殿下の唇強奪作戦 3
「殿下、大丈夫ですか……?」
昼になって、エイミーはライオネルが休んでいる医務室へ向かった。
ライオネルには怪我はなかったそうだが、念のため午前中は安静にさせておいた方がいいだろうと判断され、ずっと教室に戻ってきていなかったのだ。
ライオネルの唇を手に入れることに夢中になるすぎて、うっかりやりすぎてしまった。
あと一分しか残り時間がなくて焦っていたのだ。
校庭に開けた落とし穴はあのあときっちり責任をもって埋めたけれど、さすがに校庭に穴を掘るなと教師からも怒られてしまった。ライオネルが落とし穴に落ちたのを見た瞬間、教師は処刑を覚悟したという。
大げさだと思ったが、確かにライオネルに万が一があれば教師は責任を追及されるだろう。
常駐医のウォルターが苦笑しながらライオネルの眠るベッドのカーテンを開けてくれた。
どうやらライオネルは眠っているようだ。
「さっきまで起きていたんですけどね、ずっとベッドの上にいるせいか眠くなったんでしょうね」
ライオネルはすやすやと規則正しい寝息を立てている。
(ふふ、まつげ長い……)
ゆっくりしていっていいと言われたので、エイミーはライオネルのベッドのそばに椅子を運んきて座ると、じっと彼の寝顔を眺めた。
きりりとりりしい眉に、すっと通った鼻筋。シャープな輪郭。そして少し薄い唇。――エイミーの大好きな王子様。
ライオネルは子供のころから顔立ちが整っていたが、年々精悍でカッコよくなっていく。
(ま、わたしは殿下が豚さんみたいな顔でも愛せるけどね)
そーっと手を伸ばして、ふにっと頬をつついてみた。
意外にもほっぺたは柔らかい。
ライオネルは昔からエイミーを邪険にしてきたけれど、でもエイミーは、彼が本当はとってもとっても優しいことを知っているのだ。
婚約が決まったあとから、エイミーはライオネルとの婚約が嬉しくて彼に付きまとった。
当時の彼は落とし穴に落とされた屈辱でエイミーを完全に無視していて、どれだけ付きまとっても何の反応も返してくれなかった。
けれども、あの日――
お城の庭で、ライオネルを追いかけて走り回っていたあの日。
うっかり転んで泣いてしまったエイミーに駆け寄って、ライオネルは手を差し出してくれたのだ。
ずっとエイミーのことを無視していたのに、「大丈夫か」と言って。仏頂面を浮かべながら、それでも膝小僧の怪我を手当てしてくれた。
ライオネルのことは会った時から大好きだったが、エイミーの彼への気持ちはあの時に固くかたーく固まった。
ライオネルが好きだ。
彼以外はいらない。
どんなに邪険にされても無視されても、エイミーはライオネルだけが好きなのだ。
(唇……でも、寝ているときにキスしたら怒るよわよね?)
すごくすごくすごーくキスしたいが、さすがに意識のないときに襲うのはダメだと思う。
(殿下、どうすればわたしを好きになってくれるのかしら?)
ライオネルはエイミーが「話が通じないモモンガ」だと言うが、本当はエイミーだってわかっている。
ライオネルは、エイミーのことがこれっぽっちも好きじゃない。
婚約した五歳の時から、気持ちはいつも一方通行だ。
ちょっとでもライオネルに好きになってほしくて、好きだ好きだと繰り返した。
ずっと無視されていて悲しくて追いかけまわしたら反応が返ってきて――、それが嬉しくて、それから今日までそれを続けてきた。
好きだと言い続ければ、態度で示し続ければ、いつか振り向いてくれるのではないかと思って。
――まあ、生来、少々……いやかなりぶっ飛んだ性格であるのは否めないが、一応、そういうことは理解できているのである。
(お父様たちは殿下を追いかけまわすのはやめなさいって言うけど、たぶんそれをやめたら、殿下の中でわたしはただの透明人間になっちゃうわ)
ライオネルはエイミーに興味がない。それどころか嫌っている。エイミーが何もしなければ、ライオネルは頭の中からエイミーという存在を追い出すだろう。婚約しているから放っておけば結婚できるが、結婚してもきっとまったく顧みられない。
エイミーにはそんなことは耐えられないのだ。
だってエイミーは、ライオネルの心が欲しいのだから。
だから鬱陶しがられても、追いかけまわすことはやめられない。
「殿下、そろそろ起きないとお昼ご飯食べそびれちゃいますよー?」
お弁当を持ってくる生徒も多いが、ライオネルは学食派だ。
フリージア学園のレストランを兼任しているカフェテラスには、生徒が貴族ということもあって一流のシェフが雇われている。
お昼ご飯以外に、お菓子やケーキも提供されているが、食事は午後の一時間休憩の間しか出されない決まりだ。だからお昼休みを逃せばご飯にありつけないのである。
エイミーはライオネルを無理やり起こそうかと考えたが、とても気持ちよさそうに眠っているのを見ていると忍びなくなってきた。
「……わたしのお弁当を置いておきますね。起きたら食べてください」
ライオネルを誘って学食に行こうと考えていたエイミーは計画を変更して、持参してきたお弁当箱をベッドサイドの棚の上に置く。
このお弁当は、カニング侯爵家の料理人が作ったものなので、きっとライオネルの口にも合うはずだ。
「今日は本当にごめんなさい、殿下。ゆっくり休んでくださいね」
エイミーはライオネルのさらさらの髪をそっと撫でると立ち上がった。
「あの、あそこにお弁当を置いているので、殿下が起きたら食べてもらってください」
医務室を出る前にウォルターに言づけると、彼は日誌を書く手を止めて顔を上げた。
「そうしたらエイミー様の食事はどうされるんですか」
「わたしは大丈夫です」
「でも――」
「じゃあ、失礼しますね」
エイミーはウォルターに手を振って医務室を出ていく。
廊下を少し歩いたところで、ぐうとお腹が空腹を訴えたけれど、エイミーはそれを聞かなかったことにして急ぎ足で自分の教室へ戻った。
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