殿下がわたしを嫌いなことは知っています 3
週末、エイミーはクッキー持参で城を訪れた。
今日のクッキーはチョコミントクッキーだ。エイミーの手作りである。
いつだったか、母に手伝ってもらってクッキーを焼いてプレゼントしたところ、ライオネルが「クッキーに罪はない」と言って全部食べてくれたことがあって、それ以来、エイミーはクッキー作りが趣味になったのだ。今でも、口では文句を言うが、持って行ったクッキーは全部食べてくれる。
「ここはモモンガの巣じゃない」
衛兵に通されてライオネルの部屋に入ると、ライオネルは開口一番にそう言った。
そう言いつつ、エイミーが来ても追い返さないあたりライオネルは優しい。
「殿下、クッキーです!」
「その辺に置いておけ」
「はい!」
ライオネルが「食べてやる」と言ったと解釈したエイミーは、いそいそとクッキーの包みを開けてローテーブルの上に置いた。
メイドがお茶を運んでくると、ライオネルがまず紅茶に口をつけてから、エイミーのクッキーに手を伸ばす。
「……なんだニヤニヤと、気持ち悪いな」
「へへ」
ライオネルがクッキーを食べてくれたのが嬉しくてにこにこしていると、ライオネルが奇妙なものを見るような視線を向けてきた。だがまったく気にならない。ライオネルに「気持ち悪い」と言われるのは慣れている。それよりもクッキーを食べてくれたことの方が嬉しいのだ。
「今日のクッキーどうですか?」
「普通だ」
「よかった、美味しいんですね」
「だから普通だ」
「はい!」
ライオネルの「普通」は「美味しい」と言う意味であるとエイミーは理解している。なぜならライオネルはまずかったらまずいとはっきり言うからだ。
「それで、今日は一体何の用だ。ただ遊びに来たのならばもう満足しただろう? 帰れ」
クッキーを二枚ほど食べた後でライオネルが言った。
部屋に入って十分も経っていないのに「帰れ」とはなかなかひどいが、これもいつものことなのでエイミーは気にしない。
「そうでした! 今日は殿下に相談したいことがあったんです!」
すると、ライオネルはどこか嬉しそうに笑った。
「なんだ、ようやく婚約を解消する気に――」
「なりません! わたしはずっとずーっと大好きですよ殿下!」
「…………じゃあ何の用だ。言っておくがくだらない話は聞かないからな」
途端にスンとしたライオネルは、三枚目のクッキーに手を伸ばした。
(いつもより食べるのが早いからチョコミントクッキーは気に入ったのかしら?)
エイミーはそんなことを考えながら、ライオネルに向かって身を乗り出した。
反対にライオネルはのけぞる。
「急に顔を近づけるな!」
「じゃあ隣に……」
「来るな! 来たら力ずくで部屋からつまみ出すぞ!」
対面のソファからライオネルの隣に移動しようとしたエイミーはがっかりしながら口を開く。
「殿下は音楽祭の説明を聞きましたか?」
「音楽祭? いや、まだだが。どうかしたのか?」
「それが、今年の音楽祭のテーマは、声楽なんだそうです」
「……なに?」
「だから歌です! どうしたらいいですか? わたし、歌は得意ですけど殿下はわたしは人前で歌っちゃダメだって」
「待て待て待て、歌が得意ってなんだ冗談か⁉」
「え? 知らないんですか殿下、わたし歌が得意なんですよ? 何なら一曲ここで披露……」
「せんでいい‼ ……あれか、もしかしなくとも音痴は音痴を理解しないから音痴なのか?」
「わたしは音痴じゃありません」
「なるほどもういい理解した」
ライオネルはエイミーを手で制して、それから難しい顔をして考え込んだ。
「なるほど歌はまずい。お前の歌は王家の恥でなおかつ公害だ」
「……得意なのに」
「うるさい! とにかく王太子の婚約者が音痴だと知られるのは非常にまずい。手を打たなければ……」
「音痴じゃないです」
「お前に話してない!」
「この部屋には殿下とわたししかいませんけど……」
「だからうるさい!」
エイミーはむーっと口をとがらせる。
(わたし、音痴じゃないのに!)
音楽を教えてくれる家庭教師の先生も「ほほほほほ、エイミー様は歌はもうこれ以上学ぶ必要がないみたいですから楽器をしましょうね」と一度でオッケーをくれたのだ。何故かそれ以来一度も歌わせてもらっていないが、でも「必要ない」と言われたということはそれだけレベルが高かったからに違いない。少なくともエイミーはそう思っている。
「去年はヴァイオリンだったのに、なぜ今回は声楽なんだ」
「ヴァイオリンは弦の張替えに出したから戻ってくるまで練習時間が取れないらしいです」
「そんなもの各家に一台は必ずあるだろうが!」
音楽は貴族のたしなみとされている。中でもヴァイオリンは弾けて当たり前とまで言われているメジャーな楽器なので、ライオネルの言う通り、貴族ならばほとんどの家に置いてあるだろう。
ちなみに、一昨年はクラスでもグループ分けをしてカルテット演奏にしたそうだが、時間がかかりすぎたからやめたそうだ。
フルートやクラリネットは全員にいきわたるほどないし、今年は例年より練習時間が取れないため、オーケストラ演奏は練習に時間がかかりすぎて無理とのことで、無難なところで声楽に決まったらしい。
「やっぱりわたし、欠席した方がいいですか……?」
「音楽祭は授業の一貫だから無理だ」
ライオネルはぐしゃぐしゃと頭をかいて、それから息を吐き出した。
「音楽祭の練習はいつからはじまる?」
「ええっと、来月からだそうです」
「ならあと三週間はあるな。課題曲は決まったのか?」
「それなら一昨日決まりました」
「わかった。ならばお前は来月まで放課後は城に通え。週末もだ。歌の特訓をするぞ。そうしないと笑われるのは王家だからな!」
「え……?」
「なんだ」
「歌の特訓って、殿下が……?」
「当たり前だ! ほかの人間にお前の公害レベルの歌を聞かせられるか! あっという間に噂になる! 城なら防音室があるし、そこでなら音も漏れないからな!」
エイミーはぱあっと顔を輝かせた。
「殿下、大好き!」
「俺は嫌いだ‼」
「でも大好き‼」
エイミーは立ち上がると「来るな!」と言われても構わずにライオネルに抱き着いた。
どうしてだろう、一昨日はあんなに胸が痛かったのに、今日の「嫌い」は痛くない。
「殿下、好き‼」
「ええいうるさい! 離れろ‼」
ライオネルに顔をぐいぐいと押されながら、エイミーは「えへへー」と笑った。
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