逆転のフーガ 2
それは、四限目の授業を終えて、教科書を机の中に片付けようとしたときのことだった。
バンッ!
と、突然机の上に誰かが両手をついて、びっくりして顔を上げたエイミーは、さらにびっくりしてしまった。
だって、そこにライオネルがいたのだ。
エイミーは隣の教室にライオネルに会いに押しかけたりしていたが、彼がエイミーの教室に来ることなんて、それこそ思い出す限りほとんどない。よほどやむにやまれぬ事情がない限り、彼からエイミーに近づくことなんてないからだ。
驚きすぎてぽかんとしてしまったエイミーに、ライオネルは仏頂面で言った。
「行くぞ」
「行く……?」
行くって、どこに――と聞く前に、ライオネルはエイミーの机の横に駆けられていた彼女のカバンをむんずと掴んだ。
「あのっ、殿下?」
「いいから行くぞ」
わけがわからなかったが、ライオネルが奪って歩き出したカバンの中にはお弁当が入っている。あれを持って行かれるとお昼ご飯を食いっぱぐれてしまうので、エイミーは慌ててライオネルを追いかけた。
教室を出る前に、一緒に昼食を食べているシンシアを振り返ると、彼女は苦笑してひらひらと手を振っている。
ごめんねと口の動きだけで告げて、エイミーは速足でライオネルを追った。
ライオネルは大股でずんずんと廊下を進んでいく。
「殿下! 殿下ってば!」
速足では追いつけず、ついに駆け足になって、エイミーはライオネルの袖をきゅっとつかんだ。
「どこに行くんですか?」
「どこって、カフェテリアに決まっているだろう。いいから来い」
「え……」
ライオネルはカバンを持っているのとは逆の手でエイミーの手首をつかむと、そのまま歩みを緩めることなくずんずんと歩いていく。
エイミーは小走りになりながら、頭の中にたくさんの「?」を浮かべた。
何が起こっているのかさっぱりわからない。
どうしてエイミーはライオネルにカフェテリアに連行されているのだろう。
(もしかして婚約解消の書類が整った……? ううん、いくら何でも昨日の夜から今朝までの短い時間で用意できるはずないわ。婚約解消の書類は正式書類だから、陛下のサインが入ったものが必要だし……)
いくら親子でも、夜に国王をたたき起こして書類を作らせるなんて不可能だ。
だから、ライオネルは婚約解消の書類を渡すためにエイミーを連れていくわけではないだろう。第一人の多いカフェテリアで、王族の婚約に関する話などできようはずがない。
(じゃあカフェテリアに何の用事があるの?)
ライオネルの目的がわからなかったが、なんか怒っているみたいだし、聞いても教えてくれない気がした。
カフェテリアに到着すると、ライオネルは隅の方の比較的静かな席へ向かうと、エイミーにカバンを返し、そして「ここにいろ」と言ってランチを買いに行く。
ここにいろと言われたので勝手に去ることもできず、エイミーはカバンをぎゅっと胸に抱きしめてライオネルが戻ってくるのを待った。
日替わりランチを買って戻って来たライオネルは、ランチについていた美味しそうなプティングをエイミーの前に置く。
「やる」
「え……?」
本当に、何が起こっているのだろう。
目の前に置かれたプティングと、それから無言でランチを食べはじめたライオネルを何度も交互に見返していると、ライオネルが怪訝そうな顔をした。
「お前は弁当なんだろう? 食べないのか?」
「あ、はい……え?」
ライオネルは何か用事があってエイミーをここに連れてきたのではなかったのだろうか。
何事もなかったかのような顔で食事をするライオネルに、エイミーは頭が混乱してわけがわからなくなりそうだった。
(とりあえず……ごはん?)
エイミーはいそいそとカバンからお弁当箱を取り出すと、ライオネルに習って食べはじめる。
しばらく食べることに集中していると、ライオネルがふと顔を上げた。
「お前、お茶はどうした」
「あ……水筒は教室に置いたままで……」
「わかった。待ってろ」
「あ、殿下?」
食事の途中なのにライオネルが席を立って、わざわざエイミーのためにお茶を持って戻ってくる。
(今日の殿下、いったいどうしたの?)
プティングをくれたり、お茶を取りに行ってくれたり――今日のライオネルはいつもなら絶対にしないだろう行動ばかりとる。
お礼を言ってお茶に口をつけながら、エイミーはちらりとライオネルを見上げた。
不機嫌そうな顔をしている。
でも――ちょっと違う気もする。
シャープな輪郭に、いつ見てもびっくりするほど綺麗な顔立ち。ぎゅっと寄った眉間の皺も、これはこれで、すっかり見慣れたエイミーにとっては愛着がある。
「あの……殿下……」
黙って食事をするのもなんだか落ち着かなくて、エイミーはお弁当を半分ほど食べだところで自分から口を開いた。
「ええっと……昨日のプレゼント、ありがとうございました。青い薔薇の……」
「ああ。……あれがほしかったんだろう?」
「――はい」
エイミーは震えそうになる唇で、何とか答える。
いつも「とりあえず」のプレゼントだったのに、何故――と訊ねそうになって、やめた。
黙って食事を再開したエイミーに、ライオネルが数拍の沈黙の後に続ける。
「ガラスの青い薔薇はふさわしくないが、あれなら結婚式につけても問題ない」
「……え?」
(何を言っているの?)
エイミーは目を丸くした。
食事の手を止めたエイミーを、ライオネルはまっすぐにその綺麗な紫色の瞳で見つめる。
「昨日の話だが、俺は了承しないぞ」
「殿下……?」
「さっさと食え。昼休みが終わっても知らないからな」
エイミーはゆっくりと目を瞬かせて、それから鴨のスモークのサンドイッチを口に運ぶ。
もぐもぐとゆっくり咀嚼しながら、ライオネルの言葉を何度も反芻した。
(了承しないって、どういうこと?)
何を言われたのか、理解できない。
何度も何度もその言葉だけを反芻しながら、ちまちまとお弁当を食べ終えて、ライオネルがくれたプティングに手を伸ばした。
甘くて、ほんのりほろ苦いカラメルの味のするプティングは、つるんと舌の上でとろけて喉の奥へ消えていく。
プティングもやっぱりちまちま食べていると、すでに食事を終えていたライオネルが苦笑した。
「お前の食べ方は小動物みたいで、なんだか可愛らしいな」
可愛らしい。
ライオネルの口からまさかそんな単語が出る日が来るとは思わずに、エイミーはあやうくプティングをのどに詰まらせそうになったのだった。
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