殿下がわたしを嫌いなことは知っています 2

「先生たちも気を付けてくれるらしいから、ひとまず安心かしらね。……ってエイミー、どうしたの?」


 シンシアが先生たちを呼んできて、それからパンジーを近くの花壇に植えなおした後で、エイミーは手を洗うために手洗い場へ向かっていた。

 中庭に駆けつけてきた先生たちが授業に遅れることは伝えておいてやるからまず手を洗って来いと言ったからである。

 爪の中に入った土を丁寧に石鹼で洗い流していると、シンシアがじっとエイミーの顔を見てそんなことを言う。


「なにが?」

「何がって元気がないみたいだけど……。まさか怪我でもした?」

「怪我なんてしていないわ。わたしはいつも通りよ!」


 エイミーは顔を上げてにこりと笑った。

 そう、いつも通りだ。――ライオネルに「嫌い」だと言われることなんて珍しくない。だからいつも通りなのだ。何も変わらない。変わらないはずだ。


(殿下がわたしを嫌いなことなんて知っているもの。……だからいつもと一緒よ)


 それなのに何故、こんなにも胸が痛いのだろう。

 ライオネルがエイミーを嫌いなのは十一年前から変わらない。わかっているのに。


「どこがいつも通りなのよ。ほら、もうやめなさい! そんなに爪を立ててごしごししたら、手が傷むわよ!」


 シンシアに手首をつかまれて、エイミーはそこでようやく、執拗に手を洗っていたことに気づく。

 土汚れはすっかり綺麗になっていて、ごしごししすぎたせいか手のひらがひりひりしていた。


「ねえ、何かあったの?」

「何もないわ」


 エイミーは大きく深呼吸をしてもう一度シンシアに微笑むと、シンシアが持ってくれている教科書を受け取った。


「行きましょ、のんびりしていたら授業が終わっちゃうわ」

「……そうね」


 シンシアはため息を吐いた。

 シンシアとともに専門棟の音楽室へ行くと、何やら多数決がはじまっていた。

 ほかの先生から事情を知らされていた音楽教師が、夏前の音楽祭で披露する曲の多数決をしているのだと教えてくれる。

 音楽祭は毎年テーマが決められていて、今年の音楽祭は「声楽」なのだそうだ。つまり歌である。


「歌いやすい曲だといいわね」


 授業に途中から加わったので、エイミーとシンシアは多数決が終わるまで静観することにした。

 黒板に書かれた三つの曲名を眺めながら、エイミーは内心でひやりと冷や汗をかいた。


(どうしよう……わたし、人前で歌っちゃダメって言われているのに……!)


 よくわからないが、両親にも兄にも、それからライオネルまでも、エイミーに決して人の前で歌を歌うなと言うのだ。

 けれど音楽祭は学園の行事で、単位も出る。

 これはライオネルに相談が必要だと、エイミーは唸った。


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