エイミーが逃げる理由 3

 目を覚ましたエイミーは、何気なく横を向いて驚愕した。

 顔を向けた先にライオネルが座っていたからだ。


「起きたか? 熱は?」


 驚きすぎて言葉もないエイミーの額にライオネルが手を当てる。ひんやりとした彼の手のひらが気持ちよくてうっとりしかけたエイミーはハッとした。


「で、殿下っ、わたしのベッドで何をしているんですか⁉」

「何がわたしのベッドだ。お前、ここがどこだかわかっているか?」

「どこって――あれ?」


 エイミーは首をひねった。

 てっきり自分の部屋だと思っていたが、顔を巡らせてみれば全然違う。


「……医務室?」

「正解だ」

「え? なんでわたし医務室にいるんですか? いつ来たんですか?」


 いろいろ記憶がつながらなくて、エイミーは首をひねる。

 エイミーは――そう、エイミーは、確か、四限目の授業が終わって屋上に向かう途中でライオネルに捕まったのだ。そしてそのまま屋上へ連れていかれて、一緒にお弁当を食べて――いる途中で――


(……え?)


 エイミーはおろおろと狼狽えた。

 ぶわわっと顔に熱がたまって、頭が沸騰しそうに熱くなる。


(お、お、落ち着くのよわたし! あれはきっと夢よ、夢。ていうかこれも夢? 全部夢、夢‼)


 何故ならエイミーが大嫌いなライオネルが、医務室で眠っているエイミーについていてくれるはずがないからである。

 そうか夢かあ……と納得して、一人うんうんと頷いていると、ライオネルがふにっと頬をつまんで引っ張った。


「おい百面相。何を考えている」

「にゃ、にゃにも……ひひゃいっ」


 むにーっと引っ張られてエイミーはライオネルの手から逃げるようにシーツをかぶった。

 そして、シーツの中で考える。


(……痛い?)


 ライオネルに引っ張られた頬をさすりつつ、エイミーはそろそろシーツから頭の先っぽを出した。


「……殿下、今は夢ですか現実ですか?」

「何を馬鹿なことを言って――てまさか、お前、さっきのことを覚えていないのか⁉」


 あきれ顔で笑いかけたライオネルは、さっと表情をこわばらせた。


「え、え?」

「覚えているのかいないのかどっちだ⁉」

「え、ええっと……」

「屋上で俺が言ったことを覚えているのか、いないのか、どっちなんだ!」

「お、お、屋上……」


 ってことは、さっきのあれは、夢ではなく現実なのだろうか。そして今も?

 エイミーは真っ赤になって、再び頭からシーツをかぶった。

 けれどもそれはライオネルに容赦なくはぎとられる。


「殿下、女の子に乱暴なことをしたらダメですよー」


 見かねたウォルターが口を挟んだが、近づいてこないところを見ると、助けてくれる気はないらしい。

 シーツがはぎとられて隠れる場所を失ったエイミーは、ベッドの上でご飯中のモモンガのように丸まった。

 ライオネルがベッドの上に両手をついて、エイミーに覆いかぶさる。


「覚えているのかいないのかどっちだ!」

「お、お、お、覚えてます……」


 蚊の鳴くような声で答えると、ライオネルが安堵の表情になってエイミーから離れてくれる。


「そうか、ならいい」


 いや、全然よくない。

 エイミーはさらに混乱した。

 確かに屋上での出来事なら覚えている。

 しかしあれが夢ではなく現実なのだとしたら、エイミーの脳の処理能力をはるかに超える出来事だ。

 丸まったまま「あわわわわ」と慌てだしたエイミーは、ふるふると震えてベッドにひしっとしがみついた。


(だってだってだって、殿下、わたしのことが好きって言ったわよね? 言ったわよね⁉)


 エイミーは確かに、ライオネルに好きになってほしかった。

 追いかけまわしていればいつか好きになってくれるのではないかと淡い期待もしていた。

 けれどもそれが現実になると、頭の中がぐるぐるしてわけがわからなくなってくる。

 きゃーっと大声で絶叫したい一方で、恥ずかしくておろおろして、頭を抱えてぐるぐると転げまわりたい気にもなる。そしてまた、どこでもいいから逃げ出して、モモンガの巣のような小さな穴に入り込んでしまいたくもなるのだ。


「で、殿下……シーツ返して……」

「あ? ああ……っておいまた!」


 ライオネルからシーツを返してもらった途端にシーツの中にもぐりこんだエイミーは、今度は奪い返されまいとひしっとシーツの端っこを握り締めた。


「おい隠れるな‼」

「や、やだ……!」


 ライオネルがぐいぐいとシーツを引っ張る。


「あー……殿下、私はちょっと出ていますからねー」


 二人でシーツの取り合いをしていると、ウォルターが生暖かい視線を向けた。


(え、嘘っ、行かないで!)


 今ライオネルと二人きりになりたくない。心臓が爆発しそうだからだ。

 しかしウォルターは「ばいばい」と手を振って、無情にも医務室から去ってしまった。

 かくなる上はと、エイミーは隙を見てベッドから飛び降りると、ベッドの下に潜り込もうとしたのだが、その前に素早く回り込んだライオネルによって阻止されてしまう。

 さらには逃がすまいとするライオネルに抱きしめられてしまったから、頭から湯気を出して再び気絶しそうになった。


「逃げるな」


 耳元で、ライオネルの声がする。

 きっとエイミーの耳は真っ赤に染まっていることだろう。


「ど……して……」


 ライオネルの腕に抱きしめられたまま、エイミーややっとのことで声を出した。


「殿下、わたしのこと……きらいって……」

「そうだな。だが今は違う」

「そんなの、わからな……」

「俺だってわからない」


 ライオネルはエイミーの髪の毛を指先で弄びながら、小さく苦笑した。


「お前のことは鬱陶しいと思っていた。うるさいし。追いかけてくるし。落とし穴に落とされたし。人の話を聞かないし」

「…………」


 やっぱり嫌われているんじゃなかろうかと、エイミーはライオネルの腕の中でむっつりと黙り込む。好きだと言ったくせに、今あげつらったのは全部嫌いなところではないのか。


「……でも、お前が追いかけて来なくなると、落ち着かなかった。お前に別れを切り出されたときは動揺したし、ショックだった。そして別れたくないと思った。鬱陶しいと思っていたはずなのに、どうやら俺は、自分の無自覚なところでお前が好きになっていたんだろう」

「……本当に?」

「嘘をついてどうする。第一、お前が嫌いだったら、別れを切り出された翌日には嬉々として婚約解消の書類を持ってきている」


 翌日に用意できるかどうかは置いておいても、確かにエイミーのことが大嫌いで別れたくて仕方がないのならば、ライオネルは喜んで書類を整えてきただろう。


(つまり……本当に?)


 脳が理解するとともに、じわじわと顔に熱がたまっていく。

 エイミーはライオネルの腕の中でふるふると震えた。そして――


「で、で、殿下……大好きっ!」


 叫んで、ひしっとライオネルにしがみついたのだった。



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