エイミーが逃げる理由 2
「……エイミー?」
ぴくりとも動かなくなったエイミーに、ライオネルは訝しんで、それからギョッとした。
「おいエイミー⁉」
エイミーは、くたりと全身を弛緩させて、気を失っていたのだ。
「エイミー、どうした⁉ うわっ、お前熱があるじゃないか‼」
エイミーが赤い顔をしているのに気づいて額に手を当てたライオネルは、いくら呼びかけても一向に目を開けないエイミーに激しく動揺した。
彼女の小さな体を抱え上げて、彼女のカバンを掴むと、自分の食べかけのサンドイッチと、屋上に転がっている彼女の弁当箱を見てわずかに逡巡したあとで駆けだす。
(片づけはあとだ!)
幸いにして、今日は屋上に誰もいない。
散らかした弁当が誰かの迷惑になることはないだろうから、エイミーを医務室へ連れて行ってから戻ってきてもいいだろう。
エイミーを抱えたまま、慎重に、けれども急いで階段を駆け下り医務室へ向かう。
両手がふさがっているので扉を開けられなかったライオネルは、足先で医務室の扉を蹴とばした。
「はいはいはい、鍵はかかっていませんよー」
陽気な声がして、片手にパンを持ったウォルターが扉を開けて、それから目を丸くする。
「何してるんですか殿下」
「エイミーが気絶した。そして熱がある」
ウォルターはさっと表情を引き締めると、ライオネルにエイミーをベッドに寝かせるように指示を出した。
エイミーをベッドに寝かせると、パンを置いて手を拭いたウォルターがエイミーの脈を確かめ、それから熱を測る。
「微熱ですね。脈は少し早いですがまあ正常の範囲内です。少し休めば目を覚ますと思いますよ」
「そうか……」
ライオネルはホッと息を吐き出す。
突然エイミーがくたりとして動かなくなったので、心臓が凍り付きそうになったが、ひとまずは大事ないらしい。よかった。
「屋上にいろいろ置いてきたままなんだ。片付けてくるからエイミーを見ていてくれ」
「それは構いませんが……なんでエイミー様は気絶したんです?」
「俺もわからん!」
ライオネルはエイミーに好きだと告白しただけだ。それなのに突然エイミーが気を失ったのである。ライオネルにも意味がわからない。
(まあだが、エイミーだし)
ここのところ意思の疎通はできていたが、もともとエイミーはもしかしたらモモンガなんじゃないかと思うほどに意味不明だ。だから考えたところで無駄なのである。
ウォルターにエイミーを任せて屋上に戻ると、ライオネルは床に散らばった弁当の中身を片付け、食べかけの自分の弁当と一緒に持って医務室へ戻る。
エイミーはまだ目を覚ましていなかった。
(エイミーの寝顔を見るのははじめてだな……)
白く滑らかで、ふんわりしていそうなエイミーの頬の曲線を見ていると、むくむくと好奇心が湧いてくる。
そーっと手を伸ばして、指先でふにっと頬を押すと、柔らかいながらも適度な弾力が指を押し返してきた。
(……これはちょっと、癖になる)
触り心地がよくて、ライオネルはふにふにとエイミーの頬をつつく。
すると、抗議するようにエイミーの長いまつげが震えた。
(なんだ? 痛かったのか? そんなに力を入れてつついてはいないんだが……)
ライオネルは今よりも少し力を緩めて、けれどもふにふにと頬をつつき続けていると、それを眺めていたウォルターが非難めいた視線を向けてきた。
「眠っている女性に何をしているんですか。エイミー様が可愛くて仕方がないのはわかりますが、安眠妨害ですよ。やめて差し上げなさい」
「か、かわ――」
ライオネルは赤くなって「可愛いわけじゃない」と言いかけて口をつぐんだ。
ウォルターの言う通り、確かに可愛いと思っている。だが別に可愛いから頬をつついていたわけではなくて、面白いからつついていたんだと心の中で言い訳して、ライオネルは名残惜しく思いながらもエイミーの頬から手を放した。
(このモモンガが可愛いなんて、俺の頭はきっとおかしくなったに違いない)
うるさくて鬱陶しかったはずなのに、今はこの人間とモモンガの中間のような不思議生物がたまらなく愛おしい。
「殿下、どうせエイミー様が目覚めるまでここにいるつもりなんでしょう? 待っている間ちょっとこっちに来てもらえますか?」
五限目の授業はサボるつもりなのだろうと暗に言われて、その通りだったライオネルは素直にウォルターの側へ向かった。
ウォルターは机の引き出しから紙の束を取り出してライオネルに渡す。
「頼まれていた件です。こっちが教師からの聴取で、こちらが目撃情報、それからこっちが、情報をもとに私がパターン化したデータになります」
「助かる」
ライオネルはウォルターから報告書を受け取って素早く内容に目を通す。
これは、エイミーが泥まみれになっていた日に、ライオネルがウォルターに彼女に何かが起こっているかもしれないからと言って調べさせた件だった。
思っていた以上に件数が多くて、ライオネルは報告書をめくるごとに表情を険しくする。
「嫌がらせなのかもしれませんけど、ちょっと悪質ですよ、これ。当たっていたら大怪我ではすまなかっただろうものも結構ありますからね。あの日エイミー様の頭上から落ちてきたのが泥でよかったですよ。あの日の二日前に落ちてきていた石膏像だったら死んでいたかもしれません」
「……ああ」
「ものによっては人が投げられるような大きさでないものもありますからね。おそらく魔術で浮かせて落としているか、もしくは何らかの罠の魔術をあらかじめ仕掛けておいたかのどちらかでしょう」
「落ちてくる場所は、玄関と中庭が多いな。あとは校庭か。時間は朝、教室の移動中、放課後……だな」
「エイミー様の行動にあわせているんでしょうね」
「そうだろうな。だがこれなら逆に、こちらが罠を張ることも可能そうだ」
「慎重にお願いしますね」
「わかっている。下手は打たない」
ライオネルはウォルターに報告書を返すと、再びエイミーの眠るベッド横へ移動する。
先ほどより顔色がよくなったエイミーが、むにゃむにゃと口を動かしていた。
何か言っているのかと思って耳を近づけたライオネルは、次の瞬間、真っ赤になって硬直した。
「……でんかぁ、だいしゅき…………」
眠ったままにへらっと笑ったエイミーに、ライオネルはしばらくの間、固まって動けなかった。
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