犯人捕縛作戦 6

 音楽祭の日は、朝からどんよりとした曇り空だった。

 気圧の変化で頭痛を覚えるライオネルは朝からつらそうだ。

 音楽祭は講堂で行われるが、歌を披露する順番は一年生から、クラス番号の小さいクラスから行われる。

そのため、一年一組であるライオネルのクラスが最初だ。

 講堂には音楽室からピアノが運び込まれ、伴奏者一名がピアノの前に座る。

 一年一組の伴奏者はライオネルだった。


(殿下、大丈夫かしら?)


 エイミーのクラスはライオネルたちのクラスの次なので、舞台袖からエイミーはじっとライオネルを見つめていた。


「殿下が伴奏なのね」


 エイミーの隣で舞台袖から舞台を見ているシンシアが言う。


「殿下はピアノがすっごく上手なのよ。だからわたしはヴァイオリンを一生懸命習うことにしたの」

「ちょっと意味がわからないんだけど、どういうこと?」

「ヴァイオリンを頑張ったら、殿下が一緒に演奏してくれるかもしれないでしょ?」

「ピアノの連弾でもよかったんじゃないの?」

「殿下はピアノの次にヴァイオリンが好きなのよ」

「は?」

「殿下が一番好きなピアノをやって、殿下が二番目に好きなヴァイオリンをわたしがするの」

「……ごめんわけがわかんないわ」


 シンシアは「もういいわ」と言う風に手を振った。


(わかんなかったかしら?)


 どうやらうまく説明できなかったようだ。

 ライオネルはピアノが大好きだから、その大好きなピアノをエイミーが奪ってはダメだと思ったのだ。


 エイミーはどうも昔から楽器の才能があるようで、音楽を教えてくれていた家庭教師からも「本当に、歌以外は最高です」とよくわからない褒め方をされていた。歌だって得意なのにどうしてか音楽教師から歌を教えてもらえなかったエイミーだったが、他の楽器については教師がとても熱心に指導してくれていたのだ。

 その中で、エイミーが教師から強く勧められたのはピアノだった。しかし当時すでにライオネルがピアノに熱中していたことを知っていたエイミーはそれを断り、ヴァイオリンを選んだのだ。だって、ライオネルが大好きなピアノで彼の上を行くわけにはいかないから。でも、彼が好きなピアノで適当なことをやったらライオネルが怒るとも思った。だからヴァイオリンにしたのだ。これならばいくら上手になってもライオネルを傷つけないし、手を抜かなくていいから彼を怒らせることもない。


 もしそれをライオネルに言ったら、「また意味のわからない理屈を……」とあきれるかもしれないが、エイミーのこれは、たぶん的を射ている。


(殿下はとっても優しくて大好きだけど、拗ねると口をきいてくれなくなるもん)


 ライオネルに嫌われたくないエイミーは、もちろん本気で彼が機嫌を損ねることはしたくなかったのだ。

 それを言えばライオネルを追いかけまわすこともやめればよかったのだが、これについてはエイミーは別の理屈で動いていたのだから仕方がない。

 良くも悪くも、ライオネルに「モモンガ」と言われるエイミーは、思考回路が人と違う方向に転がるときがあるのである。

 エイミーのいる舞台袖からはライオネルの後姿しか見えない。しかし、ピアノの上に、ちょこんとエイミーが渡した陶器人形が置かれているのを見てエイミーは嬉しくなった。肌身離さず持っていてくださいねとお願いしたことを実行してくれているのだ。


(ピアノの前の殿下、素敵……。でも、体調は大丈夫かしら? さっきウォルターさんに頭痛薬をもらってたし……)


 音楽祭がはじまる前、エイミーとライオネルは、医務室で今日の打ち合わせをしていた。

 その時にライオネルがウォルターに頭痛薬をもらって飲んでいた。朝から頭が痛いと言って、顔色も悪かったから心配だ。

 ライオネルのクラスの合唱曲は、エイミーのクラスのものと違って音域が広く、伴奏も難しい。ピアノの伴奏も、高音から低音まで幅広い鍵盤を使うのだ。


(殿下、大丈夫かしら。……いいけど)


 舞台袖から見える一階席の最前列には、数人の護衛とともに国王夫妻が座っていた。

 国王夫妻だけではない。今日は学生の家族の見学が許可されている日なので、家族のために設けられた一階席の前半分は見学者ですべて埋まっていた。これだけ見学者が集まったのは、純粋に我が子の様子を見に来たのもあるだろうが、おそらく国王夫妻が見学に来ると言うのが大きいだろう。

 国王夫妻は面白がるような顔で舞台を見つめている。


(殿下が人前で伴奏するなんて、学生生活が終わったら二度とないでしょうからね)


 王太子を伴奏に使って許されるのは学生のときだけだ。王太子に向かって「伴奏してください」なんて、不敬すぎて誰も言わない。というか言えない。


(殿下、がんばって……!)


 ライオネルのことだ、両親が見学に来ていても、それで緊張したりはしないだろうが、彼が朝から体調が悪かったこともあり、エイミーは自分の番以上に緊張しながら婚約者の後ろ姿を見つめた。

 両手を胸の前で組んで、無事に終わりますようにと祈っていると、指揮者の合図でライオネルが伴奏をはじめる。

 軽やかな滑り出し。

 最初から難易度の高い伴奏だが、ライオネルは平然と弾いているように見える。


「殿下、本当に上手ね」

「もちろんよ、殿下のピアノは最高だもの」


 エイミーは自分のことのように胸を張って、長めの前奏を感情豊かに引き上げるライオネルにうっとりした――そのときだった。

 不意に、ピアノの演奏がぴたりと止まった。


「どうしたのかしら?」


 不自然に止まったピアノに、シンシアが眉を顰める。

 エイミーは舞台袖のカーテンをぎゅっとつかんで身を乗り出した。


(殿下?)


 エイミーがかたずを飲んで見守る中、ライオネルの体がぐらりと傾く。


「っ!」


 ライオネルが椅子から転がり落ち、それと同時に、ピアノの上に置かれていた陶器人形が落ちてパリンと音を立てて割れた。


「殿下‼」


 エイミーは悲鳴を上げて、舞台袖から飛び出した。


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