもが銅板上で行進を始める。呆気に取られている私の後ろで誰かがくつくつと忍び笑いを漏らす声が聞こえたが、どうやらこの店の常連は私のような一見客がこの悪趣味な見せ物におののく様を眺めるのが楽しみの一つでもあるらしい。しかしいくら小人といっても焼けた銅板の上を歩かせるというのはいかがなものなのか、そう言いたげな私の顔色を察してかマスターはボウルの生地を練りながら言った。

「初めての人はみんなそういう顔をしますがね、こいつらに痛覚なんてものはないんですよ。肥えすぎたせいで神経が麻痺してるのか、寒い日なんかは自分から銅板の上で温まりにくるくらいでねえ」

 すっかり脂の引かれた銅板の上へマスターが生地を流すと、小人どもは膝を抱えて座りながら生地を眺め始めた。その様子はまるで母親の前でホットケーキの焼き上がりを待つ子供のようだが、今からそれを食べようというのは私なのだから、そう見つめられているとこちらの方が子供のおやつを横取りしようと狙っているようでいささか決まりが悪い。マスターがボウルに余った生地を銅板の上に散らして焼き始めたところを見ると、どうやらあの焼きかすが小人への報酬であるようなのだが、小人は焼きかすへなど目もくれずに私のホットケーキに釘付けになっている。小人も奇妙だがそれを嗜めようともしないマスターも奇妙である、もしかしたらマスターが気づいていないだけであの封遁の印とやらが半ば解けかけているのではないか、注文が入る度に銅板の上を歩かせていたら足裏のまじない文も相当に薄くなるはずなのだがもし本当にそうだとしたら術から逃れた小人どもが一体何をしでかすのやら、なにしろこいつらは腐っても妖魔なのだから焼けた銅板の上を歩かせるような人間に対して相応の仕返しを企んでも不思議ではない、と思った矢先にやおら小人が銅板からむっくり立ち上がったものだから私は思わずおああとかうわいとかいった声ともつかないような声を上げてしまった。しかし私が予期していたようなことは当たり前ながら一切起こらず、泡を浮かべた生地の周りにのそのそと集まった小人は日干しにしていた布団を持ち上げるような具合で生地に手を掛けた。見たものからあれこれ妄想をたくましくしてしまう私の悪癖は物書きという仕事には向いているのだろうがそうでなければ単なるノイローゼ予備軍に過ぎないと常ながら思っているのだが、ともかく私のホットケーキは無事に小人の手により裏へ返され、あとは焼き上がりを待つばかりである。

 しかしそれにしてもなぜわざわざこれほどの手間を掛けてまで小人などにホットケーキを焼かせるのであろうか。わけはこうだった。

「元々こいつらは私がどこかから連れてきたわけじゃありません。喫茶店を開いてしばらくした頃合いでしょうかね、こいつらがキッチンの方でうろちょろしてるのを見たんですよ。店の懐古的な雰囲気に惹かれたんでしょうかね、小人が勘違いしてやってくるほど懐かしい店だと言われればまあそうかもしれませんが、こいつらはどうも食い意地がひどくてね。我が物顔で牛乳やバターを食い荒らすもんだからいい加減私も腹に据えかねましたし、今時珍しい小人をなにか店の呼び物にできないかなと考えまして、呪術や妖魔に詳しい常連からの力も借りてこいつらを飼い慣らすことにしたんですよ。苦労もしましたがどうにか上手くいきました」

「へえ、うまく考えましたね。このバターの小人もですか」

「そいつらは特別食い意地が張っていたやつで、上物の牛乳ばかりあさるうちに体から脂がにじんできたんですよ。私も最初は気味が悪かったですけど、育てていくうちに見た目といい色といいバターそっくりになっていくし、試してみたらとびきり上等なバターになっていたんですから活かさない手はないと思いまして。体が飲み食いしたものになるというのはよく考えれば妙な話ですが、まあこいつは生物じゃなしに妖魔ですからそういう事があってもおかしくはないでしょう。ともかく例のまじないのおかげで簡単な指示なら聞きますし、なにより焼いてる時の見た目が面白いじゃないですか。もちろん、味の方も文句なしです」

 話をしている間にホットケーキが焼き上がったようで、小人はマスターを見上げながらさかんに手を振っている。人懐こさというよりはホットケーキを焼き上げたら焼きかすがもらえるようしつけてあるのだろう……と思っていたら案の定、バター小人は私のホットケーキとは別に小皿へ取り分けられた焼きかすへ一目散に群がっていった。今回ばかりは私の予想通りである。ホットケーキの乗った皿が私の前へ置かれ、シロップ入れはあの小人のメイドが二人がかりで持ってくる。食べる前から随分と要素の多いホットケーキが、ようやく私の前へやってきた。

 狐色の表面にナイフを当てるととわずかな抵抗を残して沈み込んでいき、切り口から立ち昇ってくる柔らかな甘い湯気はそのままホットケーキの味と食感である。それがうまいのうまくないのって、べらぼうにうまい。口の中でふかふかと弾む生地は一噛み二噛みしないうちにとろりと溶け、舌をやさしく撫でながら喉の奥へ。口に残る素朴な甘みを二杯目のむらくもブレンドで流せば、これはもういくらでも腹へ入ってしまいそうなほどの恐ろしい味覚である。銅板の底力と言うべきか、はたまた小人の魔力がバターに溶け込んででもいるのだろうか、白昼夢でも見ているような心持ちでフォークを動かすうちに気付けば皿の上は空になっていた。呆然とする私の前にはかしこまった様子のサテンの小人が両手を組んで立っており、狐に化かされたような具合の私の前に口直しのほうじ茶が置かれる。熱いお茶を一口すすり、ほうっと一息。現世に戻ってきた。美味い珈琲は人を酔わせるというのはどこかで聞いたことがあるが、まさか一枚のホットケーキで我を失うとはこれまでの人生において初めてのことである。

「初めてうちのホットケーキを食べた人は、皆さんそういう顔をされるんですよ。中には『人を狂い死にさせるホットケーキだ』なんておっしゃる方もおりましてね。もちろん普通のがよければ普通のバターで作りますし、そちらも好評です。まあ、お好みに応じて選んでいただければという具合でして」

 一日の来店客は平均して二十人から三十人程度、そのうち小人のホットケーキを注文するのは半数ほどだという。この小人のホットケーキをまた食べたいかと聞かれればそれはもちろんイエスなのだが、その一方でこのホットケーキを食べ続けて半年ほど経ったある朝に妙な夢から覚めてみると自分が寝床の中で小人になっていたという目に遭いやしないかと子供じみた妄想が一瞬だが頭をよぎったのもまた事実である。こればかりは私のただの妄想なのだろうが。会計は珈琲二杯と小人のホットケーキで千八百円、レジで会計をするマスターの両肩の上にはあのおなじみの小人が二匹、膝の上に両手を置いてちょこんと腰掛けていた。最後に一番気になっていたことを尋ねてみる。

「その二匹の小人は特別扱いのようですが、理由はあるんですか」

「いえ、大した理由はありません。ただ単に他のより大人しくて、見てくれが比較的いいのを観賞用にしているだけですよ。放っておけばどんどん増えるので、適当に交代させたりします」

 そして思いがけないことに、よければどうぞ、店の紹介をしていただくお礼です、と別の小人をカウンターから連れ出して私に一匹よこしてくれたのだ。私の元から逃げ出さないようにするには半年に一度、例の寺で祈祷が必要らしいのだが、それ以外にたいした世話は必要ない。結構ですとも言えず持ち帰ってしまった小人は、首に赤いサテンのリボンを巻いたまま仕事机のスタンドライトの上に腰を下ろして今も私の執筆の様子を眺めている。家で当たり前のように小人を飼っていた当時ならいざ知らず、いい歳をして小人に世話を頼むのもなんだか気が引けるので家へ連れ帰ってからのこいつはほぼ放し飼いのような状態なのだ。もともと不精者の私が半年後にこの小人をわざわざ寺へ連れて行って印を結び直してもらうのかと聞かれたら返事は濁すほかないが、もしその頃になって急に私の消息が途絶えたとしたら、きっと書き物机の上では赤サテンの小人の代わりにくたびれた顔をした小人が一匹ペンを抱えているのだろう。半年後の連載に穴を空けないないためにもこの妄想だけは実現しないことを願う。

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